(3) この度の現地調査では、主に、自動車道の建設を端緒として導入された全国規模の労働徴集制度の歴史的変遷に注目した。1960年代まで農作物や薪などの現物による納税制度が維持され、自給自足型経済となっていた当時のブータンにおいて、賃金労働に従事するべき余剰労働力の確保は大きな困難を伴うものであった。その中で、大規模かつ集約的な建設労働はブータン社会において新しい労働形態であり、社会全体に大きな変革を求めるものであった。その際に導入されたのが6人組制度や12人組制度といった労働徴集制度であった。今回の調査では労働徴集制度の歴史的変遷を明らかにすると共に、さまざまな階層の人々に対する聞き取り調査から個々のオーラルヒストリーを収集し、そこから一般の村人たちがどのようにこの(半強制的)労働制度に動員され、同じ公共空間で同一の体験を共有することによっていかに共同体意識を醸成してきたのかを描き出そうとした。全体の調査期間は2003年7月22日から9月18日であり、そのうち約3週間をブータン中央部のトンサ県およびブムタン県での調査にあてた。またそれらを補う形でインドおよびネパールなどの国外に居住するブータン人に対しても約4週間の日程で聞き取り調査を行った。それによって、制度の歴史的な変遷に関しては、近代的な開発計画の導入以前にもブータンにはいくつかの労働徴集制度が存在していたこと、導入後はそれらが改訂・整備され、人々は相互管理制度によって組織的に集められ、生まれた土地から切り離されるようになったことがわかった。今回の聞き取り調査では何人もの村人や元村長からオーラルヒストリーを得ることができた。そしてそこから当時のブータンの人々の移動形態や社会状況、生まれた村や家に対する愛着、などを少しずつではあるが明かにできたのではないだろうか。