ベトナムで1990年代半ばから取り組まれるようになった新しい三つの民族政策を紹介し、それら三政策の行き詰まりの原因が、「民族間政策」の不在にあることを指摘する。ベトナムではドイモイ改革開始直後の一時期、少数民族政策は「置き去り」にされたが、ソ連が民族問題を発端として崩壊へと向かったことを教訓に、共産党は1989年末より再び様々な少数民族向けの政策を実施するようになった。当初は少数民族地域に対して配給制度や優遇措置を特別に復活させたりする程度だったが、1990年代末から「135プログラム」に代表されるように、村ごとにまとまった予算をつけてインフラの整備や、農業振興策、教育・福祉の充実などをはかり、貧困層を減らすことを目標とするようになった。これらは依然としてベトナム共産党が従来行ってきた政策の延長上にある。つまり国家対少数民族という構図のなかで、一方的に権力側が与え、統治される側が受け取るというものだった。それに対し、1990年代半ばから取り組まれた三つの政策は、どれも民族間関係の調整や民族同士の関係性を課題とするべきものであったと言える。一つ目は「民族法」の策定で、「民族」を冠した独自の法律を策定することだった。二つ目は少数民族の慣習法の応用である。伝統的な慣習法を現代の法律に応用し、土地争いの解決や共同体の管理に役立てようとするものである。三つ目は民族分類の再確定作業である。公定民族数の増加を求める少数民族側の要求に応じ、現在54とされている民族数を再検討し増加も認めようとする政策である。特に民族法の策定と民族分類の再確定作業は、ベトナム独自の政策で、一時期非常に熱心に取り組まれたが、今のところ全て行き詰まりを見せている。報告ではまず三つの新政策が取り組まれるようになった背景を考察する。国家がモノやサービスを供給し少数民族の生活レベルの底上げをはかるといった「民族政策」には、ある程度成功し実績を誇ってきたベトナムだったが、「キン族」対「少数民族」、あるいは「少数民族」対「少数民族」という競合関係、弱肉強食の関係を解きほぐす「民族間政策」に積極的に取り組もうとしている政策担当者や民族学者は現在も少数派にとどまり、実際には従来の「国家から」の視点でしかこれらの課題に取り組むことができなかった過程を検討する。そして、それが三政策行き詰りの原因につながっていることを指摘したい。