フィールドワーク報告
  (1) 研究課題 (博士論文に予定しているタイトル)
(2) 博士論文において目的としていること
(3) そのうち,今回の現地調査で明らかにしたこと
<< 平成14年度 フィールドワーク報告へ戻る
渡航期間: 2003年1月1日〜3月31日, 派遣国: エチオピア
(1) 文脈化されるものづくりの過程: エチオピア西南部オモ系農耕民アリの土器づくり職能集団を事例として
金子守恵  (アフリカ地域研究専攻)
キーワード: 土器,身体技法,女性職能集団,習得過程,創造性


お墓の建設

墓の建設をしてくれた職人Aの夫方の親族たち
(2) 調査地域アリでは、職能集団の女性が地域内で採取した粘土を用いて土器を製作し、人々がそれを調理具などとして日々の生活に用いている。本研究では、現代において土器が日常生活に利用され、かつ地域内で採取できるものを用いて製作され続けていることに注目し、当該地域における土器をめぐる様々な関係性をときあかすことを目的のひとつとしている。そのために、職人たちが保持してきた土器づくりの技術や知識を手がかりにして、製作者と利用者の盟友的な関係や、時に忌避される存在とみなされている職人たちの社会的な位置づけ、土器をめぐる定期市でのやりとりをはじめとした地域経済、そして19世紀に侵入してきたアムハラ民族との政治的な関係等から、土器をめぐる様々な関係性を描き出すことを目的と考えている。

(3) エチオピア西南部オモ系農耕民アリには、カンツァ、ガシマナ、マナとよばれる3つの社会集団がある。カンツァやガシマナに所属する人々は農業を主な生業とし、マナに属する人々は土器や鉄器などものづくりを主な生業としている。これらの集団は、単に生業によって区別されているだけでなく、通婚や共食の禁忌がある。昨年、懇意にさせてもらっていた土器職人Aが亡くなり、調査地に滞在中、S村の職人たちや夫の親族とともに埋葬場所に墓を建てた。その過程で以下の3点があきらかになった。
  1) 職人Aは、マナである土器作りの人々が運営している共同労働組織や頼母子講などの在来組織に加入しておらず、カンツァが中心の共同労働組織に加入していた。マナは、カンツァやガシマナから、穢れていると考えられているため、マナの職人Aはカンツァの人々の助けをかりて埋葬してもらえなかった。最終的には、夫がマナの共同労働組織に懇願し、罰金を支払うという約束をして埋葬された。2)S村における共同労働組織は、この5年間、はじめはプロテスタントがあつまって活動・運営していた。しかし、プロテスタント内部でカンツァとマナが対立する事件があり、それを契機に構成メンバーがさまざまに変わった。現在ではプロテスタントに入信していないマナの人々も加入できるようになった。3) S村の男性の場合、自分の畑の一角に埋葬場所を設けることができる。その一方で、女性である職人たちには共同の埋葬場所があり、職人の親族が夫に特別に交渉しないかぎり、夫の出身村で埋葬される。(他の土器作り村、たとえばG村には男女関係なくクラン別の埋葬場所がある)
  このほかに、共同労働組織の構成員がこの5年間で大きく変化してきたこともあきらかになった。調査者は、約60年まえから布教されてきたキリスト教(プロテスタント)の影響によって、これまでとは異なる集団が形成されはじめたと考えていた。しかし、カンツァとマナという伝統的な社会集団の枠組みも依然として機能していることが具体的な事例で示された。今後は、土器作り職能集団の社会的な位置付けを念頭におきながら、アリ地域における職能集団の共同労働組織の変遷について考察をふかめていきたい。
  上記のほかに、野焼きの温度変化と、職人たちの火入れへの関与の仕方を関連づけて測定調査した。その結果、1) 焼成後約10分後には、400度から600度にまで急激に温度が上昇し、その後、600度以上を一定に保っていた。職人たちは、その一定に保たれたときに土器や「赤くなる」(焼けること)と表現していた。2)燃料として利用する青草は、蒸し焼きの効果をもっており、職人たちは、一定の温度で焼いても「黒くなってしまった(焼けていない)」土器に対しては、再び青草をかけて焼きなおしていた。この成果については、現在投稿論文として準備中である。

 
21世紀COEプログラム「世界を先導する総合的地域研究拠点の形成」 HOME