フィールドワーク報告
  (1) 研究課題 (博士論文に予定しているタイトル)
(2) 博士論文において目的としていること
(3) そのうち,今回の現地調査で明らかにしたこと
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渡航期間: 2003年11月1日〜2004年8月1日, 派遣国: ザンビア
(1) ザンビア西部、カラハリ・ウッドランドにおけるアンゴラ移住民の生業に関する研究
村尾るみこ (アフリカ地域研究専攻)
キーワード: カラハリ・サンド,カラハリ・ウッドランド,キャッサバ,アンゴラ移住民,リンボ


カラハリ・ウッドランド
カラハリ・サンドが深く堆積しており、マメ科の樹木が優占する

焼畑で栽培されるキャッサバ(開墾1年目の畑)
1年目の畑には、キャッサバのほかにもわずかにトウモロコシなど1年生作物も植えられる。キャッサバは植え付けから3〜4年で収穫され,自家消費と販売に用いられる。
キャッサバをマーケットへ売りに行く少女たち
キャッサバは水に漬けて発酵させたものをゆで、マーケットで販売される
(2) アフリカ南部に広がるカラハリ・サンド堆積帯は世界最大の砂土堆積帯であり、土壌養分が貧しいにも関わらず多様な植生がみられることが特徴である。この堆積帯では古くから生業が営まれ、人びとの自発的な移動もおこなわれてきた。しかし20世紀以降紛争が多発したために多くの人びとが異国の地への移住を強いられ、彼らは新たな自然環境・社会環境で生活を再編成しなければならなかった。この砂土堆積帯のなかでも、ザンビアの西部に位置するカラハリ・ウッドランドは隣国アンゴラの紛争を逃れた人びとが生業を営んできた場所である。本研究ではこのウッドランドに住むアンゴラ移住民を対象に、彼らがいかに自然・社会環境の変化に対応し生業を営んできたのかについて、移住前後の政治・経済的背景や社会関係、土地利用の変遷を通して考察する。

(3)  調査は2003年11月1日から2004年8月1日までの期間、ザンビア西部にあるリニュク村にて実施した。
  人びとの居住の基本的な単位となっているのは、リンボと呼ばれる親族集団である。しかしながら、移住前後の生活や移住に至った経過について聞き取り調査を実施した結果、人びとはこれまで報告されていた親族関係以外にも、移住の過程や移住後に築かれた関係に依存していたことが明らかとなった。移住民は国や地域レベルでの政治・経済的な状況に影響を受けながらも、周囲との人間関係を多様に保ちながら生活を安定させてきたことが伺えた。
  土地利用については、実際の位置などをGPSにて記録しつつその土地の利用の様子を調査した。特に耕地については、分配、相続、処分に関する情報を得た。その結果、移住民が利用できる土地が限られているために、移住前と同様の生業をおこなうことが困難であったことが明らかとなった。また移住後に人口が増大したため、この人びとが移住前からもっていた耕地の管理システムの重要性が高まっていた。以上のような変化をうけて、移民のなかには新たに造成する畑の位置を従来のように選択できなくなるものや、畑を造成する際に希望に見合う面積を開けないものも出現していた。
  移住後、人びとはカラハリ・ウッドランドという環境とその季節性にあった生業を営んできた。しかし生業に関する聞き取り調査を進めた結果、移住にともなって家畜をなくしたことや移住後の漁獲量の減少、野生動物の減少によって狩猟がおこなえなくなったことなどから、動物性たんぱく質を現金またはキャッサバとの交換で得ることが多くなってきたことが明らかになった。また農耕では移住後に低湿地の利用ができなくなったため栽培可能な作物の種類が減少し、結果的に現金収入源となる作物がキャッサバに特化されたことが明らかとなった。
  以上の結果からは、限られた状況のなかで個々人が様々な対応をして生活の安定を図ってきたことがわかった。移住民の生業の変容は、移住にともなう政治・経済的な背景に翻弄されながらも、カラハリ・ウッドランドの環境で生活を営むために新たに築かれた人間関係とキャッサバという栽培作物に特徴付けられるものであることが明らになりつつあり、今後もさらに考察していく。

 
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