経緯

本シンポジウムの特色は、なにより日本、ウガンダ両国の若い大学院生や大学生が中心となって組織化された点にある。その中心となったのは、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科に所属してウガンダでフィールドワークをおこなってきた3名の研修員と大学院生、波佐間逸博(日本学術振興会ナイロビ研究連絡センター長を兼務)、白石壮一郎、佐藤靖明であった。

この3名は2007年2月以降、それぞれケニア(波佐間)、日本(白石)、ウガンダ(佐藤)に滞在していたため、シンポジウムを企画、開催するにあたっては、いかに相互の緊密なコミュニケーションを維持していくのかがもっとも重要な課題であった。そのためにわれわれは、スカイプ電話を用いた国際会談を3月からほぼ毎週一回のペースでおこなった。この会談には、上記3名に加えて黒崎龍悟、佐川徹、大門碧(いずれも京都大学)も加わった。会談ではシンポジウム開催に向けての企画会議や趣意書の作成に加えて、アフリカ知識人の人類学観を把握するために、アフリカを代表する知識人のひとりとしてしられるV.Y. Mudimbeの著書The Invention of Africaの読書会をおこなった。

それと並行するように、ウガンダのマケレレ大学では佐藤が、当時ウガンダで現地調査中であった森口岳(一橋大学)と協力して、2007年7月から毎週にわたってシンポジウムに向けた準備ワークショップを開催した。これには、毎回30名前後のマケレレ大学の学生が出席して、シンポジウムの企画や準備に関する議論がなされるとともに、上述のThe Invention of Africaなどの勉強会もおこなった。各ワークショップ終了後には、ウガンダ人学生によって議論の内容を要約した報告書が作成された。この報告書は、ケニアや日本に滞在していたシンポジウム参加予定者にメールで回覧され、ケニアや日本からそれに対するコメントを送ることもあった。このワークショップをとおして培われた信頼関係は、シンポジウムの開催にあたって不可欠の役割を果たした。ワークショップに参加して佐藤や森口らと親しくなった学生たちが、シンポジウム当日の受付係や会場設定係の役割を快く引き受けてくれたからである。


シンポジウムの受付

シンポジウム前日の夕食会

このような会談を重ねていくなかで、シンポジウムの参加者は確定していった。日本からは波佐間、白石、佐藤、森口、佐川、大門に加えて椎野若菜(東京外国語大学)が発表者として、また上述した日本におけるウガンダ研究の先駆者である長島信弘(中部大学)がディスカッサントとして、そしてマケレレ大学と京都大学のあいだの研究協定の締結に尽力した太田至(京都大学)がチェアパーソンとして、それぞれ参加することになった。

ウガンダからはマケレレ大学に所属するWotsuna Khamalwa、Charles Barwogeza Rwabukwali、Rose Kirumiraが発表者として、またOkot Bengeがディスカッサントとして、そして同大学社会科学部長のEdward Kirumiraがチェアパーソンとして参加することになった。さらに上述のワークショップ参加者からは、3名のマケレレ大学の学生、Philip Atiba、Gerald Ainebyona、John Barugahareが総合討論時のコメンテーターの役割を務めることも決定した。

日本、ウガンダ両国からの参加者に加えて、ケニアからは東アフリカ文学を専攻するMike Kuria (Daystar University)が、英国からはザンビアをフィールドとするAnthony Simpson (University of Manchester)がそれぞれ発表者として、そして米国からはその著書の読書会をおこなってきたV.Y.Mudimbe (Duke University)が特別講演者兼ディスカッサントとして参加することになった。こうして発表者、ディスカッサント、チェアパーソンを合計すると5カ国から20名(日本9名、ウガンダ8名、ケニア1名、英国1名、米国1名)が参加した。


シンポジウム前日の夕食会で談笑するキルミラ夫妻と太田

シンポジウム前日の夕食会のようす
(左から森口、シンプソン、クリア)

これに加えて、宣伝用のポスター作成とともに、シンポジウム当日にその映像作品の上映という形で参加したのが小田昌教(中央大学)である。山本雄大(京都大学)はシンポジウム2日目終了後のディナーパーティの料理人として参加し、数週間の滞在中に研究したウガンダ料理のほか、日本料理、エチオピア料理などの腕を振るった。ケニアで現地調査中であった目黒紀夫(東京大学)は、開催前に手弁当で駆けつけてくれ、会場設営係や記録係としてシンポジウム運営に大いに貢献した。また黒崎は、シンポジウムの企画、準備段階から全面的に参与し、シンポジウム開催中は京都事務局の代表という業務を担った。そして波佐間裕美子(日本学術振興会ナイロビ研究連絡センター)は、Wanjiku Mburu (Christine)(同前) とともにシンポジウムの立案当初から実施にいたるまで、スケジュール管理、参加者への諸連絡など事務作業を一手に掌握し、シンポジウム運営全体に総合的な目配りをするという大役を果たした。