フィールドからのたより

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インド、ダム水没地テーリーとガンディー主義者
石坂晋哉(東南アジア地域研究専攻)
写真1 テーリーの町、家の残骸が並ぶ
(2003年2月28日筆者撮影)

  

  私のフィールドは、凄まじい場所である。

   破壊された家の残骸が並ぶ殺伐とした風景。昼夜を問わず走りまわるトラックの轟音が周囲の山々にこだまし、工事現場からはときどきダイナマイトの爆音とともに振動が伝わってくる。そして、淀んだ水がすでに町の大半を取り囲み、町全体を呑みこむ日をいまかいまかと待っている。私の調査地、北インド・ウッタラカンド地方(ヒマラヤ山岳地帯)のテーリーは、ダム水没予定地である(写真1、2、3)。

 

 

写真2 テーリー・ダム建設のトラック
(2004年7月25日筆者撮影)
写真3 テーリー全景
(2004年9月21日筆者撮影)
写真4 時計台 (2003年2月28日筆者撮影)
  テーリーは美しい町であったという。なるほど、町の高台にはゴシック様式の立派な時計台の残骸が残っている(写真4)。この時計台は、インド皇帝ヴィクトリア女王の在位60年を記念して時のテーリー藩王(マハーラージャ)キルティ・シャー(在位1892-1913)が1897年に建てたものである。また町を見下ろす丘の上にはマハーラージャの宮殿が聳えていたということだが、残念ながらそれは現在、すでに跡形もない。

  大河ガンガー(ガンジス)川の本流バーギーラティー川と支流ビランガナー川の合流点にあるこのテーリーの町は、川の合流点に聖性が宿るというインドの観念によって、聖なる場所とされている。そのため、ヒンドゥー教の寺院をはじめとして、イスラームのモスク、スィク教のグルドワーラーなどの宗教施設も集中していた。テーリーは、ガンガー源への巡礼中継地として、また周辺地域の交易の中心地として、さらにヒマラヤへのトレッキング路の中継地として、数年前までは大変な賑わいをみせていたようだ。

写真5 完成間近のテーリー・ダム
(2004年12月12日筆者撮影)
写真6 ガンディー主義者、スンダルラール・バフグナ氏(2003年2月27日筆者撮影)

   このテーリーの町が美しさと活気を失っていくことになった元凶は、テーリー・ダム建設計画である。世界第6位の堤高 (260. 5m) をもつ巨大なテーリー・ダム(写真5)は、デリーなど平野部の大都市に電力と飲料水を供給することを主な目的とし、さらに灌漑と洪水制御の機能をも併せもつ多目的ダムである。このダムの建設は、インドが誇る近代的なプロジェクトであるが、一方で地元社会は、テーリーの町とその周辺の40村が完全に水没、少なく見積もっても7万5, 000人以上が立退きを迫られるという重い代償を払わなければならないことになったのである。

 テーリーでは、1978年のダム建設起工以来、建設計画の見直しと立退き者への正当な補償を求め、強力なダム反対運動が展開されてきたが、そのテーリー・ダム反対運動を指導してきたのが、ガンディー主義者のスンダルラール・バフグナ氏(写真6)である。

  インドでは、「あらゆる良心的知識人の心のうちにはガンディー主義とマルクス主義のどちらが優位かという葛藤がある」[Guha 2001: 1]と言われるように、独立運動の指導者 M. K. ガンディーの思想と実践に源流をもつ「ガンディー主義」のインパクトが現在も大きい。なかでも「ガンディー主義者」たちは、みずからの生を、みずからの生活のあらゆる側面を、そのガンディー主義の精神に基づいて送っている。そうしたガンディー主義者のなかでもとりわけ有名なのが、このテーリーに住むスンダルラール・バフグナ氏であり、私は、彼の思想と実践について研究している。

  さて、私がこのテーリーの町を初めて訪れたのは、2003年春(2月)であった。

   テーリーの町はすでに、多くの人が立ち退いた後で、ほとんどゴーストタウン化していた。メインストリート沿いには、小さな食堂や床屋、服屋、雑貨屋などがそれぞれ2〜3軒ずつ残っているが、人影はまばらで、ひっそりとしていた(写真7)。そして、町はいたるところ崩れた建物の残骸だらけである。立退きが済んで主人のいなくなった家は、当局のブルドーザーによってつぶされることになっているためだ。「なにもそこまでしなくても」と思うのだが、頑として立退きを拒否し続ける残留民たちにプレッシャーを与えたいという行政側の焦りが伝わってくる。美しかったテーリーの町がこうして徐々に破壊されていくさまを目のあたりにしながら毎日を暮らしている住民たちの心中は、察するに余りある。

写真7 テーリーのメインストリート
(2003年2月28日筆者撮影)
写真8 廃墟となったテーリーのメインストリートを歩く子羊
(2004年9月21日筆者撮影)

   そんななか、忘れられない光景があった。テーリーには野良犬が多いのだが、そのなかに、前足に包帯を巻いた犬がいたのである。瓦礫の破片かなにかでケガをしたのだろうか。私はインドの他の町で、ケガや病気の野良犬が忌み嫌われ追い払われている光景をしばしば目にしてきたが、この水没寸前のテーリーの町には、ケガを負った野良犬の手当てをしてやるような心温かい住民がいるのだ。殺伐とした雰囲気のなかで私は一瞬、胸が熱くなった。

   このテーリーの町が、翌年2004年夏(7月)の雨季の増水時に、一度水没した。私は、その後いったん水が引いた後のテーリーに行ってみた。

   まさに廃墟であった。あまりにもひどい。いったん立ち退いたものの、新しい家が整備されていないから戻ってこざるを得なかったという元・町民が数家族、かつての自宅や小学校跡地などで過酷な生活を送っていたが、ほかには誰も住んでいない。また、不思議なもので、猿や牛や豚などは見かけるが、かつてあれほどたくさんいた犬は一匹も見当たらない。あの包帯を巻いてもらった犬は、どこへ「立ち退いた」のだろうか(写真8)。

   メインストリートを歩いてゆく。一歩一歩歩を進めるたびに、白い砂が舞う。水没した際に運ばれてきていた砂が、地面に分厚く堆積しているのだ。テーリー・ダム問題の争点の1つは、土砂堆積率の高いヒマラヤ地域の川に作られるこのダムの寿命がいったい何年くらいかという点であった。行政サイドは100年はもつと主張し、反対運動側はせいぜい30年ほどしかもたないと主張している(もちろんいずれの推定も、それぞれ別の専門家による調査結果に拠ったものであるが)。そんな話を思い出しながら、道端の石に腰掛け、靴に入った砂を取り除いていると、しかし遅かれ早かれここにこうして砂が堆積していってダムが使い物にならなくなる日が来るのはたしかなわけで、なんだか虚しいような儚いような腹立たしいような思いにとらわれた。そして同時に、こういう文明のあり方はどこか間違っているのではないかと思わざるを得なかった。

   テーリーの状況について、デリーなど大都市に住む人たちが次のように語るとき、私は、そのあまりにも露骨な、傲慢で冷酷な語りに対し、ときに返す言葉を失ってしまう。
「多数の幸福のために少数の犠牲があるのはやむをえないことさ」「テーリーの町が滅ぶのは仕方がないと思う。栄えるときもあれば滅ぶときもある、この世界はそういうものだから」まるで他人事である。

   本来、自己犠牲のみが“犠牲=供儀 (sacrifice)”である、つまりみずからその痛みを共有していなければ犠牲の暴力性は正当化され得ない、という話がある[Das and Nandy 1985: 186]が、スンダルラール・バフグナ氏は、テーリーを他人事にせず、犠牲者にされなんとするテーリーの人々と問題を共有し、まさに痛み・悲しみ・苦しみをともにしてきた。彼は、水没予定地域の外にあるアーシュラム(共同生活所)での生活を捨てて、テーリーの町に住み込み、先頭に立ち、テーリーの人々とともに闘ってきたのである。2004年夏にテーリーの町が水没したとき、文字どおり最後まで町に残っていたのは、ほかならぬバフグナ氏であった。

写真9 ガンガーに向かって朝の祈りを捧げるバフグナ氏 (2004年12月22日筆者撮影)

   田中正造や石牟礼道子をはじめ、もっとも苦しんでいる者と苦しみを分かち合おうとするような(それは現代社会においては「非近代的な奴隷の視座に立つ[Nandy 1983: xi-xii]」ことであるが)、そういう、バフグナ氏に類する人物は日本にも少なからず存在する。しかしインドの場合、こうした人物類型が“ガンディー主義者”の伝統として存在しているところに特徴がある。アーシュラムなどで簡素な生活を送りながら、もっとも苦しんでいる者に自己を同一化させ、非暴力的に、人々の良心に直接訴えかけるという手段を通じて公正な社会を実現していこうと地道な活動をしているガンディー主義者のネットワークが、インドには存在するのだ。

   バフグナ氏は毎朝毎晩ガンガーに向かって祈りを捧げるが、どうしようもない壁にぶつかったとき、孤独な思いにとらわれたとき、しばしばこの祈りの最中に、インド各地で活動しているガンディー主義者の同志の顔が自然に思い浮かんでくるという(写真9)。インドには、そういう底力が存在しているのだ。

 

引用文献

Das, Veena and Nandy, Ashis. 1985. Violence, Victimhood, and the Language of Silence, Contributions to Indian Sociology 19(1) (January-June 1985): 177-195.
Guha, Ramachandra. 2001. An Anthropologist Among the Marxists and Other Essays. New Delhi: Permanent Black.
Nandy, Ashis. 1983. The Intimate Enemy: Loss and Recovery of Self under Colonialism. New Delhi: Oxford University Press.

『アジア・アフリカ地域研究』第5-1号掲載: 2005年10月発行

 
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