カメルーンのフィールド・ステーションのドンゴ村より到着の報告をいたします。
7月13日にカメルーンの首都ヤウンデに到着しました。こちらは現在小乾期で、京都の蒸し暑さとはうってかわって非常にすごしやすい気候です。ヤウンデの町はあいかわらず活気に満ち溢れています。ここ数年、携帯電話およびインターネットの普及がめざましく、町中で携帯電話会社の看板が見受けられ、サイバーカフェと称するインターネットカフェも増えています。私が3年前に初めてヤウンデに来たときには、「テレブティック」と呼ばれる電話屋さんに行って電話をかけていたものでしたが、いまやモバイルフォンは日本の「ケータイ」同様、若者のステータスになっています。町ではリンガラミュージックではなくヒップホップが大音量でながれ、一瞬どこにいるのかしら?という感覚に陥りますが、マルシェで元気にバナナを売るおばさんや、バリバリに割れた窓から声をかける黄色いタクシーのお兄さんとのやりとりは、まぎれもなくヤウンデにいることを感じさせてくれます。
7月21日、ヤウンデでの都会生活に別れを告げ、車は森へ向けて出発しました。フィールド・ステーションのあるカメルーン東部州には、見渡す限り緑の森が広がっていますが、現在ヨーロッパ資本による商業伐採が急速に拡大しており、森の中には縦横無尽に伐採道路が走っています。これまで車が通れなかったような森の奥地にまで道路が延び、静かな森は今、大きな変化の中にあります。
途中、ズアラボット・アンシアンという村でバカ・ピグミーの長期集団移動猟に関する調査をおこなっている京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科の安岡さんを訪れました。彼が調査を開始した2001年にはまだ車が通れるような道はなく、歩いて村まで行ったそうですが、今では家の前まで車を乗りつけることができます。夜には、「べ」と呼ばれるバカの歌とダンスがおこなわれました。ひっそりとした森にタムタムの軽快なリズムと女性の美しい歌声が響き渡り、暗闇のなかで激しく舞う森の聖霊「ジェンギ」の姿は、非常に神秘的な雰囲気をかもしだしていました。
7月23日、ズアラボット・アンシアン村をあとにして、さらに車は幹線道路を南へと向かいました。途中、アヨス(Triprochiton scleroxylon)やサペリ(Entandrophragma cylindricum)といった大木を積んだトラックと幾度となくすれちがいました。幹線道路の終着点であるムルンドゥから渡し船にのって川を渡り、さらに車で一時間、やっと我々を乗せた車はドンゴ村に到着しました。ヤウンデからの走行距離は実に1000kmを越えています。
フィールド・ステーションであるドンゴ村は、カメルーンとコンゴの国境をなすジャー川のほとりに位置しています。我々の建物はバカの集落の中にあり、モングルと呼ばれる彼らの家からは、おしゃべりする声が聞こえてきます。
私がフィールド・ステーションに到着して一週間ほどすぎた日の夕方、建物の後ろで突然「ウオーホッホッホッホッホ・・・」という大きな声が響き渡りました。ゴリラです。いちばんびっくりしたのはほかでもない私でしたが、村は騒然となり、男たちは森へ入っていきました。ゴリラの声が聞こえるたびに、人びとも歓声をあげて右往左往。結局、捕らえることはできなかったようですが、初めて聞いたゴリラのおたけびは力強く、森に息づく大きな生命力と、それをも包みこむ森の偉大さをあらためて痛感しました。
博士予備論文では、カメルーンの熱帯雨林帯に暮らすバンガンドゥと呼ばれる農耕民を対象に、彼らの農耕活動について、とくに基幹作物であるプランテイン栽培に着目して調査をおこなってきました。彼らの生活は、農耕をはじめ採集・狩猟・漁労など森を舞台としたさまざまな生業活動によって成立していますが、近年現金収入源としてのカカオ栽培が拡大しつつあり、彼らの森の利用や生活にも変化が見られます。ここドンゴ村でも、カカオの大きなプランテーションがあり、収穫期の9月から12月にかけては村中のバカが雇用労働に従事すると言われています。「金のなる木」カカオの存在は非常に大きく、農耕民のなかには、個人的にチェーンソーを購入する人も出てきています。ゴリラの声がチェーンソーの轟音に変わる日も近いのでしょうか?
以上、ゴリラの感動さめやらぬドンゴ村より、フィールド・ステーション到着の報告とさせていただきます。
|