フィールドワーク報告
  (1) 研究課題 (博士論文に予定しているタイトル)
(2) 博士論文において目的としていること
(3) そのうち,今回の現地調査で明らかにしたこと
<< 平成16年度 フィールドワーク報告へ戻る
渡航期間: 2004年11月9日〜2005年3月31日, 派遣国: ケニア
(1) 東アフリカ牧畜社会における民族を超える社会関係の形成・維持過程に関する研究
内藤直樹 (アフリカ地域研究専攻)
キーワード: アリアール,移住・遊牧的な移動,民族間関係,アイデンティティ,社会関係

小家畜の放牧に出かける直前の牧童たち。

右側の青年は、家畜群を統御するためのムチと、野生動物や敵の襲撃に備えるための銃を携帯している。彼はラクダ牧畜民レンディーレ出身であるが、マソラ村に居住する家族の娘と結婚した。通常は、婚資の家畜を支払い、数年間の妻方居住期間を経て、自らの出身集落に戻ることになるのだが、非常に貧乏な彼は、婚資を支払う代わりに、結婚したあとで娘の家族のために労働奉仕をしている。
隣の少年と少女は、彼の妻の親族である。少女がくわえているのは、古い乾電池である。中国製の懐中電灯は、一般的な照明として用いられることはもちろん、夜間に野生動物や敵の襲撃から人や家畜を防衛するために欠かせない道具である。人びとは、懐中電灯を大切に使うが、それでも安くて質の悪い乾電池や豆電球はすぐに交換しなければならない消耗品である。また銃弾も消耗品である。これらは、町場で家畜を売却して得た現金で購入される。


2005年4月現在、8つの環状集落で構成されているマソラ村。

写真にはそのうちの5つが写っている。集落以外に地面が黒く変色している部分は、以前の集落の跡である。人びとは新年や、家畜の糞がたまったとき、居住者が死亡したときなどに集落を移動させる。その際には、集落が分裂・融合したり、人びとが居住する集落を変更することがある。

(2) 本研究の目的は、東アフリカ牧畜社会にみられる民族を超える社会関係が、遊牧的な牧畜を営む人びとの日常実践のなかでどのように形成・維持されているのかについて記述・分析するとともに、そうした実践のなかで生起する「民族」間関係の動態について考察することである。
  東アフリカ牧畜社会では、各民族が固有に保持する分節出自体系と年齢体系が、その集団の主要な統合原理として機能しているという点が指摘されてきた。この地域における分節出自体系は、たとえば民族・半族・クラン・リネージといった順に階層的に分節化された父系の血縁原理にもとづく社会範疇によって構成されているし、年齢体系には、生物学的な年齢や世代間の関係といった生物・社会学的な長幼原理にもとづいて組織される年齢組、世代組、互隔組といった社会範疇が存在する。それらは個人の社会的な位置を特定するし、さらに各社会範疇に付随する諸規範は、生活のあらゆる場面における人びとの行為選択の基準となっており、結婚・共住・協業・財の交換・敵対などをめぐる社会関係のあり方を指定する。
  この地域における遊牧という生業が、どのような生態的・社会的・経済的な条件を基盤にして成立しているのかに焦点を当てた従来の研究は、強く乾燥しているうえに、降雨の量・パターンも不安定で予測不可能な環境のもとでは、1)高い移動性を維持すること、2)出自集団や年齢組・世代組といった社会範疇を単位とした牧民の相互扶助のネットワークを構築することが、生計を維持するうえで重要であることを明らかにした。
  また、民族間関係に焦点をあてた近年の研究は、1)ひとつの「民族」の年齢体系や分節出自体系は独立したものというよりも、むしろ隣接するほかの「民族」の年齢体系や分節出自体系との関係のうえに成立していること、2)年齢体系や分節出自体系を構成する社会範疇間には、複数の「民族」の年齢体系や分節出自体系を横断するような関係の網の目がはりめぐらされていることを明らかにした。
  一方、東アフリカ牧畜民の社会的な合意形成の過程や相互行為のプロセスに着目した研究は、以下のことを指摘した。すなわち東アフリカ牧畜民社会には、人びとがある「問題」に直面する際、その場に外在するルールや規範を参照するのではなく、その場に「参与」する人びとのそれぞれの能力と裁量をもとにした「問題」への徹底的な参加と協働により、対処しようとするという認識論的な特性が存在する。
  遊牧生活における高い移動性や相互扶助のネットワークの存在は、人びとの日常実践のなかに、さまざまな「他者」との「出会い」が内包されていることを意味する。その際、人びとは自らが帰属する「民族」の年齢体系や分節出自体系を構成する社会範疇に付随する規則や規範によって、自らの行為や社会関係のありかたを決定するという側面がある一方で、人びとの「民族」への―換言すれば年齢体系や分節出自体系への―帰属は多義的で流動的である。そして、相互行為のプロセスにおけるいわば「当事者/文脈中心的」な指向は、人びとが規則や規範よりもむしろ、当事者間の徹底した相互交渉によって社会的現実を形成しようとしていることを示している。
  東アフリカ牧畜社会における、民族や生業、そして相互行為に焦点をあてた上記の研究状況を考慮すれば、動態的な民族間関係のなかで遊牧的な牧畜を営むうえで、人びとが民族を超えるさまざまな社会関係を、1)いかなる局面で、どのように運用し、日常的な実践をおこなっているのか、2)そうした実践の積み重ねのなかで、民族を超える社会関係がどのように生成・維持されているのか、3)そのことで「民族」の境界や民族間の関係がどのように変化しうるのかについて、実証的に明らかにする必要があると考えられる。こうした問題意識に基づき本研究は、東アフリカにおける民族間関係の動態を、遊牧という生業経済における人びとの日常的な実践と関連づけて考察する。
  これまでに調査対象としてきたのは、ケニア共和国北部の乾燥地に居住する牧畜民アリアールである。アリアールは、クシ系の言語を話すラクダ牧畜民レンディーレと、ナイロート系の言語を話すウシ牧畜民サンブルの混成集団である。アリアールではサンブル語の話者とレンディーレ語の話者が混在し、バイリンガルもよく見られる。また独自の年齢体系や分節出自体系をもたず、サンブルとレンディーレ双方のものを適宣運用している。さらにこの地域には複数の民族が混在するため、出自集団への帰属が問題になりやすい。こうした特徴からアリアールは、東アフリカ牧畜社会における動態的な民族間関係の、ひとつの縮図であると言えるだろう。
  本研究の目的を遂行するためには、アリアールの遊牧生活における諸個人の日常実践やさまざまな社会関係形成の過程に関する詳細な資料が不可欠である。そこで、以下の4点について明らかにする。

  1. 民族を超えた社会範疇間の関係:どのような種類の社会範疇のあいだに紐帯が存在し、それらはさまざまな立場の人びとに、どのように認識されているのか、
  2. 移住パターン:遊牧生活にともなう居住地の変更の際に、人びとはなにを選択基準とし、どのように移住先の共同体に編入しているのか。また、移住元の共同体との関係はどのように維持されているのか、
  3. 放牧キャンプの移動パターンと編成:家畜群の放牧キャンプはどこに形成されるのか、誰と放牧キャンプを編成するのか、
  4. 家畜の贈与・交換のネットワーク:家畜の贈与・交換は、誰とのあいだにおこなわれ、その範囲はどこまで広がっているのか。さまざまな他者に家畜をねだる際に、人びとはどのような言説実践をおこなっているのか。

(3)  現地調査は、2004年11月9日〜 2005年3月31日までの期間、ケニア共和国マルサビット県南部に位置するマソラ村と、マソラ村の成員が編成する放牧キャンプでおこなった。また、今回の調査では、サンブル県においても聞き取り調査をおこなった。具体的な調査内容を上で示した本研究に関連する4つの調査内容と関連づけて述べる。

  1. 民族を超えた社会範疇間の関係
      これまでの調査では、アリアールの成員が主張する民族を超えた社会範疇間の関係や、それに対するレンディーレの認識に関する調査をおこなってきた。今回の調査では、サンブルの側の認識のありかたを明らかにするため、サンブル県で、いくつかの集落を対象に聞き取り調査をおこなった。
      具体的には、サンブルのひとつのクランの起源や、クランを構成する父系出自集団の移入や分離の経緯に関する口承伝承を収集した。調査の過程では、民族を超える出自集団間の関係が、これまで報告されているよりも、より細かい単位の出来事―個人の移住や友人関係―を契機にして、無数に形成されていることが明らかになった。
  2. 移住パターン
      マソラ村を構成する各拡大家族の代表者1名ずつ、計66名を対象に、これまでの移住の経緯を明らかにすることを目的として、ライフヒストリーの聞き取り調査をおこない、その後、資料のトランスクリプションと翻訳をおこなった。
      その結果、(1)マソラ村は1983年にこの地域に移住してきた数家族を核として、サンブルやレンディーレ、アリアールからの多くの移民を受け入れながら拡大してきたこと、(2)移住やその後の協業・儀礼への参加などの結果、新たな出自集団への帰属意識が獲得されたことが明らかになった。これによって、民族を超えた社会範疇間関係が、移住といった個人的な行為を契機に無数に形成されている可能性が示された。
  3. 放牧キャンプの移動パターンと編成
      アリアールでは、ウシ、ラクダ、小家畜(ヤギ・ヒツジ)が飼養されている。放牧キャンプは家畜種ごとに編成され、遊動する。これまでに放牧キャンプが編成される場所と、ともに編成する相手がだれなのかについて、調査をおこなってきた。今回の調査では、2005年のひとつのキャンプ地の場所やともにキャンプを編成する相手について、補足的な資料を収集した。
      その結果、放牧キャンプを編成する相手として、これまで明らかになっていた同一の父系出自集団に帰属する成員だけではなく、同一の年齢組に帰属する成員も選好されていることが明らかになった。サンブルとレンディーレの年齢体系では現在、同時期に組織された年齢組には同じ名前が付与されるようになっている。すなわち、こうして同じ名前をもつ年齢組は同一の集団と認識されており、それへの帰属意識が、放牧の場面における民族を超えた協力関係の構築を促進していることが明らかになった。
  4. 家畜の贈与・交換のネットワーク
      マソラ村の各家族の代表者1名、計47名を対象に、2004年1月から2005年1月までのあいだに家畜をねだった/ねだられた経験に関する聞き取り調査をおこなった。この資料に関してはトランスクリプトと翻訳を終え、現在、分析をおこなっている。

 
21世紀COEプログラム「世界を先導する総合的地域研究拠点の形成」 HOME