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マトの「違い」

坂井紀公子

  

ここはケニアの地方都市マチャコスにある公設いちばです。私は1996年以来このいちばに通って商人たちに商売に関する様々な知識を教わっています。いちばで売られる品物は大半が農産物です。そしてそれらを売る人びとの9割が女性で占められています。どうして?というお話は別の機会にして、今回はトマトの売買をめぐって感じたことを話したいと思います。公設いちばは卸売いちばと小売いちばに分かれおり、ここ、卸売いちばでは、真っ青な空の下で大勢のトマト売りが、隣接した小売いちばの商人や周辺村落のいちば商人を相手に商売をしています。青い空と赤いトマトのコントラストはいつ見ても印象的な光景です。
 ところ変わって小売いちばの中です。卸売とは違って売り手はトマトだけではなく複数の品物を扱います。売り手は品物ごとに丁寧に積んで山を作り、一般消費者を相手に山単位で売ります。小売いちばでも大半の売り手がトマトを扱っています。このママの横のママもその横のママも、向かいのママも斜め向かいのママも・・・というように。さて、こんなに大勢がしかも並んでトマトを売っていて商売になるんでしょうか?
 小売いちばでは私も客のひとりです。マチャコスへ来たばかりの頃、トマトを買うためにいちばをうろうろ。赤く熟れ、絶妙なバランスで山が積まれ、ひと山の分量が多い、そのようなトマトの山を探して目をキョロキョロさせています。その間、「うぇっ!」「うぇっ!」「うぇーっ!」(この地域の言葉カンバ語であなたという意味です)という私を呼ぶ声がいたる所で上がります。声のトーンから「ちょっとあんた!あんたってば!買っていきなさいよ」と乱暴に呼び止められているように聞こえ、「ムッ、失礼な人ばっかり!」と思いながら買うトマトを吟味したものです。質と値段で納得のいくトマトを買いたい私VS一見客にトマトを売りたい多数の商人。騒がしい戦いとでもいいましょうか。

ママたちと私が互いに慣れ、親しくなったママもできた頃のことです。 「ムンブ、元気かい?」「こんにちは、ママ」。ムンブとは私のあだ名です。「ママ、ジャガイモをひと山ちょうだい」。「よしきた。トマトは買わないの?」あと20メートルほど先に美しく積まれたトマトの山が見えています。ここで「まだあるから」と答えて、その後20メートル先でトマトが買えるだろうか。はたまた「このトマトはおいしそうじゃないから別のところで買う」なんてことが言えるだろうか。

 一瞬の沈黙の後、私は「あぁー、ひと山入れておいて」といってしまいます。さえないトマトを持ち、顔には苦笑いを浮かべつついちばを後にする、というパターンを繰り返すようになりました。質と値段で納得のいくトマトを買いたい私VS知り合いにトマトを売りたい商人(+と考える私)。静かで複雑な戦いです。思い通りのトマトを買うことは難しい。
 売り手と私の交換は、「トマトそのもの」と「お金」から、「親しさとトマト」と「親しさとお金」の交換へと変わっていったようです。

 「トマトそのもの」の交換の際には、おいしそうに見えるトマトは買い手にとってお金と交換したい基準となります。だから売り手は丁寧にトマトを積むのです。しかしそこに「親しさ」が加わると、買い手にとっての交換の基準が必ずしもおいしそうなトマトではなくなるようです。おそらく、私に向かって「うぇっ!」「うぇーっ!!」と叫んでいたママたちは、「ちょっと、あんたーっ!買っていきなさいよ」ではなく、「ちょいと、そこのあんた、親しくなろうよ」と、親しさをつくろうとしていたんだろうな。「親しさとトマト」という売り方はさえないトマトを仕入れた時でも、私みたいな客が買っていくんだもんな。すこしトマトの「違い」に厚みを感じた気になった私でした。
 そんなとき、親しいママたちが店番をしてみたらというナイスなアドバイスをくれました。つまり今度は買い手としてではなく、売り手としてトマトの交換に参加できる機会がもてるのです。買い手であった私にとって、売り手は「親しさ」を押しつけてくるように感じたのですが、他の買い手はどう対応しているのでしょうか?私は「親しさとトマト」という売り方ができるのでしょうか?
 いちばの始まりは早朝5時半です。ママたちは口々に、「でもちゃんと野菜を積めるんかね、だいいち朝早くにいちばへくることができるんかねぇ。」と冷やかしますが、もうやる気になっている私です。次回は「親しさとトマト」の売り買いにチャレンジしたお話をしたいと思います。




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