研究会報告: 「開発の記憶」

七五三泰輔(京都大学大学院)

日時: 2003年3月6日(木曜日) 午後2時〜5時
場所: 京都大学東南アジア研究センター 東館2階207号室

2:00-2:40 足立 明(京大AA研究科)「開発の記憶の問題系」
2:40-3:20 加藤 剛(京大AA研究科)「開発と革命の語られ方―インドネシアの事例から」
3:40-4:20 内山田 康(筑波大学)「開発に記憶はない」
4:20-5:00 総合討論

はじめに、本研究会の発起人である足立明氏によって、開発と記憶のもつ研究意義と概念の提示がなされた。まず、1980年代以降、さまざまな「記憶」に関する研究がブームとなったが、開発の記憶に関する議論はほとんどなされてこなかった。この点は、後の発表で詳述されるが、開発の性質と分かちがたく結びついている。

  足立氏は、議論を展開するうえで、「開発の記憶」と「開発における記憶」の区分が重要だとする。具体的には、開発プランナーの記憶としての「プロジェクト・サイクルの記憶」と、それを受け入れる側の記憶としての、「開発プロジェクトと関わるさまざまな出来事」との区分である。さらに、対象領域として3つを挙げることができる。「ローカルな場での開発における文化政治、およびそこに関わる記憶」、「開発の公的記憶と個人の記憶」、そして「開発援助機関における記憶」である。
これまで、開発の「受益者」の経験と記憶は、ほとんど記憶の問題として取り上げられてこなかった。その記憶を理解し記述するには、上の3つの対象領域間における複雑なネットワークと、ローカルな文化の政治学に留意しつつ、開発の記憶を持つ他の「受益者」との連帯に向かう手段となるような語り方を磨かなければならないと足立氏は結んだ。

  加藤剛氏の「開発と革命の語られ方」は、インドネシア現代史を二分するキーワードの対比を通して、開発の記憶における特徴を明らかにするものであった。加藤氏によれば、開発と革命の対照性は以下のようにまとめることができる。まず、革命は動員、参加・犠牲、体制打倒、記憶、再生(リプレー)と関係が深く、開発は選挙、充足・消費、体制維持、計画、更新と関係が深いことが指摘された。また、興味深い点として、革命は通常現存政権にとって記憶されるべき過去でありつづけることが望ましく、その一方で、開発は常に次の曲がり角までの近しい未来を指向する。したがって、過去は振り返らない。現在とても、広告におけると同じように、今にひきつけられた近未来の別称である。

  内山田康氏の「開発に記憶はない」では、2つの問題が取り上げられた。第一に、開発のフィールドにおいては確たる図式schemaがあり、この図式が常に「転写」され続けている。この強力な図式によって、人はいともたやすく「開発専門家」となることができる。第二に、その転写されるプロセスをどこから、どのように記述したらよいかという問題である。この問題提起から見えてくるのは、開発のプロセスには記憶がなく、また仮にあるとしても、それはフォームについての記憶だけだというである。
質疑応答では、「開発プランナーの立場からのみ議論がなされており、受け手の記憶が議論されていない」、「なぜ零れ落ちる記憶を拾い上げる必要があるのか」、「経験されたものをいかに語るのか」といった問題が議論された。

  この研究会は、開発と記憶の問題を議論する場を初めて提供したという点で、開発研究に新たな地平を開く第一歩となったのではないだろうか。初の試みであったため、各発表者と聴衆の間に認識の食い違いが見られ、議論が空回りする一面も見られたが、今後議論を重ねていけば、開発と記憶の問題を深めていくことができるだろう。

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