報告
ラオス・ラーンサーン王国行政文書群(バイチュム)に記された「領域」が物語るもの
増原善之 (21世紀COE研究員)

1742年ビエンチャン国王よりサムタイ(現ホアパン県サムタイ郡)の首長に送付されたバイチュム
[出典:Phimphan Phaibounvangcaroen, 2000. Bai Cum: Saranitaet Bon Singtho, National Library, Fine Arts Department, Bangkok]
前掲バイチュムの下方部分(バイチュムは布に書かれ、最下段には文書発出者[この場合はビエンチャン国王]の印章が施された)
[出典:前掲書]
  現在進めている個別研究のタイトルは「ラオス・ラーンサーン王国行政文書群(バイチュム)に記された「領域」が物語るもの−前近代東南アジア大陸部における地方統治と空間観念について−」である。これは、ラーンサーン王国後期の地方統治制度の実態を明らかにするとともに、同王国行政文書群(以下「バイチュム」)に記された地方の小首長国の「領域」を考察することにより、西洋の近代地理学が導入される前から、仏教的宇宙論に基づく宗教的(精神的)空間観念とは異なる、領民支配と資源確保をその要諦とする地方統治上の必要から生まれた世俗的(物理的)空間観念が存在していたことを明らかにすることを目的としている。

  筆者は、 1998年度トヨタ財団研究助成による「16−17世紀におけるラオス・ラーンサーン王朝の発展を支えた流通システムについて−カー族(モン・クメール系先住民)の経済的役割を中心として−」の成果をふまえ、 2003年に『14−17 世紀ラオス・ラーンサーン王国経済史 ( タイ語 ) 』を上梓した。しかし、史料的制約が深刻な 17 世紀半ば以降については、なすすべもないという状況が続いていたが、半年ほど前、タイ国立図書館所蔵バイチュムのうち 22 通が 同 図書館より翻字出版 ( 2000年) されていたことを知った。一方、バイチュムに関する先行研究を調べてみたところ、古ラオス文字の形状や正書法の変遷を解明するために同図書館所蔵のバイチュム49通を精 査した修士論文(タイ国シラパコーン大学)があるのみであった。これは歴史的側面を取り扱ったものではないが、巻末に研究対象となったバイチュム49通の翻字を収録しており、タイ国立図書館所蔵の原本を自由に閲覧できない現状では、前出タイ国立図書館版とともにバイチュムの解読・分析を行う際、大きな助けとなる。上記2冊によれば、タイ国立図書館には1600年から1886年の年号を有する69通のバイチュムが保管されており、それらは1880年代に南中国からラオス北部に侵入してきた中国匪賊ホー族を討伐するため、同地に派遣されたシャム軍によってバンコクに持ち帰られたものである。バイチュムの多くはラーンサーン王国 1) の中央政府から地方の首長に送付された「命令書」および地方の首長から中央政府へ送付された「報告書」などからなり、特に国王の名において地方の首長に送られた命令書には首長の任命、首長国の領域、領民支配、国王への貢納、首長国の特産品の取扱いなどに関する記事が数多く見られ、これらを分析することによって同王国の地方統治制度の一端が明らかになるのではという見通しが得られたのである。さらに、国王による首長国の極めて詳細な「領域」画定という事実は、西洋の近代地理学が導入される前から、宗教的(精神的)空間観念とは異なる、領民支配と資源確保(特に森林資源および鉱物資源)をその要諦とする地方統治上の必要から生まれた世俗的(物理的)空間観念が存在していたのではないかという仮説を生み出し、この研究の計画立案につながったのである。

  現在、上記2冊に収録されているバイチュム49通について、テキストの解読および内容の分析を進めている。次回の本項において、その具体的な内容について報告したいと思う。

  1) 18世紀初め、同王国はルアンパバーン王国、ビエンチャン王国、チャンパーサック王国に分裂した。同時代以降、バイチュムはルアンパバーン王国およびビエンチャン王国とそれぞれの支配領域との間で送付された。 

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