アルシの生業をめぐる旅
エチオピアにおけるフィールド・ステーション連携国際ワークショップとスタディー・ツアー報告
平井將公 (アフリカ地域研究専攻・日本学術振興会特別研究員[21世紀COEプログラム])
2004年2月

  エチオピアにおけるフィールド・ステーシ ョン連携国際ワークショップでは、2003年10月20日〜23日に開かれたセッション終了後、エチオピア各地をめぐるスタディー・ツアーが実施された。 このツアーはエチオピアで研究をおこなうASAFAS院生がファシリテーターとなり、ワークショップの参加者を調査地(アルシ、ゴンダール、ジンカ、マゴのいずれか)へ案内するというものであった。参加者の多くは私も含め、これまでにエチオピアを訪れてはいなかった。それゆえツアーに大きな好奇心をよせ、最終的にはそれぞれの研究に役立つ貴重な知見を得たのではないかと思われる。ここでは私が参加したアルシ・ツアーを振り返り、その内容について報告する。

1. アルシ・ツアーの概要
    アルシ・ツアーでは、アルシの人びとが居住する南部シェワのアフリカ大地溝帯 (ナザレット周辺)、丘陵地となっているウォンドガネット(アワサ近郊)、および中央高地のアショカ村(コファレ郡)を訪れ、異なる生態環境で営まれている人びとの生業活動を見学した。参加メンバーはファシリテーターを務めたASAFASアフリカ地域研究専攻のマモ・ヘボさん(平成11年度入学)、東南アジア地域研究専攻のリム・ボーン・ホックさん(平成10年度入学)、アンディ・アムリさん(平成12年度入学)、アジスアベバ大学のウブシェット・ダメウォズさん、および私(平成13年度入学)を含む計5名であった。以下にツアーの日程を示す。
10月24日(金)   アジスアベバ − アフリカ大地溝帯(南部シェワ、ナザレット周辺) − アワサ
10月25日(土)   ウォンドガネット − アワサ
10月26日(日)   アワサ − 中央高地(コファレ郡アショカ村)
10月27日(月)   中央高地(バレ) − アジスアベバ

 

2. アフリカ大地溝帯におけるテフの栽培
 

2-1 テフの栽培
写真1: テフの畑
写真2: 収穫の様子
鎌を用いて根元から切り取っていた
写真3: 脱穀の様子
  テフEragrostis tefとは、イネ科スズメガヤ属に分類されるエチオピア起源の作物である。穀粒は直径でなんと0.5ミリ程度しかないが、人びとの主食であるインジェラの材料としてエチオピアでは大変に重要なものとされている。初日は、ナザレット周辺のアフリカ大地溝帯にてテフの栽培を見学した。
  雨季が終わってまもなくの10月下旬、大地溝帯には黄金色に稔ったテフの畑が延々と広がっていた(写真1)。私たちが訪れた時期はちょうど収穫のシーズンにあたっており、人びとは刈入れ(写真2)や脱穀の作業にあたっていた。作業をみていてとくに印象に残ったのは、脱穀の場面である。その方法は、地面に敷き並べたテフを5頭以上ものウシに踏ませておこなうという、非常にユニークなものであった(写真3)。ウシは互いにつながれて、テフの上をグルグルと何度も回転する。そうすると、テフの種子がウシに踏まれ、しだいに穂から切り離されるのである。それにしても、ウシがまとまった様子は見事であった。よほど上手にしつけなければこうはいかないだろうと驚いた。
  テフ栽培では、他の場面でもウシが活躍しているようだ。播種前の耕転において犂を引く畜力として利用されるほか、地力維持にも貢献しているのである。ある村人は、畑のほとんどを毎年テフ栽培にあてているが、地力維持の一手段として収穫後の畑にウシの群れを放すという工夫をしている。ウシはテフの刈り残しを飼料としているが、それを食べた糞が地力の維持に有効となるのである。こうしたことを考えると、テフ栽培とウシ飼養は互いに支えあう関係にあることがうかがえる。人びとは二つの生業を一つの土地の上で結びつけることで、生産をより安定したものにしているのではないだろうかと思った。

2-2 アカシア・サバンナと農牧業の結びつき
  車窓からテフ畑をみているうちに、私はあることに驚いた。畑のなかに樹木が点在していたのだが、それらのほとんどがマメ科高木のアカシア・アルビダAcacia albida (写真1の樹木、以下アルビダ)であったのだ。
  私が調査している、西アフリカ・セネガルのサバンナ帯に居住する農牧民セレールは、トウジンビエ栽培とウシ牧畜を営むなかで、耕地にアルビダからなる人為植生を形成してきた。雨季に落葉し、乾季に着葉するという極めて特殊な季節性をもつアルビダは、トウジンビエに肥培作用をもたらし、ウシに長い乾季の重要な飼料を提供する樹木である。セレールはこの樹木を意図的に耕地のなかに配置することで、トウジンビエ−ウシ−アルビダの三者を共存的な関係に置き、生業を持続的なものとしてきた。
  テフ畑にもアルビダがみられたことは、非常に興味深いことである。しかも、それらは明らかに選択的に残されているようであった。どのような背景でアルシの人びとはアルビダを残すようになったのか、また、セレールと同じように、テフ−ウシ−アルビダの三者間に何かしらの関係が生じているのであろうか。今のところそれはわからない。が、三者の関係を切り口としてセレールとアルシの両者を比較すれば、アカシア・サバンナで営まれる生業についてより広く理解することができるのではないだろうかと思った。

 

3. ウォンドガネットにおける多様な生業
 

3-1 丘陵地の生業
写真4: ウォンドガネット
シダマ(背後の山地中腹)とアルシ(手前の斜面)の居住域
写真5: イチジク(Ficus sp.)に仕掛けられた養蜂筒
  二日目は、丘陵地となっているウォンドガネットへと移動した。ウォンドガネットとは「男の天国」を意味する。このあたりの土地が肥沃で、水も豊富にあることに由来する地名らしい。
  ウォンドガネットを遠望してみると(写真4)、遠くの山にはシダマの人びとの、谷低部を挟んで手前の斜面にはアルシの人びとの居住地がみえた。シダマが換金作物を多く栽培し、貨幣経済に強く依存する一方で、アルシは主食作物の栽培や家畜飼養を基幹とした、自給色の濃い暮らしを営んでいるという。両者の生業の違いは、屋根の材料にも現れているようだ。前者はトタン板を、後者はイネ科草本を材料としていた。
  谷底部にはシダマやアルシのほかアムハラ、グラゲなどの人びとが居住する。シダマの農家を訪れてみると、換金作物としてチャットやコーヒー、果樹などが、主食作物としてはエンセーテやトウモロコシなどが栽培されていた。コーヒーは自家消費することもあるが、その場合は道の上で実を‘加工’する。コーヒーの実を路面に敷き詰め、そこを往来する馬車や自動車に硬い殻を砕いてもらうというものだ。大胆な発想をいとも簡単にやってのけている。比較的急な斜面ではウシの放牧もみられた。その他、庭木の樹冠には養蜂筒が仕掛けられていた(写真5)。蜂蜜は筒一つあたり約200ブル(約25ドル)で酒造用に販売できる。人びとは多様な生態資源にアクセスしつつ、多くの生業を組み合わせた生計を営んでいる。

3-2 チャットの栽培
  シダマの村でとくに熱心に栽培されている換金作物がある。それは、チャットCatha edulisというニシキギ科アラビアチャノキ属の常緑広葉樹である(写真6)。この木は、枝葉に気分を高揚させる成分を含んでおり、イスラム教徒のあいだでは古くから噛んで楽しむ嗜好品として取り扱われてきた。近年では、以前は嗜まなかったキリスト教徒間へも広まりつつあり、またエチオピアの主要輸出品であるコーヒーの価格が低迷したことなどとも関連して、チャットの市場は国内で賑いをみせているという。
  ある農家では、苗を植えたばかりのチャット畑を見ることができた。収穫までには定植から最低2年かかるという。連年の収益を見込んで、農家は異なる樹齢のチャットを混ぜて栽培していた(写真7)。収穫した枝葉は、早朝に近隣の市場へ卸される。チャットは常緑樹であるため、市場は年中開かれている。大部分は周辺の都市へ運ばれるそうだ。この辺りで高値がつくチャットは、ベレチェとよばれる品種で、小売価格は一束15ブル(マルボロ一箱に相当)もした。チャットは人びとに現金をもたらす有望な作物となっているようだ。


 
写真6: チャット 写真7: チャット畑
定植後数ヵ月(手前)と7年生(背後)
 

 

4. アショカ村における生業の変化
 

4-1 村で起こりつつある生業の変化
写真8: ウシ牧畜の様子
写真9: 村の人とディスカッション
   ツアーの三日目は、アワサから70キロメートル東に位置するコファレ郡のアショカ村を訪ねた。この村は標高が2400メートルに達する冷涼な高地にあり、従来からウシ牧畜が基幹的な生業となっていた(写真8)。しかし、村の古老は、近年、牧畜をめぐる状況に変化が訪れていると語る。
  その古老が若かった頃、村ではウシ牧畜だけで生計を維持していたそうだ。ところが、エチオピアの経済体制が大きく変化した1991年以降、農業が急速に普及し始め、現在ではキャベツやオオムギがかなりの面積で栽培されるようになった。その一方で、放牧地が開墾によって減少し、従来どおりの牧畜を継続することが困難になってきたという。

4-2 村の問題と地域研究
  こうした牧畜の変化には、経済体制の変化や人口の増加に加えて、政府が進める生産性を重視した農業指導が、より濃厚に関与すると人びとはいう。農業指導の内容は、保有するウシを在来種からより生産性の高い改良種へと切り替えることによってウシの頭数を減らし、空いた放牧地を農地へと転換するといったものらしい。ウシの質的充実とそれに基づく農業の拡大によって、土地全体の生産性を高めることが、目的とされているのであろう。だが、この内容に対して村の人びとは、いくつかの問題点を語ってくれた(写真9)。
  まず彼らが心配するのは、たとえウシの生産性が高くても、数が少なければ伝染病などで全滅する危険性が高くなることについてである。できるだけ多くのウシをもつことは、リスクを回避することにつながるのだ。また、ウシの頭数が少なくなると、婚資などを支払うことが難しくなるという意見もあげられた。婚資が家畜で支払われるなど、さまざまな機会をとおして家畜の贈与や交換がなされる地域が、アフリカには少なくない。ウシを用いたやり取りが、社会関係を保つうえで重要な役割を果たしているのである。
  ウシの保有頭数が少なくなることは、地域の社会や文化のあり方に関わる深刻な問題である。生産性のみを重視したこの指導は、一見して合理的であるようだが、地域におけるウシの役割を考慮していないという欠点をもつ。私たちがすすめる地域研究は、問題の当事者という立場から地域が抱える問題に対して寄与しうるものでありたいと思った。

 

結びに代えて
 

  アルシ・ツアーは非常に充実したものであった。大地溝帯の見学は地域間比較について考える契機となった。また、アショカ村では住民が村の現状を快く伝えて下さっただけでなく、地域が抱える問題について対話する機会を私たちに与えて下さった。これらは現場でしかできない、貴重な体験である。
  本報告では割愛させていただいたが、ツアーの道中に参加メンバー同士で交わした議論も、記録に留めておきたい有意義なものであった。とくに理論のフレームワークの重要性を熱く語ってくれたウブシェットさんは、今後博士論文を執筆していくにあたって、私に大きな刺激を与えてくれた。ファシリテーターを務めていただいたマモさんには、研究成果に基づく幅広い地域の情報を教えていただいただけでなく、ツアー全般の進行にも力を注いで下さった。マモさんをはじめ参加メンバーに厚く御礼を申し上げたい。

 

 
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