報告
ラオス・フィールド・ステーション(LFS)活動報告(平成18年度No.2)
−京都大学(ASAFAS・CSEAS)・ラオス国立大学共同研究プロジェクトの進展(2)−
増原善之 (21世紀COE研究員)

  平成17年度活動報告No.1およびNo.3において報告した通り、2005年8月、LFSはラオス国立大学林学部と協力して、京都大学(ASAFAS・CSEAS)・ラオス国立大学共同研究プロジェクト「在地の知識‐過去、現在、未来‐」を立ち上げ、両大学研究者からなる共同研究チームが、数ヶ月に一度のペースでサワナケート県へ赴き、現地調査を行っている。
  今回は、第3回現地調査および第4回現地調査の模様について報告したい。

ピーン郡パローン村の人々
(1)第3回現地調査の概要(2006年5月22日〜29日)

  本調査では、ラオス国立大学のランプーン・サイウォンサー(林学部講師)、ブントーン・ゲオチャンダー(農学部講師)、プーウィン・プーサワン(農学部講師)、ゲーサドン・シリトーン(林学部・LFS現地スタッフ)および京都大学の虫明悦生(CSEAS研修員)、増原善之(ASAFAS・COE研究員)という従来のプロジェクト・メンバーに、本年2月からサワナケート県チャムポーン郡ガダン村で定着調査を続けている大塚裕之(ASAFAS院生)、さらに日本から竹田晋也(ASAFAS教員)および木村年成(ASAFAS院生)が加わり、参加者は総勢9名であった(プロジェクト・メンバーの研究テーマについては平成17年度活動報告No.3を参照のこと)。これまでの現地調査と同様、メンバーは各々の研究テーマに従って調査活動を個別に行ったが、竹田と木村はランプーンがチャムポーン郡ラオホアカム村およびその周辺で行っているラタンの栽培状況調査に同行した。
  5月28日はメンバー全員でピーン郡パローン村を訪問した。これは、チャムポーン郡で行ってきた聞き取り調査の過程で、「パルーパローン」と呼ばれる村に自分たちの祖先の出自を求める村々が多数存在していることが明らかになり、メンバーの多くがこの村に興味を持っていたからである。現地を訪れてみると、実はパルー村(40世帯余)とパローン村(200世帯余)は別々の村であり、双方ともその住民はモン・クメール系の「マコーン」と呼ばれる民族グループに属し、パローン村の方がパルー村よりも古いということであった。村の歴史に詳しい人々がすでに故人となっていたため、これらの村の起源について詳しい話を聞くことは出来なかったが、フランス植民地時代の状況などについて聞き取り調査を行うことができた。

(2)第4回現地調査の概要(2006年8月23日〜9月9日)

  本調査では、プロジェクト・メンバーのうち、虫明悦生を除く6名が8月28日まで現地調査を行った。虫明はその後も現地に留まり、9月2日にサワナケート県入りした平松幸三(ASAFAS教員)とともに9月9日までラム(語り歌)に関する調査を行った。虫明の調査報告は以下の通りである。
  筆者(虫明)は、今回の調査期間中、主にチャムポーン郡ケンコク村、ソンコン郡ラハナム村で、「ラム(語り歌)」に関する調査、および録音・録画を行った。
  ケンコク村では、郡文化局職員でもあるケーン奏者・ペッソンプー氏を中心に「モーラム・ノーイ(子供の歌い手)」2人によるラム・コンサワンの録音・録画を行った。まわった酒も手伝って、最後には文化局職員宅に保存されている「プラトゥー(ラオスの影絵芝居)」の牛革の影絵人形も持ち出されて、かつての上演風景のひとこまも見ることができた。チャムポーン郡の影絵芝居の歌・伴奏には、やはり地元のラムが用いられていたということで、非常に興味深く見せていただいた。ちなみにこの影絵芝居、ここ10年ほどは上演されていないとのことであった。その他、チャムポーン郡はじめサワナケート県のラムの形成に大きく関わっていた可能性のある軍所属であった「マークゴプゲープ楽団」についてのインタビューを、かつての活動拠点近くのノンホン村で行った。また、郡文化局職員に依頼していた、当郡を題材としたラムの歌詞も3曲分いただくことができた。

モーラム・ノーイ(子供の歌い手)

かつて上演されていた影絵芝居(同左)
(チャムポーン郡ケンコク村)

  他のメンバーがビエンチャンに帰った後、筆者はサワナケート市に滞在し、県文化課長のカムスィット氏、軍の「ラムバンド」リーダーのトゥイ氏らに当県の伝統的ラムや現代ラムの現状等について話をうかがい、また彼らが中心となって行っているビデオCD等の作製現場にも立ち会うことができた。資金も設備も限られた中、様々な工夫をしながらのCD作製にはラオス人らしい創意工夫と柔軟な発想を改めて感じさせられた。カムスィット氏からは、やはり作成を依頼していた「チャムポーン郡の塩作り」、「プータイ族の慣習」をテーマとした歌詞をいただいた。12月にチャムポーン郡で予定されているワークショップの際には作詞者本人に歌っていただくことを考えている。
  9月4日からはソンコン郡ラハナム村(多くはプータイ族)に滞在しながらラムの調査、録音・録画を行った。この地域の大モーラム(歌い手)で83歳になられるメーナーイトーンカム婆さんと彼女の息子・娘たちを中心としたメンバーの歌と演奏は素晴らしいものであった。メーナーイトーンカム婆さんはもともと「ヤオ(病気診断治療儀礼)」の歌い手であるが、おりしもその儀礼がたまたま在村中に行われた。今回は中年女性の歌い手によるものであったが、その歌はラム・プータイの起源を髣髴(ほうふつ)させる節まわしとメロディーであった。また、在村中にはやはりラムの起源のひとつと言われる「アーン・ナンスー(貝葉文書に書かれた民話等を抑揚をつけて読むもの)」も聞くことができた。隣のチャムポーン郡のラムであるラム・コンサワンの節まわしとメロディーに非常に近いものを感じた。

ラムと伴奏(ソンコン郡ラハナム村)

病気診断治療儀礼(同上)

貝葉文書読み(同上)
  最後に今回の調査で興味を引かれた点、新たな疑問等をいくつか書きとめておきたい。
  • 歌い手の多く(子供も含め)は歌詞の不足を口にしていた。今回会ったラムの歌い手の多くはいわば種本でもある貝葉文書や既存歌詞の部分部分をいろいろ組み合わせ、それに自分の即興を交えて歌っているようである。歌詞がさっと出てこないために歌が続かなくなることがしばしば見られた。歌詞集のようなものを地元の人たち中心で作ったりすることも興味深い活動となるだろう。私の持っていた歌詞を丹念に書き写したり、その内容を巡って老人と若手の間で盛んに会話がされたり、思わぬ面でも歌詞作りは今後発展しそうな気がしている。
  • ラム・プータイの起源を病気診断治療儀礼に、ラム・コンサワンの起源を貝葉文書読みに求めることに不自然さは感じられない。
  • 毎年ラオ暦3月に行われるその年の無病息災を祈る儀礼時のケーン伴奏は、サラワン市周辺のラム・サラワンの伴奏に酷似している。サラワンといえば精霊の強いところというイメージが一般にあるが、このことと何か関係があるのか興味深いところである。
  • じっくり聞いてみないとわからないが、メーナーイトーンカム婆さんの歌詞(即興も含め)の方が、若手の歌い手による歌詞よりも地域の自然描写がきめ細かく豊かで、自然や日常生活をモチーフとした比喩も多いように見受けられる。また、儀礼時の歌詞にはいろいろな意味を持つであろう植物が数々登場し、さらに村人の持つ世界観の具体的イメージがくっきりと現れていた。歌い手本人や村のお年寄りによると昔の歌詞の方が、その意味には広がりがあり、また奥深い意味も隠されている、とのことである。

  この共同研究プロジェクトでの調査は今回が最後であったが、以上の点は、今後の調査・録音録画時にもひき続き考えていきたいテーマである。また、村・郡レベルでの地元ラム用の歌詞集作りも始めてみたい。そして地域の人々のくらしに重要な役割を果たしてきた年配の歌い手の方々の歌と語りの記録はもちろんのこと、後継者育成、新たな創作に関わる活動もまさに急務であり、一刻も早く始めねばならないと感じている。
  上記報告でも述べられている通り、共同研究プロジェクトの現地調査は今回をもって終了した。本年12月にはサワナケート県チャムポーン郡でワークショップ「在地の知識−過去、現在、未来」を開催し、プロジェクト・メンバーを中心とするラオス・日本両国の研究者が各々の研究結果を発表するとともに、農業普及や伝統文化保護の現場で働いている方々やチャムポーン郡民の方々と「在地の知識」の意義と可能性について議論を深めることが出来ればと考えている。右ワークショップの詳細については、次回の本稿で報告する予定である。

報告(平成18年度) << No.1

 
21世紀COEプログラム「世界を先導する総合的地域研究拠点の形成」 HOME