(3) 今回の現地調査では、2003年12月14日−2004年2月22日の期間、哀牢山地北斜面の4村落(Q村:ハニ族、村落標高1820m、S村:イ族、1650m、J村:チワン族、1070m、P村:タイ族、270m)において、土地利用に関する聞き取り調査と、政府機関での統計資料の収集を行った。さらに、そのうちの2村落(Q村とS村)について、GPSを用いた森林と灌漑水路の地図化および森林と水資源の管理に関する聞き取り調査をおこなった。主な結果を以下に書く。
土地利用は、同じ山地でも標高の違いによって大きく異なることが分かった。標高の高いQ村とS村では、耕地に占める水田の比率が高く、畑作物もトウモロコシ、ダイズなど自給的作物が中心であるのに対して、標高の低いJ村とP村では、水田の比率が低く、サトウキビ、キャッサバなどの経済作物やレイシ、マンゴ等の熱帯果樹の作付けが多く見られた。水田の利用に関しても、Q村とS村では水稲の伝統品種による一年一作が主であり、冬の間は畦の保養などの理由で何も植えずに湛水したままにされるのに対して、J村とP村では標高に応じて、ハイブリッド品種などの新品種による再生稲(ヒコバエ)利用や二期作により、高い収量を上げ、さらに冬には多くの水田で水を干し、スイカ、キュウリなどの現金作物を栽培していた。
こうした土地利用の違いは、Q村やS村で、多くの村民が出稼ぎに出ている一方、J村やP村ではほとんど出稼ぎに行く人はいないといった、生業構造の違いを生む大きな要因となっていると考えられる。
森林管理についても違いが見られた。標高の高いQ村、S村では、村の森林のほとんどが村共有の森として管理され、比較的保全がうまく行っているのに対して、J村およびP村では大部分の森林は「自留山」として各農家に分けられ、経営を任されており、木が伐られて果樹園などになった所も多い。
灌漑水路については、いずれの村でも、湧き水および渓流の水を水源とする点では一致していたが、村によって異なる点もあった。例えば、最も棚田開拓の歴史が長いと言われるQ村では、集落背後の山からの豊富な沢水ですべての水田の灌漑水をまかなっていたのに対して、比較的開拓の歴史が新しいと考えられるS村では、総延長7Kmにも及ぶ長い水路によって、遠く離れた沢水を引き、村の水田の半分以上を灌漑していた。Q村では、各家の前の肥溜めに溜まった有機肥料を、乾季の間に、灌漑水路の水を利用して、標高差で200から300mも下にある水田に流し込む「沖肥」と呼ばれる施肥法が行われていることで知られていたが、こうした施肥技術を可能にしているのは、Q村の、山からの沢水が集落を経て、田へと導かれる灌漑水路の配置と乾季でも豊富な水量を保つ水源の存在であることが分かった。
このように、同じ哀牢山地でも、標高や地形により土地利用の様相やそこで使われる技術、資源の管理の方法などが異なることが分かった。