幸い天気は晴れており、飛行機の窓からは、下の様子がよく見えた。安藤さんが地図をもってきて、地理や生業についてなどいろいろと説明してくれる。専門が違う人から教えてもらえるのはとても楽しいし勉強になる。湿潤デルタは思いのほか限られていて、乾燥地帯が広がっているのが意外な感じがした。何事も一見にしかず。
バガンでは多くの仏教寺院を見学した。寺院群はむろんインドでもある。しかしバガンの仏教遺跡では二つのことに驚いた。ひとつはこれほどの大規模な寺院群が乾燥地帯にできたこと。インドの寺院群は、面積単位あたりの農業生産性が高い湿潤地帯にできるのが普通である。ジャワやカンボジアなどの例からもそれがインド外でも常識と思っていたのだが、バガンは特別のようである。どうしてこれほどの寺院群の維持が可能であったのかMin Thein 氏にも質問してみたが、諸説あるようで決定的な説明はまだないようである。もうひとつ驚いたのは、寺院の建築様式にずいぶんと異なるものが混在していたことである。インド東部地域のオリッサ様式の寺院(高塔を特徴とする)もあったのには驚いた(私の無知のせいによるのだが)。時代によっても異なるのであろうが、これほど様式に多様性があるのは、ビルマにおいて比較的自生的に発展した文化様式がある以外に、外からの多くの文化要素を受け入れたことに起因しているのではないかと思われる。特にベンガル湾交易を通じた文化交流は無視できないであろう。Min Thein 氏があとでセデスのThe Making of South East Asiaの関連箇所を指摘してくれたが、そこでは、オリッサとビルマの深い歴史的関係が記されていた。ペグはウッサ(オリッサのなまったもの)と呼ばれていたそうだし、ピュー王国にはシュリークシェートラ(オリッサ・プリーの別名)があったそうである。
お茶とお茶請け(どちらも無料)
バガン仏教遺跡群
バガンにて
【「伝統」の観光化と生活の質】
3月13日はまずバガン近くの村落(Minnanthu村)を見学した。安藤さんの農業技術調査のために立ち寄ったのだが、インタビューに丁寧に応じてくれた人たちは、「ミャンマー民俗伝統美」を売りにする店を経営していたことが興味深かった。パンフレットが用意されているほか(写真1参照)、綿花を近くで育て、綿をすき、綿糸をつくり、染め、布を織り上げる過程が実演されており、その隣で色鮮やかなシャツやスカーフが売られている。「ここで全部作っているのか」と感心して訊くと、「八割ほどは別の工場で作られたものだ」とあっけらかんと答えた。また去勢牛をつかって油(ゴマなど)を搾るろくろ式の器械(油搾木)もおいてあり、実演して見せてくれた。この油は経費が高くついて市場では売れないそうで、ほとんどが自家消費用だそうだ。観光客相手に売らないのかと訊くと、「欲しいか」とすぐにでもビンに入れてくれそうなようすだったので、あわてて断った。この器械は、油のためというよりも、どうやら観光客を集めるためのディスプレイらしい。
この店で中心的な役割を果たしていると見られる Tin Swe Myint さん(30代後半と見られる女性)にどうしてこういう店を始めたのかときくと、「伝統を人に見せたいと思ったからだ」と答えた。こうした「伝統文化」を売る店は、移動中に他にも遭遇した。これらは典型的な「伝統の客体化」あるいは「伝統の商品化」の試みであるといえよう。しかし、ここでは、伝統を客体化、ディスプレイ化、商品化しながらも、その伝統実践を生活の一部として楽しんでいること、そして自らの伝統を人に見てもらうことに喜びを見出しているように見受けられることに感銘を受けた。
一例を挙げよう。私たちと話している途中、外国人観光客(後で訊くとドイツからだった)が来ると、Tin Swe Myintさんは、自家製の葉巻に火をつけてこれ見よがしに吸って見せた。葉巻は商品の一部であり、これは実演販売にあたるだろう。案の定、ドイツ人は興味を持って、葉巻についてたずねていた(結局買わなかったが)。おもしろかったのは、観光客が帰った後、Tin Swe Myintさんは、吸いかけの葉巻を近くにくつろいで座っていたおばあちゃんに渡したことだ。そのあとおばあちゃんは実にうまそうに葉巻を吸っていた。ここで葉巻を吸うということは、商売の一部でありながら、生活の楽しみから切り離されていない。硬い言い方をすれば、ここにおける経済活動は、自己疎外を生んでいないのである。
これは同じ伝統の商品化でも、たとえば高級ホテルのディナータイムに上演される「トライバル・ダンス」とはまったく異なる。「トライバル・ダンス」は、自己から疎外された労働として売られているものである(むろんダンス自体を楽しんでいるケースがまったくないとは言わないが)。しかし、Tin Swe Myintさんたちが、自分の村で、綿布を織り、葉巻を作り、ごま油を搾って、それを売ったり自家消費したりして過ごしているとき、「伝統」は生活から切り離された金儲けの道具だけでは決してない。伝統文化は、生活実践であり、また時には売れる商品でもある。資本主義と適当に折り合いをつけながら、地に着いた暮らしをも楽しもうとする、こうしたいい意味での鷹揚なスタンスには感心させられた。それは全体としての生活の質を高めようとするシビアなバランス感覚に裏付けられたものであるに違いない。