[特別研究会]
Toward the New Age of Anthropological Media
人類学メディアの新しい時代に向けて

日時: 2006年10月20日(金) 14:00〜17:30

場所: 京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科(ASAFAS)
     共同棟3階307号室 (京都市左京区吉田下阿達町46)
主催:京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科、京都シンポSW5実行委員会
共催:映像なんでも観る会

挨拶:平松 幸三 (京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科 研究科長)
発表者:
南出 和余 (総合研究大学院大学文化科学研究科)
川瀬 慈 (京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科)
小林 直明(龍谷大学非常勤講師)
新井一寛 (京都大学アジア・アフリカ地域研究研究科)
Dr. Rupert Cox Granada Centre for Visual Anthropology,
Social Anthropology Department, Manchester University
(ルパート・コックス、マンチェスター大学社会人類学部グラナダ映像人類学セン ター)
要 旨: 
発表1:映像の異なる解釈
Various Impacts of a Film: Screening in Different Cultural Contexts

南出和余 Kazuyo Minamide 発表時間25分

  本発表は、発表者が2005年に制作した“Circumcision in Transition(バングラデシュ農村社会における割礼の変容)”をめぐって、映像作品の解釈や関心、映像のもつ意味が、見る社会によって異なる可能性に着目し、映像のメッセージ性について考えてみたい。 そもそも本作品を制作するに到った経緯は、発表者が2000年から継続的におこなっている子どもの生活世界に関する調査の一環において、子どもたちの割礼儀礼に招待されたことから始まった。したがって本作品の趣旨は、バングラデシュ農村社会でおこなわれる通過儀礼としての男児割礼の様子から、彼らが考える割礼の意味を捉えることにあった。そして本作品は、2006年7月にエストニア・パルヌで開催された「第20回パルヌ国際ドキュメンタリー人類学映画祭」にて上映され、同映画祭にて「科学ドキュメンタリー最優秀賞」を受賞した。人類学的視点の重要性を認めるこの映画祭では、被写体である子どもと撮影者との関係が評価の対象となった。 一方、「割礼」というテーマは、発表者の予想を越える議論を呼ぶことになった。まず、日本での反応は、伝統的方法と近代医療による方法の相違、一概に近代医療が好まれているわけではないことに関心が寄せられた。それに対してエストニアをはじめとするヨーロッパでは、一部の人びとは割礼の慣習を持っているし、また割礼に対する賛否が既に社会の中に存在する。そのような社会では、本作品は子どもの通過儀礼という側面よりむしろ、割礼という行為そのものをめぐる議論を呼んだ。さらには、人権問題の視点から注目されることの多い女子割礼との対比によっても捉えられようとしている。このように、言語の壁を超えてダイレクトに伝えられる映像は、その社会の関心によってさまざまに解釈され、ときに制作者の意図とは別の文脈で使われ得ることがある。映像が制作者の手を離れるとき、そうした異なる解釈をどのように捉え、いかに映像に責任を持つことができるだろうか。本発表ではこうした点を議論してみたい。


発表2: 新作シナリオ 
A Rough Sketch for my Upcoming Film Project

川瀬 慈 Itsushi Kawase 発表時間 20分 

  発表者は2007年1月より、ユネスコとノルウェー政府の委託によるエチオピア音楽・芸能の世界無形遺産登録にむけたドキュメンタリー映画制作を開始する。本発表では、ユネスコから提示された条件をふまえつつ、映像コンテクストにおける再帰性の問題や、Indigenous Mediaの制作方法論等、昨今の映像人類学をめぐる議論を盛り込みながら、発表者がいかに作品を制作していくのか、作品のシナリオ草稿とともに検討する。尚、このシナリオは本発表を受け加筆・修正し、今月末にユネスコ・アジスアベバ事務局に提出する予定である。 エチオピアの首都アジスアベバでは、1991年の社会主義政権崩壊にともなう夜間外出禁止令の解除以降、バハル・ミシェットと呼ばれる“伝統音楽小屋”が増加する傾向にある。ここでは毎晩、特定の踊り子(トウザワジ)たちにより、エチオピアの多様なエスニック・グループの舞踊パフォーマンスが繰り広げられている。発表者が制作する作品では、踊り子の身体、振り付け、服装を通して表象される多様な“エチオピアの諸民族イメージ”が、舞踏を受容・消費する人々の様々な価値観とその担い手たちとのインタラクションを通し、いかに創造、改変され、「伝統舞踊」として提示されていくのか、エチオピアが近年経験してきた政治的変動の影響も考慮しつつ、描いていく予定である。


発表3: KJ法を使った参加型映像制作の試みについて
An Approach of Collaborative Filmmaking with the KJ-method
小林 直明 Naoaki Kobayashi 発表時間25分

  タンザニア・ダルエスサラームにおけるこれまでの制作事例を紹介しつつ、KJ法を使って被写体とともに映像作品を作っていく方法について述べる。


発表4: 映像を通じた宗教体験研究の展望
Visual Images of Sufi's Religious Experience in Altered State of Consciousness
新井 一寛 Kazuhiro Arai発表時間20分

  本発表では、まず発表者が撮影したスーフィー教団の宗教実践の様子を映像で流す。この映像は、宗教実践者の様子を、言語とは違う形で、より生々しく伝えることができる。しかしこの映像は、視覚的には、あくまで外部の観察者がとらえた宗教実践者の「外的な姿態」である。そこで、本発表では、宗教実践において変性意識状態にある人々が、外部からは「見えない」次元で視覚的に神をどのように把握しているのか、またそこにおいてどのような視覚体験をしているのかを、映像によって表現する方法とその意義に関して展望を述べる。


発表5: From the visual to the visible and back again- reflections on visual anthropology as an ethno-sensory practice
Rupert Cox 発表時間50分

  The recent work by the visual anthropologist David MacDougall, “The Corporeal Image” has re-visited a debate about the possibility of forms of anthropological knowledge that may be communicated through visual rather than textual means and by the combination of different representational forms. These possibilities rest on a wider question for practice led research, about the technological and material dependencies of anthropological methods that aim to go beyond text. In the past there has been much sk epticism in the discipline and in the academy of the capacity of media to generate new modes of anthropological thinking. The doubt is historically focused on visual creations, but has consequences for sound and object design as well. The perceived risk is that the technological specificity of media such as film and photography will result in the conflation of the realm of the visual with what the camera makes visible, and thus our understanding of looking may be reduced to looking only at images. This presumption of the inability of technologies of visual, sound and object creation as forms of argument and analysis, alongside their adroit co-option by indigenous peoples, may be said to have contributed to the identification of media as subjects rather than as means of doing anthropology.
  I wish to propose a different approach and suggest that singly, or in combination, media practices of image, sound and object making have the capacity to be intellectual endeavors that may offer insights into questions about the identification of and discrimination between the senses, asking for example, where sight ends and hearing begins. Consideration of these analytical and multi-sensory properties of different media will bring anthropology into a constructive dialogue with cultural domains linked to visual studies, sound studies and material culture studies. Through these dialogues, the aim is to extend experiments in ethnography that have drawn upon the cinematic imagination, in adopting techniques of montage and metaphor, and to explore the communicative potential of works that bring together image, sound, object and text in various combinations so as to represent sensory qualities such as density, depth, texture, color, and volume. As such, the aim is to address the concern for a plenitude and excessiveness of experience when these sensory elements are combined; a view which has often required their creators to emphasize narrative structure, and to offer contextualization or tantalization as constraints on their meaning.

(使用言語: 英語)

コックス氏の研究活動に関しては以下をご覧下さい。
http://www.socialsciences.manchester.ac.uk/socialanthropology/staff/rupert_cox.htm

研究会の後には懇親会を予定しております。

連絡先:
TEL: 075-753-7821 FAX:075-753-7810
新井 一寛(京都大学ASAFAS連環地域論)
川瀬 慈(京都大学ASAFASアフリカ専攻) kawasejambo.africa.kyoto-u.ac.jp