フィールドワーク報告
  (1) 研究課題 (博士論文に予定しているタイトル)
(2) 博士論文において目的としていること
(3) そのうち,今回の現地調査で明らかにしたこと
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渡航期間: 2004年12月22日〜2005年3月8日, 派遣国: インドネシア
(1) 南スラウェシのかたち ―ラ・ガリゴ叙事詩の人類学的研究
楠田健太 (東南アジア地域研究専攻)
キーワード: ラ・ガリゴ,ブギス,マカッサル,南スラウェシ,神話


今も残るブギス人歴代王たちの墓(南スラウェシ州ボネ県)。

ブギススタイルの結婚式にて。とかくド派手なのが特徴です(南スラウェシ州マカッサル市)。

ブギス王族の直系にして南スラウェシ最大の傑物の一人、アンディ・マッタラッタ(写真左)。彼の存在を抜きに20世紀南スラウェシ史は語れません(マカッサル市、マッタラッタ氏の自宅にて)。〔※2004年10月、逝去されました(享年84)。〕
(2) ラ・ガリゴ(La Galigo)とは、インドネシア・南スラウェシに広く伝わる神話的叙事詩を指す。内容は、空虚な地上界に送られた天上神の息子バタラ・グル(Batara Guru)と地下神の娘ウェ・ニリティモ(We Nyili’timo)を初代とし、その6代目の子孫の行動までを描いたものであり、なかでも物語の中心をなすのは、3代目にあたるサウェリガディン(Sawerigading)と4代目のイ・ラ・ガリゴ(I La Galigo)に纏わるエピソードである。

調査者の関心は大きく以下の三点にある。

  1. ラ・ガリゴを現代の南スラウェシ社会の文脈に位置づけることである。ラ・ガリゴの主な舞台は13世紀以前、つまり本格的なイスラーム化以前であり、同地域で多数を占めるブギス人・マカッサル人の伝統的な道徳規範、社会構造等を知る上で不可欠の資料である。一方で、インドネシアという国家的枠組みの中では外島に位置する南スラウェシにおいて、特にポスト・スハルト期、地方分権が進む昨今、ラ・ガリゴもブギス・マカッサルの民族神話として新たな価値が付与されよう。社会変容とともにいかに神話が取り込まれ、再解釈されるのかという点に興味がある。
  2. ラ・ガリゴを文学作品として評価することである。ラ・ガリゴはその文学性の高さでも知られ、ときに世界最大級の文学とすら称される。テクストとしてのラ・ガリゴと、他地域の神話、小説等との比較文学的研究も極めて有用である。
  3. ラ・ガリゴを日本へ紹介することである。ラ・ガリゴは日本では全く知られていない。原因はラ・ガリゴがブギス語やマカッサル語といった馴染みの薄い地方語で書かれているということ、その起源は口承伝承であるため「定本」はなく、写本ロンタラ(Lontaraq)は各地に散逸しており、かつその総計実に30万行に及ぶ膨大な量であることなどが挙げられる。これらの原因が、長期的なフィールド調査を必要とする所以でもあるが、いずれにせよ翻訳・出版などを通じ、地域研究の成果としてこの作品を日本に紹介する意義は大きいと考える。
明確な線引きは困難だが、大まかな流れとしては3→2→1の順序で進めていきたい。

(3) 南スラウェシで話されるいくつかの地方語のうち、さしあたって今回はブギス語に絞って学習した。教材は小学校の教科書を使用し、ブギス語ネイティブの友人に個人教授を依頼した。
  そしてラ・ガリゴおよび南スラウェシに関する文献収集を幅広く行うとともに、ラ・ガリゴの舞台となった各地を訪れた。また、滞在中に偶然ながらMuhammad Nur氏の知遇を得ることができたことは調査者にとって非常な幸運であった。Nur氏は大学や研究機関に属していない在野の研究者であり、南スラウェシに関する著作も数冊ある。Nur氏が現在手掛けているのがブギスの王族についての膨大なSilsilah(家系図)の編纂である。ここ十年来取り組み続けながらいまだ未完、すでに300ページほどの分量になっている。暇を見つけては各地を訪ね歩き、自分の足でものにしたこの業績は、南スラウェシ史研究の第一級の資料と言える。
  帰国した現在、調査者はブギス語の継続的学習とともに、ラ・ガリゴの紹介と自身の研究の端緒として、ラ・ガリゴ研究の浩瀚な必読文献I La Galigo(R.A.Kern: 1989: Gajah Mada University Press)の訳出作業を進めており、その成果はウェブ上にて随時アップしていく予定である(マカッサル滞在期間:2004年12月22日〜2005年3月8日)。

 
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