研究会報告:  「生態学の理論の人類学への適用と誤用」

日時: 2003年3月25日(火) 17:00〜
会場: 京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科、白眉館セミナー室

文理融合研究会のめざすもの: 
最近文理融合の機運が高まっており、それなくしてASAFASの存在意義もなかろうと思います。しかしちょっと安易な風潮も見られます。1.社会科学者が一次産品の生産流通に言及する。2.自然科学者が社会や文化についてええかげんなことをいう。本当の文理融合とはこんなつまらぬものではありますまい。
文理融合研究会は、扱う対象の「中間化」にはあまり興味がなく、理論の融合を目指します。発表者は、同一テーマまたは関連する内容のテーマについての発表を何回か繰り返し、最終的には論文の執筆を目指します。

第一回目は、百瀬邦泰助手(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科)が「生態学の理論の人類学への適用と誤用」という表題で最近Annual Review of Anthropologyに載った論文を中心に、生態学の理論にもとづいて批判と提案を行った。扱った論文は、

1)I. Scoones NEW ECOLOGY AND THE SOCIAL SCIENCES: What Prospects for a Fruitful Engagement? Annu. Rev. Anthropol. 1999, Vol. 28: 479-507
2)Paul E. Little ENVIRONMENTS AND ENVIRONMENTALISMS IN ANTHROPOLOGICAL RESEARCH: Facing a New Millennium Annu. Rev. Anthropol.

上記論文の筆者らがemergence of new ecologyの名で指している内容は、コンピューターの発達により数理生態学の方法が漸進的に変化してきたことをさしていると解釈できる。これを equilibrium vs. non- equilibrium論争として理解するのは誤解である。また、基礎理論に大きな変更があったと考えるのも誤りである。但し、古典的群淘汰の排除と個体淘汰の再確認による進化生態学の発展は1970年代の重要な理論的革新で、筆者らの論にも深く関係してくる。しかし、なぜかこれについては触れず、的外れなequilibrium批版に終始している。
とはいえ、Scoonesの提案には賛成できる点がある。彼がadaptive managementと呼ぶものは、不確実性を受け入れ反応を見ながら繰り返し働きかけるという意味にとれるが、これはほとんどの生態学者が同意するだろう。しかしその根拠はnon- equilibriumではない。系の複雑さは、non- equilibriumのみに帰すことはできないからだ。
また彼は、科学的知識と局地的、俗説的、土着的知識の区別がないといっている。これは、一般化が通用しない、という意味であると解釈できる。生態学でも一般法則の追求は限界に来ている観があり、遅まきながら実践的研究を画策すべきだと思う。そのとき生態学の枠内の留まれないことは当然覚悟すべきである。
提案の中で間違っている点も指摘しておかなくてはならない。筆者は環境を扱う上での「静的な枠組み」を全否定している。しかし、復元力が働く閾値を越えた外力が働かないような系を扱っている研究者は、自信を持って「静的な枠組み」(均衡状態に注目する研究態度)を使い続けて構わない。断言するが、生態学からは、その枠組みを否定するような結論は出されていない。
最も大きな害悪は、資源の有限性に注目した研究を、有限性は静的を連想させ、トレンドにあわない、というくだらぬ理由で批判していることだ。外部不経済に注目して自然資源管理問題を扱う環境経済学へのScoonesによる批判や、共進化的システム論を扱う生態経済学への批判は、完全に的はずれである。

戻る