タイの現代作家セーニー・サオワポン(1918−)は、『ワンラヤーの愛』(1953)
において、タイ古典文学より延々と続くタイ女性像を打ち破り、伝統的価値観や社会
の精神的腐敗を批判して女性の解放を目指した。続く『妖魔』(1954)では、業の通
俗的観念で縛られた封建的社会体質の桎梏からの主体的・精神的覚醒を促している。
それらの背景には、立憲革命(1932)前後より本格化するタイ近現代文学における作
家の社会に対する鋭敏な意識と態度がある。政治的社会的不安定は、セーニーの文学
者としての社会意識を鮮明なものにし、その立場は「人の飢餓のために死んでいって
いる時、月の美しさはなんの役に立とう。芸術家の責務は悲惨な光景を直視するとこ
ろにある」というある批評家の言葉に集約され得る。
本発表では、元ビルマ大使で1990年度タイ国国民芸術家賞も受賞したセーニーの上
記二作品を中心に、彼が対峙したタイの社会体質の問題点を文学の立場から探ってみ
たい。