成果と課題

2日間にわたっておこなわれたシンポジウムには、マケレレ大学の学生を中心に300名近くの来聴者が訪れた。シンポジウム終了の翌日にマケレレ大学のある教授を訪ねてこの数字を報告したときには、「それはとても多い数字だ」と驚いておられた。これには、波佐間が5月にマケレレ大学でおこなったセミナーや、佐藤と森口が組織した準備ワークショップをとおして、シンポジウムに関する情報伝達を広くおこなってきたことが貢献したと考えられる。

これらの来聴者は、ディスカッションの時間においても多くの発言をおこなった。とくにBセッションの佐藤と大門の発表内容は「地元」の事象を扱っていることもあり、議論が白熱した。大門が発表した「カリオキ・ショー」に対しては、「あれは酔っ払ったマインドレスな人びとの娯楽であり、『文化』と呼べるようなものではない」との指摘がなされたが、これに対しては会場のなかから反論の声が上がった。日本の学会やシンポジウムではまず見聞きすることのない、「現地」開催ならではの質問と議論の展開であり、興味深かった。
もうひとつ印象的な聴衆からのコメントを紹介しておこう。「これまで幾度も、アフリカのことを扱ったシンポジウムなどに参加してきた。しかしそれらのシンポジウムのテーマはいずれもアフリカの『問題』や『危機』をテーマにしたものであった。それに対してこのシンポジウムは、アフリカのよりポジティヴな側面が語られており、新鮮だった」。

一方、ディスカッサントである日本の長島信弘からは、「日本人の発表者は、欧米人類学のバイアスを批判して自分の議論を組み立てている。それでは日本人研究者にバイアスはないのか」との指摘がなされた。これはシンポジウム中の議論では十分な答えをだすことができなかったが、今後研究を進めていく過程でつねに問い直すべきおおきな問題である。

シンポジウムには現地の新聞やテレビ、ラジオの取材クルーが訪れ、翌日の紙面にはシンポジウムの様子や写真がとりあげられた。佐川の発表した内容の一部も新聞にとりあげられた。しかしそれは佐川が意図した内容とはまったく異なった観点からの取り上げられかたであった。これは佐川自身の反省点であるが、発表に用いるデータの選定やスライドの作成においては、より深く注意を払っていく必要性をつよく感じた。

(ウガンダの新聞Daily Monitor, 3rd October 2007 に掲載された本シンポジウムに関する記事。写真は談笑する佐藤靖明とキルミラ教授)

このシンポジウムを単なる一度きりの「協力」で終わらせないためには、今後の営みが重要になってくるだろう。第一になすべきことは、本シンポジウムの発表内容を具体的な成果として出版して、それをマケレレ大学の書籍店などで販売してもらうことで、ウガンダと日本の協力関係を広く知らしめることであろう。現在、商業出版の計画が進行中である。また、今後にこの協力関係をいっそう発展させてゆくためには、京都大学、一橋大学、東京外国語大学などの研究者が一層の努力をするとともに、本シンポジウムの実現のために中心的な役割を果たした日本学術振興会ナイロビ研究連絡センターの機能をさらに拡充してゆくことも不可欠であると考える。


シンポジウムの参加者

ディナーパーティのようす

シンポジウム開催に至る主要日程
2月8日 第一回準備会合(京都大学)
3月15日 マケレレ大学社会学部長Edward Kirumiraと波佐間、佐藤が会談
3月17日 第一回スカイプ会談
4月10日 第一回スカイプ読書会
5月3日 波佐間、ウガンダ・マケレレ大学でセミナー
5月29日 シンポジウムのための趣意書(keynote)完成
7月7日 第一回準備ワークショップ(マケレレ大学)
8月11日 第一次サーキュラー送信
9月10日 ポスター送付
9月15日 アブストラクト提出期限
9月25日 第二次サーキュラー送信
9月30日 プログラム完成
10月2日〜3日 シンポジウム開催
10月5月 第一回出版会議


ディナーパーティで料理を担当した山本(右端)

取材に訪れたテレビクルー