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オルくんは学校に戻った(1)

孫 暁剛

  

  このごろ毎晩のように砂嵐が吹く。ダロくんのお母さんが亡くなったあと、集落は慣習に従って引越しをした。前の集落地は石ころの多いところだったから、よほどの強風でなければ砂がまい上がることはない。しかし今の集落は一面に広がる砂地の上にあり、風が吹くと砂はたちまち嵐のようにあらゆる方向から集落に打ちつけてくる。
  調査地にいるとき私はいつも、夜になると一人用のテントをたてて寝、朝起きるとそれをたたむ生活をしている。昼となく夜となく吹きつける突風と、日中40℃を超える暑さと、地面をフライパンに化けさせるほど容赦なく照りつける太陽の下で、ただ一つのプライベートな場所を提供してくれるナイロンテントの寿命を少しでも延ばしてあげたいからだ。しかしこの一週間ほどは、雨よけのフライを掛けても、朝になるとテントの中に砂塵が漂い、口の中に砂でも食べたようなザラザラした感じがする。11月の小雨季が来るまで、このような砂嵐は日常茶飯事だと人びとはいう。
  昨夜はめずらしく静かな夜だったなぁ、テントをたたみながら私は思った。集落を離れることを知ったレンディーレ・ランドの神さまは、せめて最後の夜だけはお前を快適に眠らせてやると親切にしてくれたのかもしれない。約一ヵ月半の調査を終え、今日は集落と分かれる日だ。

  朝一番、トオルくんが訪ねてきた。学校に行くから見送りはできないが、記念写真を撮ってくれと彼がいう。小学校の制服の赤いシャツに、私があげた運動着の短パンを着ていた。集落の家と家畜囲いをバックに写真を撮ってあげた。朝日のなかで、彼の色褪せた赤い制服は鮮やかにみえた。以前約束していたサイエンスのテキストを買うお金を渡して、「小学校を卒業するまでちゃんと勉強がんばれよ」と最後の握手をした。学校は10キロ離れたコルという町にある。町の近くにスルワという小高い丘があり、集落からもその丘の頂上がみえる。トオル少年は丘の方向にむかって早足で歩き出した。朝日が作り出した長い人影と競走するかのように、原野のなかで小さくなっていく彼の後ろ姿をみながら、私は5年前のことを思いだした。

  1998年末、東アフリカの乾燥地に暮らす遊牧民の予備調査に、私ははじめてケニア共和国の北部に位置するレンディーレ・ランドに足を踏み入れた。ケニアの首都を出て2日目、未舗装の幹線道路を離れて、ブッシュの中でひたすら走って2時間、見渡すかぎりの岩石砂漠に突如集落が現れた。車を止めて大学院の先生のうしろについて集落に入る私は、すごいところに来ちゃったと半分興奮ぎみで半分ドキドキした。
  「雨がほとんど降らない岩石砂漠に、ラクダとヤギ・羊に依存する専業遊牧民レンディーレ」というテキスト的な知識しかなく、言葉はまったくできない私は、これからの約一ヵ月間、この集落でホームステイをするのだ。懸命に笑顔をつくって集落に入る私に、子どもたちが群がってくる。そのなかでただ一人英語で「How are you? How are you?」と叫びながら私の手をつかもうとするのがトオルくんだった。あのとき、集落に滞在した約一ヵ月間に、彼は私の通訳兼レンディーレ語教師と自認して、私がどこへ出かけても影のようにそばについてきた。
  当時のトオルくんは小学校4年生だった。ケニアの小学校では共通語としてスワヒリ語と英語を教えるが、英語は3年生から始めるらしい。そのためトオルくんはまだ片言の英語しか話せなかった。しかし集落のなかで大人もふくめてほとんどの人は学校を通ったことがなかったから、トオルくんの片言の英語でも私にとっては頼りになるものだった。
  しかし思えばあのときのトオルくんはあまり好かれる子どもではなかった。町の学校に通っていたせいか、どこの町にもいるような仕事もなくぶらぶらしている若者のまねをして、子どものくせによく英語を口ずさんで派手なふるまいをした。集落の子どもたちはほとんど上半身が裸で腰に一枚の布を巻いているようなかっこうだが、彼はなぜかいつも短パンをはいていた。(写真中央、ミネラルウォーターのボトルを持っているのが1998年当時のトオルくん)

  レンディーレの人びとはつい20年前まで、ラクダとヤギと羊をつれて水と牧草をもとめて移動する生活を送っていた。1980年代初頭に東アフリカの広域を襲った大干ばつをきっかけに、国際機関による開発援助が入り、放牧地だったところに小学校・診療所・教会・売店などを備えた町ができた。人びとは食料援助をうけるために町の周辺に住むようになり、子どもを学校に通わせる人も現れた。トオルくんのお母さんもその一人だった。トオルくんは6人兄弟の次男で、上に兄と姉が一人ずついる。父親は彼がまだ幼いときに亡くなり、残した家畜は長子相続制に従い彼のお兄さんが管理することになった。集落での家事労働は彼の姉や妹がやっているので、彼は学校に行くことになった。(つづき)

(左の写真はレンディーレの環状集落、右はレンディーレ・ランドの原野にある唯一の町コル、1970年代後半に現れ、現在も拡大しつづけている)




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