フィールドからのたより

<< 「フィールドからのたより」一覧へ  
プナンとの植物採集
小泉都(東南アジア地域研究専攻)

村へカヌーで向かう様子
ラロさん
  ボルネオ島にプナンという狩猟採集民がいる。いまでは稲作をしているので、正確には農耕民化した狩猟採集民といえる。またボルネオ島は豊かな植物相をもっている。この植物をプナンがどう利用しているのか、どう認識しているのかというのが私の研究テーマだ。

  研究対象地の村は山間の川の岸にあり、町からはずいぶん遠いがボートだけでたどりつける。昔は奥地の山の尾根部を転々としていたというので、ある意味で研究しやすくなったといえる。もっとも伝統的な生活がみられないという点では残念なのだが。さて、この村のまわりの森で村人(インフォーマント)と植物採集をしながら植物についてあれこれ教えてもらうというのが私の研究の基本作業だ。植物を知っているというだけなら多くの村人がインフォーマントたりえるのだが、現実には教え上手な相手でないと難しい面がある。第1に言葉の問題。私がプナン語を少ししか話せないため、インタビューは基本的にインドネシア語で行う。でも、村人の中にはインドネシア語のあまり上手でない人もいる。かといって、あまり流暢にしゃべられるとこちらの理解がおいつかない。また単なる単語力の問題だけでなく、日本人の私にはなじみのない物や概念が話にでてくることもある。10人ほどの人と植物採集に出かけてみたが、その中でラロさんというおじさんが教え上手だった。ラロさんは、私が教えられたことを理解できないときにも、表現をかえたり実演してくれたりと上手に説明してくれる。そんなわけで、ラロさんとよく植物採集にでかけることになった。

  植物採集に出発するときには、この前は上流のほうへ行ったから今日は下流のほうへ行くかなどというふうに適当に方面を決める。川沿いに歩いて適当に村から離れたところまでくると、森の中へはいっていく。時々、ラロさんが「これはもう採ったか?」などと植物を示す。ラロさんとだけ植物採集をしていればきっとラロさんが採った植物をほとんど覚えてくれているだろうけれど、他の人とも植物採集をしているのでそうもいかない。私の記憶は大雑把な植物のグループについてくらいで(植物分類学でいうと科や属レベル)、その種を採ったかどうかまで覚えていないことがほとんどだ。「うーんこれは採ってないかもしれないから採っておこう」ということになる。花や実がついている植物があれば、私のほうから「これは何?」と訊いて採集する。そういった植物は同定しやすいうえに、彼らが選んだわけではない植物に対してどんな答えがきけるのかにも興味があったのだ。ラロさんが「これは知らない」といったのは腐生ランだけだった。他にもいくつか名前を答えてもらえなかったものがあったが、それは地面に落ちていた花などで知らないというより分からないというべきものだった。

  そんなふうにして 500 種を超える植物を採集した。ラロさん以外の村人も「この植物は知らない」ということはほとんどなかった。種レベルではっきりと覚えているかというとかなりあやしい部分もあるが、いくつかの種を含むようなグループ名を彼らが答えられなかったことはほとんどない。後で同定してみると、同じグループ名を与えられた植物はたいてい系統的に近いもので、プナンが植物自体の類似性で植物に名前をつけていることと、彼らがいい加減に答えていたのではなかったということが分かった。むしろプナン名を頼りに同定した面もある。たとえば、2 つの植物が同じグループ名を与えられていたが、1 つは A で 1 つは B という科の植物だと思って同定してみても B の科のほうの植物がうまく同定できない。念のためと、A の科の植物にあてはまるものがないかと調べてみると、これがうまく同定できてしまう。こういうことが何回かあった。花や実がある標本だとこういうことはあまりないのだが、葉だけしかない標本は、研究者にとっては決め手になる情報量が少なく同定が難しい。村人はそうではない。葉だけでも樹皮だけでもどの植物か分かってしまう。少し話が脇道にそれるが、村人は意外と花のことを知らない。重要なフルーツの花などはさすがによく知っているが、それ以外は曖昧にしか覚えていない。葉は1年中ついているし、幼木のときから当然ある。樹皮もいつも目にするものだ。それに比べ、花は短い期間しかつかないし上から落ちてきたものを目にするだけのことが多い。しかも花自体を何かに使うということはほとんどない。そんな理由で、花のことはあまり知らないでいるのではと推測している。

   さて話を戻して、グループ名とはどういうものか例をあげて説明しておこう。日本人にとってもなじみのあるものでは、サクラ属の植物はプナン語でボトレイと総称されている。これがグループ名だ。この中に、ボトレイ・ムンやボトレイ・マルイといったいろいろなボトレイの種類がある。これを個別名とよんでおこう。マレー系の言語は名詞の後に形容語をもってくるので、ボトレイの後のムンやマルイがボトレイを形容している。最初に名前を訊くとたいてい「ボトレイ」のようにしか答えてくれない。こちらがふむふむとその名前をフィールドノートにつけて、しばらくするとまた「ボトレイ」が登場する。その「ボトレイ」は、前の「ボトレイ」とは違う。「これは、さっきのと同じ?」と訊くと、いやいや前のはボトレイ・ムンでこれはボトレイ・マルイだということになる。私が同じかと訊くのは、実は別物だと分かっていても村人がどう植物を見分けているかを知りたいからだ。村人が答えるグループ名が正確だと先に書いたが、個別名のほうはあやしい。この個別名の「あやしさ」、いいかえると個人個人の認識の曖昧さや個人間での知識の違いを次には研究してみたいと思っている。

標本乾燥につかっていたオーブン
  ところで、誰でも同じくらい植物を知っているかというとそうではない。子供たちがまだ植物を知らないのは別として、とくに若い年代の女性が知っている植物が少ない。私が標本押しをしているのをみながら、「これは何々でしょう?」などと訊いてくるのだがこれがよく間違っている。あたらずしも遠からずということもあれば、全く見当はずれなこともある。誰でも知っている(と、あまりにいろんな人が教えてくれるので私が思っていた)ある薬用植物を知らない女性がいた。20 代前半だが子供も 2 人いる女性だ。村に住込みで来ている小学校の先生がツヅラフジ科の薬用植物を育てていたので、「プナンはラク・ツアックというこれに近い植物を薬に使うよ」と私は話しかけた。そこへその女性が通りかかったので確認のためにその話をすると、ラク・ツアックという名前さえ知らないという。これには少し驚いて、後でこの話を彼女の父親にした。父親はラロさんだ。私は、もしかしたら彼女は恥ずかしくて知らないと言ってしまったのではないかとも思っていた。でも、ラロさんは「彼女はまだ若いから知らなかったんだと思う。彼女も年をとれば知るようになる」と答えた。しかし、本当に知るチャンスがあるのかどうか疑問だ。村人たちは、子供があるていど大きくなる(日本でいう中学生くらい)と植物を教えだすのだという。しかし、農耕民化してしまった現在では女性が森で過ごす時間は少ない。男性は狩りや林産物の採集でよく森にはいっているのだが、女性は村や焼畑で過ごす時間が長い。親に教わるチャンスが限られてしまったのではないだろうか。

現在の主食のコメを脱穀する女性たち
サゴとイノシシの皮と血でつくった伝統食
  2、30 年前には状況は異なっていたようだ。ラロさんはお父さんを早くに亡くしてお母さんから植物を教わったというし、おばあさんに植物を教わったという 30 代前半の男性もいた。この村の村長は 40 代半ばで、吹き矢などのものづくりが得意な人だ。彼と植物採集に行ったときには、奥さんが一緒だった。自分は村で生まれ育ったけれど、奥さんのほうは子供時代よく森で暮らしていたので自分より植物をよく知っているからと。奥さんも 40 代半ばくらいだが、若い女性とは違い実際よく植物を知っていた。ところでこの日は植物採集の途中でイノシシが獲れた。たいていのインフォーマントは、植物採集のついでに狩りや林産物採集を行う。こちらにとっても実際の暮らしをみるいい機会だ。歩いていて、目的にちょうどいいものがみつかるとササッと採集してしまう。この日獲れたイノシシは、すぐに切り分けて籠に詰めて奥さんが背負った。こぶりのイノシシではあったが、私なら持ち上げるだけでやっとの重さだ。それを小柄な奥さんが担いで裸足ですたすた歩いていくのには植物のこと以上に感心した。また彼女は木登りも上手だった。本当はそれほど年寄りではないけれど、見た目は今の日本なら 70 歳といってもとおりそうなくらいだ。「おばあさん」が枝のない幹を手と足だけでスルスル登る姿は新鮮だった。

   一般的な傾向として、狩猟採集民は生物名語彙を農耕民に比べて発達させていないといわれている。また逆に、狩猟採集民を直接に知らない人は、狩猟採集民というと怪しげな呪術を使う人々というようなイメージをもっていることもある。私の調査しているプナンの場合そのどちらでもなかった。植物によく名前をつけているしそれぞれの植物についてよく知っている、とはいえ呪術的に植物を使うことはほとんどない。一般論や先入観に対して自分でデータをとって確かめていく、あるいは覆していく、フィールドワークの醍醐味の1つだと思う。さて次の課題は、こうして現実をとらえた後でもっと踏み込みたいことをみつけ、そのためにはどうやって研究すればいいのか考えて次へ進んでいくことだ。私にも次に知りたいことがいろいろある。自分で考えて自分で実行するフィールドワーク、楽しいですよ。

『アジア・アフリカ地域研究』第4-1号掲載: 2004年7月発行

 
21世紀COEプログラム「世界を先導する総合的地域研究拠点の形成」 HOME