フィールドからのたより

<< 「フィールドからのたより」一覧へ  
「イサーンに残るよろずの森」
小野寺佑紀(東南アジア地域研究専攻)

写真1 森を案内してくれる村長
写真2 プロットを張って毎木調査をする

  イサーンことタイ東北部の森を調査していると言うと、まだ森があるの?と驚かれることがしばしばある。国立公園ではない片田舎が調査地です、というとさらに不審がられてしまう。私はそんなイサーンで森の調査をしている。

  首都バンコクから高速バスで4時間ほど走ると、イサーンの入口であるナコンラーチャシーマー県に着く。私のフィールドは、そこからさらに3時間のところにあるヤソートーン県である。国道21号線を車で走っていると、はるかに広がる水田の中に、小さな森がぽつりぽつりと点在している。衛星画像で見てみると、それら大小の森がパッチ状に散らばっているのがわかる。この森は、なぜここに残っているのだろう?世界中で多くの森林が失われる一方で、残される森林とはどのようなものなのだろう?そんなことが知りたくて、私はヤソートーン県にある K 郡でフィールドワークをしている。

  調査内容は各森林の毎木調査と聞取り調査で、調査にはムックさんとグンさんという2人の男性に同行してもらい手伝ってもらっている。ムックさんは森林調査の経験があって、頼りになる2児の父である。一方のグンさんはお調子者で木登り上手の独り者。森の中でも、村へ戻ってもよく喋る仲の良い2人である。

  K郡には112の村落があり、13の行政区にまとめられている(2001年現在)。郡の統計データに記録されている共有地のうち、林地は約100ヵ所あり、これらが私の目指す森だ。3人で毎日のように森へ入っては、プロットを張り、樹種を記録し、その場で分からなければ樹木の一部をサンプルとして採取する。プロット1つは10m 四方で、プロット数は森の大きさによって変える。私が GPS を手に、どこにプロットをとるか指示をすると、2人がビニル紐でプロットを張ってくれる。次に、ムックさんが樹幹にナンバーテープを付けていき、その番号順に私が樹種を同定し、グンさんが記録をする。切り取ったサンプルはビニル袋に入れて、村へ持ち帰る(写真2)。

  お昼ごはんは各村々にある食堂で食べるので、その時に村の方々に樹種名を尋ねるようにしていた。調査の日は早朝に市場へ行って、タケで編んだかごにもち米を5バーツ分入れてもらう。村の食堂で注文したソムタム(青いパパイヤのサラダ)とガオラオ(臓物のスープ)、そしてもち米が毎日の献立だ。もち米を手で適量つかみとって柔らかくし、ソムタムをつけて食べる。このお昼時が村の人と一番コミュニケーションを取れる時間で、どの村へ行っても2人はとても気さくに村人に話しかけ、樹種名やその利用方法を聞きだしてくれる(写真3)。

写真3 牛の放牧にきていたおばあさんに話を聞くムックさんとグンさん
  聞取り調査は、村長を対象に行う。質問は、村にある森の数とその名前、利用方法、管理方法、そして簡単な歴史だ。時間があれば、お願いをして森へ連れて行ってもらう。イサーンでは、普段はタイ語よりもイサーン語(ラオス語の方言にあたる)を話す。私のタイ語をムックさんがイサーン語に訳し、村長の答えはグンさんが野帳に記録する、という役割分担をしていた。村を訪問するときに、2人が村人とよく話すのは、選挙のこと、政治のこと、そしてヤソートーン名物のロケット祭り (bun bang fai) だ。毎年5月から6月にかけて各村ではロケット花火を打ち上げ、踊り、歌って雨乞いをする。

 

写真4 森で採れたキノコ 写真5 自然教室にある森の案内図
  ロケット祭りが盛んな時期の調査中に、私達はヘットコーンと呼ばれるキノコ (Termitomyces spp. AMANITACEAE) を発見した。首都バンコクへ行くと、このキノコが入ったスープは1杯何百バーツもするが、バンコクで生活する多くのイサーン出身者はそれでも好んで食べているそうである。さきほどのソムタムが1皿10バーツであることを考えればいかに高価なものか分かるだろう。この日は「ユウキ、今日は調査よりもキノコ探しだ!」ということで、3人で必死になって探した。たくさんのキノコが採れる雨季には、森で驚くほど多くの人に出会う。とくに雨が降ったあとはキノコがいっせいに出てくるので、老若男女がおのおの手にかごを持って、お互いに位置を確認するために声を掛け合いながら歩く。「ミーヘットボー?(キノコとれた?)」は森の中での挨拶だ。こう尋ねると、嬉しそうにかごの中身を見せてくれる。イサーンの人々にとって、キノコは食卓に欠かせない食材であると同時に大事な収入源である(写真4)。

  ではこのキノコたち、どういうところでよく採れるのだろう?私たちが見つけたのは、ある村のはずれにある小さな森だった。そこは、村からかなり距離があるためにほったらかしになっている森だ。村の人に尋ねると、郡でキノコが一番よく採れるのはマップリックの森 (dong maprik) だと答えてくれる。マップリックの森は、この辺りで一番大きな面積を誇る森で、今は保全林になっている。農地として使われないまま残されているうちに森林そのものの価値が重要視され、村や行政区をあげて決まりを作って管理を行うまでになっているのだ。遠くからも車でやってきて、たくさんの人がキノコを採取していく。ヘットコーンは一般的にはヘットプルアク(プルアクとはシロアリのこと)と呼ばれており、マップリックの森のように暗くてうっそうとした森はいかにもたくさんキノコが採れそうなのである。

  調べていくうちに、残された森というのは実にさまざまであることが分かってきた。村の近くには、ドンプーター (dong pu ta) と呼ばれる、村の精霊をまつる森がある。これは、邪悪なものから村を守るために村を建設するときに作るもので、なかには小さな祠があり、年に数回先祖をもてなす儀礼を行う。こういった森は、長期にわたって攪乱されていないために、ヤーン (Dipterocarpus alatus) やバーク (Anisoptera costata) といった幹の直径が 1m にもなるような大きな木が見られる。他の森では伐採されてしまったプラドゥー (Pterocarpus macrocarpus) や タベーク (Lagerstroemia sp.) といった有用材もドンプーターでは大きなサイズの個体が見られる。遠くからもよく見えるので、この森を目指して行けば村へたどり着けることがある。また、村の西には墓場の森であるパーチャー (pa cha) がある。かつてはここに遺体を埋めていたが、最近はお寺で埋葬することが多くなり使われないまま放棄されている。村人は気味悪がってほとんど利用しないので、ここは樹木の密度が高く、容易には入れない。

  それ以外の森は日本で言う里山のような役割を担っている。その多くではかつて焼畑を行っていた。第二次世界大戦以前は自家用の野菜や米を栽培していたが、大戦以降は年代によって、ワタ、ウリ、ケナフ、キャッサバと栽培作物が移り変わる。現在は焼畑耕作を行わなくなっているが、日常的にキノコやタケノコ、薬草、食用の葉や花、昆虫、果物、薪炭材などを採取する場となっている。このような森では、萌芽更新を行っているブナ科樹種 (Lithocarpus sp.) の現存量が多くなっていた。

  もう少し複雑な歴史を持つ森もある。プラーイット村の森はもともと墓場の森として利用されていたが、いつからか寺での火葬が主流となり、この森では焼畑が行われるようになった。ところがある時から僧侶が森の保全に取り組みはじめた。タイで信仰されている上座部仏教タマユット派は、林の中での瞑想を大切な要素としていることから[プラチャイヨー 1997]、僧侶が森の保全に取り組むことは少なくない。これ以降村人は伐採をやめて野火の管理を行い、現在では国から表彰されるほど立派な森となっている。その他にも、自然教室となっているかつてのドンプーターや、寺に寄付された里山、今は里山として利用されている村落跡地などひとつひとつの森には異なる履歴があることがわかる(写真5)。

  現時点で確認される樹木の密度や種組成といった特徴は、その森の利用の履歴を反映していると考えている。今ある景観は人々の資源利用の方法が変化していくなかで、土壌条件や民俗、歴史の影響を受けてその時々で姿を変えながら保たれているようだ。

  ところで、グンさんは調査を通じて薬草採りに目覚めた。名前の分からない植物があると、村へ戻って植物をよく知っているモーヤー(村の医者)に尋ねるうちに仲良くなり、自分でも採りはじめたのだ。今も修行を続けているのだろうか。よろずの森がこれからもイサーンの人々とともにあり続けてくれることを願わずにはいられない。

引用文献
プラチャイヨー,ブアレート.1997.「ワット・パー,森の寺」京都大学東南アジア研究センター編『事典東南アジア』古川久雄訳,弘文堂,404-405.

『アジア・アフリカ地域研究』第5-1号掲載: 2005年10月発行 (一部改訂)

 
21世紀COEプログラム「世界を先導する総合的地域研究拠点の形成」 HOME