フィールドワーク報告
  (1) 研究課題 (博士論文に予定しているタイトル)
(2) 博士論文において目的としていること
(3) そのうち,今回の現地調査で明らかにしたこと
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渡航期間: 2003年7月21日〜9月19日, 派遣国: ブータン
(1) ブータンにおけるネイション形成
宮本万里 (東南アジア地域研究専攻)
キーワード: 自画像,チベット(大乗)仏教,自然環境保護,小人口,労働徴集制度


国立公園内にある小学校。官民協力して環境教育に力を入れている。

ウォンディ・フォダンにて。ブータンでは多くの町が渓谷沿いに点在する。
家を作る村の大工。労働徴集の際も数少ない大工として重用された。
(2) 私の博士論文は、南アジア地域の中でもこれまでほとんど知られてこなかったブータン王国におけるネイション形成を多角的に検討し、そのありようを描き出すことを目的とする。その際、私は以下の点に注目する。ひとつは、ブータンという人口60万人強の小人口国家において、近代化に伴う労働需要の高まりがどのようなインパクトをもったのかという点である。1950年代末のブータン初の自動車道建設事業は、ブータン国内においてそれまでとは全く異なる規模の労働力を必要としたため、政府は全国各地の村から半ば強制的に労働者を募り、同時期に一つの地域に人を集め労働に従事させた。これはその時代を生きた人々に共通の記憶と経験をもたらし、そのために導入された連帯責任制度は村落内での協力体制の基盤を築き、ブータンのネイション形成に決定的なインパクトをもたらしたと考えられる。また、別の側面としてブータン政府が国民統合のために行ってきた伝統文化保護に関する政策にも注目する必要がある。これはチベット仏教ドゥルック派カーギュを信仰するブータン西部の居住民が表象する文化体系を、「国民文化」として規定し、それによって国内の均質化を図ろうとするものであった。「ブータン文化」に関する知識は「民族」衣装の着用義務付けなどの法令や公教育を通して国民の日常生活に組み込まれ、徐々に身体化されていった。しかし、これらの文化政策は異なる文化伝統を持つと主張する国内の他の民族集団との間にさまざまな軋轢を生み出した。ブータンのネイション形成に関してもう一つ重要と考えられるのが、政府が表象する「自然環境を守る我々」という国民像である。これは公教育を通して国内へ向けられると同時に、国際社会を通じて外部へ向けられている。しかしながらブータンの人々は実際に政府が主張するような自画像をどこまで共有しているのだろうか。博士論文では、これらの点を考慮しながら、さまざまな階層の人々からオーラルヒストリーを収集するという手法を通して、人々の中で「ブータン人」の自画像がどのように生成し、どこへ向けて表象されてきたのか、その歴史的変遷を明らかにし、階層や地域的差異も視野に入れつつ、ブータンのネイション形成を重層的に描き出していきたいと考えている。

(3) この度の現地調査では、主に、自動車道の建設を端緒として導入された全国規模の労働徴集制度の歴史的変遷に注目した。1960年代まで農作物や薪などの現物による納税制度が維持され、自給自足型経済となっていた当時のブータンにおいて、賃金労働に従事するべき余剰労働力の確保は大きな困難を伴うものであった。その中で、大規模かつ集約的な建設労働はブータン社会において新しい労働形態であり、社会全体に大きな変革を求めるものであった。その際に導入されたのが6人組制度や12人組制度といった労働徴集制度であった。今回の調査では労働徴集制度の歴史的変遷を明らかにすると共に、さまざまな階層の人々に対する聞き取り調査から個々のオーラルヒストリーを収集し、そこから一般の村人たちがどのようにこの(半強制的)労働制度に動員され、同じ公共空間で同一の体験を共有することによっていかに共同体意識を醸成してきたのかを描き出そうとした。全体の調査期間は2003年7月22日から9月18日であり、そのうち約3週間をブータン中央部のトンサ県およびブムタン県での調査にあてた。またそれらを補う形でインドおよびネパールなどの国外に居住するブータン人に対しても約4週間の日程で聞き取り調査を行った。それによって、制度の歴史的な変遷に関しては、近代的な開発計画の導入以前にもブータンにはいくつかの労働徴集制度が存在していたこと、導入後はそれらが改訂・整備され、人々は相互管理制度によって組織的に集められ、生まれた土地から切り離されるようになったことがわかった。今回の聞き取り調査では何人もの村人や元村長からオーラルヒストリーを得ることができた。そしてそこから当時のブータンの人々の移動形態や社会状況、生まれた村や家に対する愛着、などを少しずつではあるが明かにできたのではないだろうか。

 
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