フィールドワーク報告
  (1) 研究課題 (博士論文に予定しているタイトル)
(2) 博士論文において目的としていること
(3) そのうち,今回の現地調査で明らかにしたこと
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渡航期間: 2004年12月26日〜2005年1月10日, 派遣国: シンガポール
(1) シンガポール華人児童にみる言語環境の動態―変容する言語政策下の学校と家庭を中心に
高橋美由紀 (東南アジア地域研究専攻)
キーワード: シンガポール,華人社会,言語政策,児童の言語教育,言語環境


St. Andrew's 幼稚園の華語教育の授業(K1)カードを使用して文字の読み方を学習している。(2005年1月筆者撮影)

PCF (PAP Community Foundation)幼稚園の華語学習で使用しているワーク(K1)。絵や色塗り、工作等で華語学習ができる。PFC幼稚園は、ほとんどがHDBフラットという公営住宅の団地の一階にあり、就学前児童の約75%が在籍している。 (2005年1月筆者撮影)

Primary 5になる児童が受けている華語の家庭教師のレッスン風景。 毎週火曜日90分、自宅で華語の読み書きを習う。小学校での補習が中心。また同じ教師に毎週土曜日午後からグループレッスンを90分受けている。教師は1950年生まれで、中卒まで華語教育を受けたシンガポール華人である。16年間「華語のスピーチ&ドラマ」を専門として教えており、華語の発音が良く、的確な指導ができるとシンガポール大学を卒業した母親が太鼓判を押している。(2004年12月筆者撮影)
(2)   現在シンガポールでは、教育言語政策として英語と民族語の2言語政策が行われている。英語は民族語と「公民(道徳)」以外の全ての科目の教育言語であり、それぞれの民族語は「Mother Tongue(華語、マレー語、タミル語)」と「公民(道徳)」の教科の教育言語である。華人の子どもたちは小学校入学前の教育から、英語と華人の民族語(華語)を学んでいる。言語教育における英語の位置づけは、「経験を共有したり、他の人々(民族)とコミュニケーションを図る時の主な手段」とされている。他方、華語は、「華人社会の共通言語として、さらに華人の文化を継承するための言語」として日常生活で使用することを政府が奨励し、国家の言語政策により英語も華語(民族語)も第一言語レベルでの学習が要求されている。
  しかしながら、1987年に全ての小学校が英語学校となるまで、教育言語別の学校が存在しており、華人社会においては、現在の小・中学生の親世代は、華語学校、英語学校のどちらかの学校で教育を受けた。また、それ以前の、祖父母世代は学校教育を受けていない場合が多く、華語方言でしか話せない人も多い。
  博士論文では、シンガポール政府によって、英語重視政策、華語奨励政策、バイリンガル教育政策など、次々に打ち出される言語政策の下で、国民の約76%を占める華人社会の日常生活における言語環境と日常生活言語の変化、こうした変化に対する人々の対応について論じる。とりわけ、華語方言を話す人々の世代から英語・華語のバイリンガル世代にシフトする、現在の幼・小・中学生の親の世代で、児童の言語教育に強い影響力をもつ母親に焦点をあて、彼女らの日常生活における言語環境や言語使用、家庭内での子ども達へ与える言語教育の調査から、政府の言語政策が華人社会の言語環境にもたらす影響や役割について考察することを目的としている。

(3) シンガポールにおける私立の幼稚園・保育園では、英語教育と華語教育のウエイトがそれぞれの園によって異なっている。英語環境の家庭では、華語教育に力を入れている幼稚園に子どもを通わせる。他方、華語や華語方言環境の家庭では、子どもが小学校で教育を受けるために必要な英語を習得させるために、英語教育を重視している保育園に通わせていた。
  児童の家庭における言語環境と言語教育との関係について調査するために、今回は、華語教育に力を入れている幼稚園と、その幼稚園に子どもを通わせている、ある英語家庭を取りあげて調査を行った。
  家族間での会話等は英語であった。親子の会話は、母親が一日の内10分程度は子ども達に華語を話すが、父親は英語のみであった。また、母親は、市場で話す時は華語、彼女の母親と話すときは潮州語であった。新聞は英字新聞を読み、テレビは番組の内容によって英語と華語の両方で楽しんでいた。ニュースなどは殆ど英語放送で、バライティー番組やドラマなどは華語でも観ていた。しかし、華語番組の時には全て英語で字幕が出るものであった。
  このように、日常生活であまり華語を使用しない環境なので、母親は華語教育を重視している私立幼稚園に子ども達を通わせている。2005年1月から、末っ子の三男がNursery(年少)クラスに入園したが、バスを乗り継いで1時間半もかかるので、母親が付き添って通っている。また、長男はPrimary School Leaving Examination(PSLE)のために、華語を個人的に習っている。
  今回の調査で、「英語重視主義」の時代に教育を受けた両親に育てられた子ども達にとって、華語は教科科目の一つであり、日常生活ではあまり使用しない言語であることがわかった。一方、学校教育においては、バイリンガル教育政策のために、英語と同様に華語の得点が高い子ども達は進学に有利であるという状況であり、教育熱心な親は彼らに華語の勉強を強いている。
   「華語嫌い」・「華語離れ」の子ども達が多くなってきたことから、幼稚園・保育園や小学校低学年の華語教育においては、日常のコミュニケーションが図れることに重点を置いた内容で行っている。そして、教師は、子ども達が華語に親しみ、楽しく学習ができるように、音楽や視覚教材を使用し、体験的な言語活動を行うといった、子どもの言語学習の特性を活かした方法で行っている。

 
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