ビデオカメラをもって調査に向かう方や、映像は撮りためているのだが一歩踏み切って作品にまとめることを躊躇されている方が、本書を読んで映像作品を制作しようと思っていただければ幸いである 本書を構成する各論文では、各自が制作した映像作品の内容を軸に、撮影対象の人々の紹介と自らのかかわりについて述べている。また映像作品の目的、問題意識の背景、研究的意義、撮影や編集などの技術的・美的側面などを明確にし、みずからがいかにして映像作品を制作したかといった具体的な実践についても再検討している。その検討の過程は、それ自体が、映像作品とその制作論を通じた、人類学や民族誌をめぐる議論に一石を投じる可能性のある実験的な試みといえるかもしれない。
そこでは、被写体に映し出される撮影者の「存在」をどう扱うかといった再帰性の問題。感覚の認識から民族誌について問い直し、その問いに映像による追感覚化によってこたえようとする試み。主に先住民族や少数民族など、一方的に被調査者とされてきた人々による先住民メディア(Indigenous Media) 運動と人類学者の関わりあい。詩的レトリックを借りたモンタージュによる民族誌的な語りの有効性の追及など、昨今の映像人類学の議論潮流に関わる内容も含まれている。
各論文は様々な形式をとっており、それらは論証を旨とした論文というよりもエッセイ的な断章、あるいは両者の折衷型といった方がよいかもしれない。各論文の特徴として、論文調の考察や説明と、作品制作過程の実体験に基づく記述を並列させている点も挙げられる。制作者自身が状況対応的に、ひとつの作品を作り上げる行為をよりリアルに描くことに主眼を置いたためである。
1章「『見えない』ものを撮る」では、それぞれエジプトのスーフィー教団とインドの移動民ヴァギリの研究を通じて、近代化のなかで生じている新たな宗教的動向を研究している新井と岩谷が、自らの研究にとって映像作品がどのような効果を持ちうるのかについて検討している。新井は映像作品による感覚の認識を通じた宗教実践の包括的な理解と、分析的にその特性を抽出され切り刻まれた宗教者の魅力の「全体性」の回復を試みている。岩谷は非意図的に映像に紛れ込むものとヴァギリの語りを紡ぐことによってタミル社会に浸透しつつある「呪術の気配」を表現しようと試みている。
2章「ひとのつながりを撮る」では、川瀬がエチオピアの吟遊詩人の活動を対象として、撮る側と撮られる側という二項対立の揺らぎのなかに見られる自らの映像作品の可能性について述べている。つまり、川瀬は撮影者やカメラの存在は「撮る側」の行動や態度にも映し出されるといった観点から、吟遊詩人の路上のパフォーマンスを記録し映像作品としてまとめる過程を、物語の制作ではなく、「物語への侵入」という態度をとることで試みている。また、小林は、タンザニアの住民組織とともに映像作品を制作する試みを通じて、撮影者と被撮影者という権力的な二項対立の関係を実践的に問い直し、新しい具体的な作品製作の方法論を提示している。これは映像作品だけではなく民族誌一般についても再考をうながす問いかけとして受け取れるものである。しかし、ここで触れておかねばならないことは、小林の最終目的は狭義の学問的意義ではなく、住民たちが自らのために自らの力で自らを記録し作品化し自己表象へと至ることが可能になることであり、彼らをエンパワーメントすることである。そこにあるのは研究者が忘れてしまいがちなヒューマニズムの熱情である。
3章「『他者』を撮る」では、分藤が民間の放送局からの委託という状況下での映画製作について述べている。分藤はそこで長年調査し続けているカメルーンの森の民を撮影し作品化するとともに、自らの撮影者としての立場を紹介することを依頼される。分藤は悩み、模索しながらも次第にこの状況が人類学者としての自らの調査者および撮影者としての立場性について考える契機になっていることに気づき、作品を制作する「他者」としての自分と真摯に向き合うようになる。そこで繰り返し主張される現地の人々へのフィードバックという言葉は、制作過程で立ち現れてくる複数の「他者」とのやりとりに、必死に思考錯誤する分藤の姿がにじみ出ているようにも読み取れるかもしれない。また弘はヒマラヤのネパールに存在する(していた)デヴォキというヒンドゥー教の女神ドゥルガー寺院に、祈願の代償として幼い頃に奉納される女たちに迫っている。弘は同じ女としてデヴォキに興味を持った。ここで弘は同じ女だからこそ撮ることができる映像があるのを実感する。しかし一方で撮影者としての客観性を意識しなければならない。弘はそのような葛藤のなか、現地の人々との共同作業のなかでひとつの映像作品が仕上がった過程について振り返る。
4章「撮れないものを撮る」では、長年映像制作にプロとして携わってきた北村が、拭いきることが出来ない若き日の撮影について記憶を呼び起こし書き下ろしたものである。北村は自らが撮影・製作し、30年間封印していた映画『アカマタの歌〜海南小記序説 西表島・古見〜』[1973]についてぎこちなく語り始める。古見の説明、アカマタの説明を過ぎ、話が進むにつれてその語りには、プロの映像作家が先天的に有していたかのような「撮りたい」という本能がじわじわと滲み出てくる。語りはいつしか、命と同じくらい大事な秘儀の魂を撮影によって抜かれることをどう思っているのか、淡々とした口調ながらも鬼気として問いただす島民たちと北村のやり取りに及ぶ。「秘儀を撮ることにどんな意義があるのか」、「自分たちにとってそれは撮られたくないものなのだ」と。その気迫に対して、「撮りたい」という映像記録者の本能的欲求に従った男が、記録や学問的・社会的意義などを織り交ぜて必死に抗うやりとりは、人類学者が隠蔽している欺瞞を引きずり出すような迫力がある。
また、本書では各執筆陣が制作したDVDを添付した。この試みによって、各論文と映像作品の相互参照が可能となり、記述による表現と映像による表現の相違が明確になるとともに、記述と映像がいかに相乗効果を発揮するのかを明示することが可能となると考える。この相互参照の試みは、記述による説明・分析がいかに映像作品のもつ力によって補完・侵食されるかを実感させ、従来の「文字による研究」を相対化することを通じて、研究上における両者の効果的な関係構築について考えさせる結果となるであろう。この試みもまた、人類学や民族誌をめぐる議論に一石を投じる可能性のある実験的な試みとして意識したものである。
コラムでは、北村と石谷によるそれぞれの独自の視点からの映像人類学史を提示した。北村は、従来十分に注目されてこなかった日本の初期の映像と民俗学や人類学の関係について述べる。石谷はフランスを中心とした海外の映像人類学の系譜を、劇映画との関係から通史的に読み解く。
付録では、世界の映像人類学の現状について、映像人類学に関係する諸機関や人類学映画祭の情報を中心に提供した。 |