研究会報告: 
「理科的地域研究の必要性と可能性−生態論理・農村開発・環境問題へのアプローチ−」

日時: 2003年2月7日(金) 13:30〜
会場: 東南アジア研究センター 東棟2階教室

地域研究は調査と実践のフィードバックの繰り返しによって、より明確な問題発見もしくは問題の本質が理解される。実践をきちっと研究に位置づけることが必要とされている、ということを企画者である安藤和雄助教授(京都大学東南アジア研究センター:以下センター)が説明した。

最初の発表者である古川久雄教授(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科:以下ASAFAS)は、インドネシアの低湿地をペトロジストの専門家の見地はもちろんのこと社会、文化におよぶ基礎調査から、その基本的特性を明らかにするとともに、その後、アジア各地を精力的に調査され、「生態論理」を提唱された。地域の総合的理解にたった上で、インドネシアの干潮帯と泥炭湿地の土地劣化の修復に汗を流して取り組も決心を披露され、地球の秩序原理を発見する実践智の体系としての地球地域研究を主張された。

二人目の発表者である海田能宏教授(センター)は、ドンデン村での農村開発に関する村落定着調査による問題群発見の調査研究に従事された。その経験をいかし、バングラデシュにおいては、村落定着調査によるキー・イシューの発見、それに基づく小規模農村開発事業による参加型実践研究、それを経ての行政―村落のリンクモデルの策定とモデルに基礎をおいたパイロットプロジェクトの実施と、基礎調査から応用実践まで一貫して国際協力事業団の研究プロジェクト・ミニプロとして農村開発研究を実施してきた貴重な経験を報告された。

三人目の発表者である石田紀郎教授(ASAFAS)は、日本におけるミカン農薬被害、公害訴訟に対する原因究明型基礎調査から20年以上にわたる無農薬ミカン園の害虫発生と琵琶湖での魚類汚染モニタリングの実践と公害調査への参加と被害者の支援活動を継続されるとともに、その経験をいかして、科研費やトヨタ財団の助成を受けながらアラル海の減少による環境問題への取り組をすすめ、現在は、国際協力事業団との連継が進んでいることを報告した。そして被害者の立場に立つとき、特定の研究領域にはとどまれないことを強調された。

以上の発表の基づき、総合討論では個別の質問に続き、企画者の安藤氏から次のような話題提起がなされた。

個別の地域が抱える社会、経済から生産、環境などにわたる問題群は、多岐にわたっている。こうした問題群は相互に複雑にからみあっていることが多い。分析の結果に依拠した対策であったとしても、その対策は実施の中で、「失敗することにより」問題が的確に把握されていなかったことに気がつく。修正を迫られる。「失敗」から、問題発見に立ち戻り、さらにループをもう一度回ることになる。しかし、そのループは同じではなく、ネジのように前に前進している。ただし、前進させている原動力となっているのは、問題発見―分析―実践の過程での「失敗」という一貫性をもった当事者的経験である。従来の発見・分析型研究と実践を分離したアプローチでは、螺旋による推進力は生まれない。問題の発見と対策はたえず実践の試行錯誤の中で確認され、問題をクリアにし、分析を一歩すすめ、実践の具体的内容を修正する。問題の発見と分析という研究行為が実践と離れてしまうことは、複雑な問題の核心をわかり難くする。問題が複雑化すればするほど、実践を通したフィードバック作業による問題の再発見と分析そして実践という螺旋が問題の核心にいたるためには不可欠になる。一つ一つの螺旋の円が、そのつどの「発見」を集積していく。実践があるからこそ認識がうまれる。この単純な認識の手続きを私たちはもう少し重視してもいいのではないだらろうか。海田先生、石田先生の長年の一貫した農村開発と環境問題への取り組みは、実は、問題発見、分析、実践と、段階的に展開してきたように外には映るが、プロジェクトに参加させてもらった内側から見てきた私は、実はそうではなく、たえずフィードバックがあり、問題発見―分析―実践のサイクルが何度もまわりながらドリルのように前進してきたと理解している。それが、古川先生の「実践智の体系」をつくっていくことになるのではなかろうか。 援助の現場で:さて、一歩、目を転じてみると、現在、発展途上国で活躍してきた日本のODAやNGOが壁につきあたっているように私の目には映る。これまでは、相手政府からの要請、もしくは、地元NGO、住民からの要請という、いわゆる要請ベースにのっかかって援助を行っているあいだはよかった。やることが決まっていたから、途上国の問題が実は複雑であったとしても、対策に実践的参加を求められていなかった研究者は評論家的なコメントが許された。しかし、分野別の一般的な問題にたいするコメントでは複雑化した問題への対応が困難であることは誰の目にもあきらかであり、具体的な対応にいたる糸口となる第一歩さえも見えにくくなってきている。つまり、「問題」が発見できなくなってきているのである。本質的な問題に近づこうとすることで、アプローチの糸口が具体的に見えてくる。今、もとめられるのは、一般的問題からスタートした、螺旋をいくつも経ながら当事者的な経験と直観をたよりに、問題の核心を発見していくことにある。だから、援助の現場では、単なる問題発見と対策の提言、それにもとづく実践という従来の分業化された作業分担では、問題の核心にせまることはますます困難になりつつある。だから、何をしていいか頭を悩ますことになる。しごく当然な結果だろう。 つまり、時間をかけ、手間をかけ、汗を流すコミットメントなしには、地域がかかえる問題群の核心がつかめない。地域研究の大きな使命が、個別の従来の学問的アプローチが抱える壁を打ち破ることにあるとすれば、それは一つには、一般命題としての問題群から、人々の顔が見える個別の問題群に飛び込むことにある。問題群に直面している人々と実践を通じて当事者的に経験を共有することで問題の核心に向かう推進力が得られるのだ。理科的地域研究の具体的な可能性を再認識してみたい。

大学だからこそできる実践研究の場とその可能性:実践を取り込んだ地域研究は、海田、石田、両先生の試みに学べるように、ものになるためには少なくとも10年から20年の時間が必要とされる。こうした息の長い地道な実践研究が、じつは今JICA、JBICなどの関係者からも注目をあつめつつある。一見逆説的に聞こえるが、実践研究は、息の長さが勝負である。私は、大学が独立法人化される機会に、このことを皆さんと真剣に考えるべきだと思っている。本物の問題発見とコミットメントが望まれているのだ。あるJICAの関係者は、こうしたコミットメントから生まれてる成果を大学に求めたいとまで言い切っている。時間と手間がかることはすでに承知の上の発言である。実践的研究は、数年にわたる人的、資金的うらづけが不可欠である。JICA、JBICそれに民間財団など、実践研究を支援したいと考えはじめている組織、人などといかに連携し、息の長い実践を取り込んだ地域研究が展開できるのか、それに適した組織をどう作り、地域研究が何を社会にアピールしていけるのか?理科的地域研究の必要性と可能性を踏まえ、長期的な実践研究が継続できる仕組みと組織、ネットワークの構築を皆さんとともに具体的に展望してみる。

以上の安藤氏の提案に対し、賛否両論が出されたが、最後に山田勇教授(センター)が、次のような総括で締めくくった。

イギリスでもサッチャーの時代にこのような波があった。そのとき大学を去った人も多い。今までのコンサル、NPOのやり方を踏襲せずに、大学の特色を出せるかどうかが問題だ。この3月で退官される3人の先生方は、それぞれにオリジナリティーを発揮されてきた。こういうものを画一的な組織に取り込むことはよくない。自由度が高く、大学の特徴がだせるしくみをつくっていかなければならない。

この研究会のレジメと討論速記を公開します。

レジメと討論速記へ
戻る