テキスタイルという物質文化を切り口として東南アジアを眺めて見ると、この地域は言語人類学の民族分類を超越した特殊な機織り文化圏として浮かびあがってくる。
世界の伝統的な機織り技術を俯瞰したとき、東南アジアの機織り技術は、環太平洋とその周縁地域に展開する腰機をともなった機織り文化圏のうちに包括される。そうしたなかにあって、東アジアと東南アジアの機織り文化はともに中国を起源地とした機織り技術の伝播によって発展してきたと考えられる。しかし、両地域の機織り文化の起源は同一とは考えられない。このことは東南アジアとその周縁地域における機織り文化の基層に、輪状の織物を織るという機織り技術があったと考えられるものの、東アジアの機織り文化の基層には、輪状織物の痕跡がまったく見いだせないことによる。
一方、東南アジア機織り文化圏では、イカット(かすり)や縞織物や紋織物などが普遍的に織られてきた。それらの織物のデザインについては、民族ごとに独自性が見いだされる。しかし、インドネシアのジャワ島を中心として局地的につくられてきたバティック(ジャワ更紗)については、デザイン・ソースのほとんどすべてが海外からもたらされたものであるという特殊性をそなえている。そしてさらに、そのデザインは近・現代の熱帯アフリカや東南アジアにおけるファッション素材であるプリント・テキスタイルの普遍的なデザインとして展開している。なお、そうした背景には産業革命以降のイギリスをはじめとするヨーロッパ、そしてインドと日本のテキスタイル業界の関与があり、さらに現代においてはタイや中国のテキスタイル業界も深く関わっている。