報告
渡航期間: 2003年12月9日〜2003年12月24日    派遣国: ミャンマー
  出張目的
  ミャンマー・フィールド・ステーションにおけるワークショップの準備、ラカイン州における現地調査、およびイラワジ管区マウービン郡におけるヤンゴン大学院生の臨地教育
  安藤和雄 (東南アジア研究所)

 

  活動記録
  12月9日(火)
  • ミャンマーのSEAMEO-CHAT(東南アジア教育省組織歴史伝統地域センター)にて、所長、副所長、担当者、顧問と2004年3月に実施するセミナーについて打ち合わせを行った。
      12月10日(水)〜12月22日(月)
  • ラカイン(Rakhaine)州(State)北部地域シットウエー(Sittwe)郡(Township)、ミャーウー(Mauk-U)郡、グワ(Gwa)郡で、共同研究チームであるUHRC(大学歴史研究所)、ヤンゴン大学の地理学科、SEAMEO-CHATからのカウンターパートとともに、犂の形態や利用、土地利用景観、作付体系、定期、朝市、漁労などについて広域の聞き取りと観察調査を行った。特にグワ郡では、村人の生業と村落社会に関する詳しい聞き取りを行った。マウービン(Maubin)郡では、ヤンゴン大学博士課程院生が中心となって行っている共同調査村落を訪れ、ヤンゴン大学院生に対して臨地指導を行った。
      12月23日(火)
  • SEAMEO-CHATにて、所長、副所長、担当者、顧問に今回の共同調査内容を紹介するとともに、2004年3月に実施されるワークショップのプログラムの最終決定のための協議を行った。
      12月24日(水)
  • 関西空港経由で帰国する。

     

      結果と進捗状況
     
    個人研究:犂の変化を追う
      ラカイン州ではベンガル犂(at)からビルマ犂(te)への技術変容が認められ、昨年度の調査ではラカイン州の南部地域についての結果を報告した。すでに南部地域では、ベンガル犂からビルマ犂への変化は水田でほぼ100%、畑作地で稀に今なおベンガル犂が使われていたが、北部地域では現在でもベンガル犂の一般的な使用をこれまでの調査で聞いていたので今回の調査では北部地方の概査を行った。ヤンゴンからシットウエーに飛んだ。シットウエーは英領期にはアキャブ(Akyab)と呼ばれたラカイン州でもっとも大きな街であり州都である。車が溢れビルが乱立する印象を与えるが、まだまだ車の往来は数えることができるほどで大きなビルはない。長閑さが漂っている街並みである。ここから船に乗り、カラダン(Kaladan)川が作ったデルタ地帯の本流とクリークを一路北東に船で進む。川沿いには、マングローブ(おそらく Avicennia spp.)やニッパヤシ(Nypa palm)が生え、収穫時の稲田が平らなデルタ地形に広がっている(写真1)。写真1は、川沿いにつくられた出作り小屋で、ここで脱穀作業が行われる。円状に脱穀場に並べられた稲の上を複数の水牛もしくは牛が歩いて脱穀する。ミャーウー郡の街の周辺の村々で使われている犂は、ベンガル犂からビルマ犂に変わっているところが多かったが、12月15日にミャーウー郡からシットウエー郡の帰りに立ち寄ったカラダン・デルタのP村では、いまだベンガル犂(at)のみが使われていた(写真2)。ここのベンガル犂もミャーウー郡周辺の村々や、ラカイン州南部で見たベンガル犂同様、犂床の裏面には溝が作られていた。この溝のことをmraungと村では呼んでいた(写真3)。
      犂床と練木は硬い材である。これを竹のくびき(tenpo)につけ(写真4)、2頭の水牛の首にかけて犂を牽引させる。P村では、犂の他には、kyanと呼ばれている梯子状の道具が本田準備のための耕作道具として使われているのみである(写真5)。
      このkyanは、犂同様硬質の木材が用いられている。この村地方でビルマ犂が使われていない理由を、犂の所有者であるPSさん(54歳)は耕地の水文と土壌環境に関係していると説明してくれた。低平なデルタ環境の耕地では、雨季の6月第1週に20cmくらいの湛水をみるようになる。それ以前に畦(kensa)をつくっておいて、このころに犂により本田準備を開始する。
      一日の中で潮汐の影響を受けるので、湛水が50cmとなったら犂を入れることはできなくなる。潮がひくまで犂入れは中断する。一般的にはこのあたりは10月頃までは雨が降り、それ以後、雨はほとんど降らなくなる。雨季の最高湛水深は80cmほどで、このくらいの水深さが一雨季に1〜2日あり、屋敷地に水があがり高床の下にまで冠水するのは一雨季で2〜3日だそうだ。耕地土壌はbediと呼ばれる粘土質の土で、ビルマ犂だと深く入りすぎ、洪水のために(犂が操作しにくいので)ビルマ犂は使わない。P村では、竹篭で一昼夜水に浸し、二日間陰干して催芽した種モミが潮汐で水が引いた泥状の耕地に散播されている。本田の準備は3回の犂起こし作業の後でkyanをかけ播種される。草が目立つ時には、一筆の田に10人くらいが入り、棒で身体をささえながら足で草を泥の中に埋めていく(この作業をmrut che nonと呼んでいる)。現在は、白い化学肥料(恐らく尿素)を播種後2週間に一度のみ散布しているそうだ。水田をleとよび、川沿いの乾季に野菜をつくる畑地をkainとミャンマー語やラカイン語では呼ぶが、この村にはkainはない。ベンガル犂が一般的であるとともに、ラカイン州の南部やミャンマーの他の地域ではtunと呼ばれる木製のまぐわが耕起に使われることが多いが、P村ではこの農具は使っていない。犂と梯子状のkyanの農具を主な手段として水稲の本田準備をする地域は、ラカイン州北部から隣接するバングラデシュのチッタゴン地方、インドのアッサム州の北部地方にも広がっている。この地域では伝統的にはベンガル犂が卓越してきたが、現在ビルマ犂が広がっている。ベンガル犂からビルマ犂への技術変容は農民の自主的なこころみで広がっている現象である。国家という枠組み、東南アジア、南アジアという地域の枠組みを越えて地域的広がりを示している。その広がりがもつ「地域」の意味を今後とも問い続けてきたい。
    グワ郡Y村での村落共同調査
      グワ郡では、ヤンゴン大学、大学歴史研究所のカウンターパートたちが3月のワークショップでの発表のために、各自のテーマにしたがい補足調査を行った(各自の発表テーマについては、ミャンマー・フィールド・ステーションでのワークショップについて報告した私の出張報告書[2004.3.5.〜3.18.]を参照)。
    マウービン郡での村落共同調査
      ヤンゴン大学の動物学科、植物学科、地理学科の博士課程の院生が、ミャンマー・フィールド・ステーションの共同研究に参加しているカウンターパートの指導をうけて、水産資源、屋敷地植物利用、農地開拓史、農村開発などのテーマを設定して、ヤンゴン大学に提出する予定の博士論文作成のための調査に従事している。今回は、丸一日だけの短い期間であった共同調査地となっているA村とB村を訪れ、院生たちと村を歩きながら屋敷地の調査法をたずね、村長から村の概況説明を受けた(写真6)。
     
     
     

    写真1 カラダン・デルタ

     
      写真2 ベンガル犂
     
      写真3 犂床裏の溝
     
      写真4 くびき
     
      写真5 低平器具kyan
     
      写真6 臨地教育

     

      今後の課題
     
    資料1 Chat Newsletter P12
      フィールド・ステーションが置かれているSEAMEO-CHATの調整機能が十分に発揮され、21世紀COE若手研究員の大西信弘さんの活躍でステーションの事務所的機能、調査地を共有しての共同研究は軌道に乗ったと言える。ヤンゴン大学の博士課程の院生(6名)が主体となったマウービン郡での総合的な村落共同調査研究は博士論文の作成という各自の個人的で具体的な目標があり、今後の成果が十分に期待できるであろう。当面は2004年3月に開催されるワークショプの準備の活動がメインとなる。ただし地誌関係資料の収集とデジタル化及びヤンゴンにおけるフィールド・ステーションのホームページの立ち上げ準備が進んでいないので、ワークショップ以降は、この課題に積極的に取り組んでいきたい。また、フィールド・ステーション活動の広報については、SEAMEO-CHATの機関紙であるニューズレター『CHAT』第2号(2003年10月発行)にも1ページを割いて掲載され(資料1 参照)、21世紀COEフィールド・ステーション 活動がSEAMEO-CHATの自身の活動として位置づけられていることがよく理解される。今後ともニューズレター『CHAT』で広報につとめていきたい。

     

     
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