フィールドからのたより

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一人前の土器職人への道
−エチオピア西南部アリ地域における土器作りのフィールドから−
金子守恵(アフリカ地域研究専攻)

  「エイエー!エイエー!モリエーはブナ・アクシャが作れるようになったのか。さては、嫁に行く気だな!」

  「エイエー!」というかけ声は、アリの人たちがとても驚いたときによく使う感嘆詞だ。ブナ・アクシャは、コーヒー(アリ語でブナ)を煎るのに用いる直径 50 cm ほどの円盤形をした土器のフライパン。いつも私の土器作りを冷やかしにやってくる近所のおじさんが、ブナ・アクシャを作っている私に向かって歌うように声をかける。
  エチオピア西南部で定住的な農耕生活をおくっているアリの人たちのところに滞在しはじめて 1 年が過ぎようとしている。標高 1,500 m 前後の土地に暮らしている彼らは、エンセーテ(根茎を食用にするバショウ科作物)、タロ、ヤムなど 6 種類以上のイモ類と、モロコシ、オオムギなど 5 種類以上の穀類、そのほかにも豆類、野菜類と 10 種類以上におよぶ果物など多様な作物を栽培している。「 1 日に 2 度 3 度と同じ料理を食べるのはよくない」という表現をしばしば口にする彼らは、主食だけを例にとってもさまざまな料理を作って食べる。同じ素材でも、たとえばエンセーテを単純に蒸すだけでなく、他の素材と一緒に蒸したモサと呼ばれる料理をしたり、エンセーテの葉軸の部分をしごき落としたものを発酵させパンにしたりと調理方法を変える。居候先に滞在中、続けて同じものを食べた記憶がほとんどない。
  はじめてアリの地を訪れたとき、似たような形をした同じようなサイズの土器が、台所の壁や地面に所せましと置いてあるのを見て、てっきりそのいくつかは壊れていると思っていた。家の夫人に説明を求めると、土器はどれも壊れているわけではなく、それぞれが日々の食事を作るときに必要であるという。土器以外にもアリの人たちは、木、竹、ヒョウタン、石、粘土、イネ科の草本など地域内で入手できる素材から作ったさまざまな道具を使用している。その中で最も数が多かったのが土器であった。

 
写真1 蒸かしあがったエンセーテを竹ベラでつぶしているところ
底が丸く首のついた土器(ティラ)を使ってイモ類を調理する。壁には、食材・料理ごとに使い分けられている土器が吊されている。
写真2 モサ(エンセーテ料理)
エンセーテの根茎部分の他に、ケールの葉、タマネギ、脂肪、ベニバナインゲン、塩などが入っている。中央には、キダチトマト、ニンニク、ショウガ、トウガラシ、香草、塩、香辛料がはいった薬味がある。これをつけながらモサを食べる。

  Tさんの台所には 18 個の土器がある。そのうちティラと呼ばれる土器が 11 個あった(写真 1 )。ティラはその下位分類名が用途に応じてつけられている。11 個の内訳は、キャベツ料理用(エキナ・ティラ)、蒸留酒用、水瓶が各 1 つずつ、タロイモ料理用(ガビジャ・ティラ)が 2 つ、モサ料理用の大きいティラが 1 つ、小さいものが 3 つ、ブナカル―コーヒーの生葉を煮出して、塩、ニンニク、香草、香辛料をくわえた飲み物―を沸かす土器(ブン・ティラ)が 2 つであった。彼女によれば、モサ料理用の大きいティラを使うのは客が来た時のみで、通常は残り 3 つを順番に使う。こうすると土器が長持ちするし料理がおいしくできるのだそうだ。2 つあるブン・ティラは口の直径が異なる。大きい方のブン・ティラで沸かしたブナカルを、香草を入れておいた口の小さいブン・ティラに移して、それから小さなカップに注ぐ。彼女がこのようにして使い分けているティラは全部で 9 種類あり、その高さは 15 cm 程度から大きなものでは 40 cm 以上もあった。

  今の時代に土器が生活のなかで活き活きと使われ、製作されているところとはいったいどんな所なのか、素朴な疑問を抱く一方、こまやかに土器を使い分けるアリの人々のこだわりにも強く惹きつけられた。そして、土器を作りながらフィールドワークをするという生活をはじめた。

写真3 粘土遊びをしている少女(中央)
マナの女性たちは、家事労働以外のほとんどの時間を土器づくりに費やす。幼少の娘たちは土器をつくる母親のそばで粘土遊びをしながら、土器のつくり方を身につけていく。
  アリで土器を専門に作っているのはマナとよばれる職能集団の女性たちであるRアリ地域には粘土を産出する場所が 10 カ所ほどあり、その周辺に土器作りの職人とその家族が集住している。1 つの産地の周辺には 25 人から 100 人くらいの職人たちが村を作って暮らしている。
  土器作りの村に生まれた娘は、6 才ころから母親のそばで土器の作り方を学び始める。彼女らが一番最初に作る土器は、ブン・ティラである。母親はまず、ブン・ティラを作るのに必要な量の粘土塊をつかみ取り、
 「こうやって作りなさい」
といいながら、自分の手の動きを示すとすぐにその粘土塊を娘に手渡してしまう。娘は母親の手の動かし方を観察しながら、見よう見まねで土器作りをはじめる。はじめて土器を作る娘に対して母親は、
 「私の手と娘の手はちがうのよ」
といって彼女の土器作りに介入することはほとんどなく、手をとって教えることはない。娘ははじめから終わりまですべての製作過程をひとりで行うのである。
  ブン・ティラを作ることができるようになると、次は同じ形でひとまわり大きなエキナ・ティラを作りはじめる。このようにして、娘たちは小さな土器から大きな土器へと徐々にその作り方を習得していく。土器を作りはじめて 3 年目になるイタヤタは、2000 年 9 月の時点で、エキナ・ティラを作ることができたが、それより 4〜5 cm 大きいモサ・ティラをつくることはまだできなかった。
 「お母さんにも、モサ・ティラを作れっていわれているの。作り方は知っているの。でもね、2 つ作ったとしたら 1 つはこわれちゃうの」
 その彼女も翌年の 6 月には、
 「小さいモサ・ティラを作れるようになったわ」
とうれしそうに報告してくれた。
  娘たちは、作ることに加えて、定期市で土器を売ることもおぼえなければならない。市の立つ日の朝、母親に火入れをしてもらった土器をエンセーテの葉にくるんで、歩いて 1 時間ほど離れた市に背負っていく。穀類、野菜類、果物などの価格相場がほぼ一定なのに対して、土器は、鉄器、木工品、家畜などと同様に売り手と買い手の交渉によって値段が左右される。土器を売り買いする交渉の場面はしばしば殺気立つ。職人たちには土器を買ってもらうために、売り手として低姿勢になることはほとんどなく、呼び込みなど全くしないで客が近づいて来て価格を尋ねたときにはじめて口をひらく。職人たちは一番小さなブン・ティラでさえ 1 ブル(=約 17 円)以上の値をつける。1 ブルあれば、エチオピア独特の発酵パン、インジェラが 5 枚買える。たいてい客はもっとまけさせようとし、職人はある程度までは譲歩して交渉を続けるものの、気に入らなければ客を追い返してしまう。イタヤタも、はじめはもじもじと下を向きながら交渉していたものの、むりやり 40 セントを渡して買っていこうとする客から土器を取り戻し「売らないわ!」と叫んでお金をつきかえした。
  娘たちはエキナ・ティラが上手に作れるようになると、その次はナベやコーヒーポットのような形の違う土器を作り始める。私が作っていて冷やかされたアクシャという土器は、モサ・ティラや大きなガビジャ・ティラが十分作れるようになってからでないとむずかしい。一人前の職人も修行中の娘もそのことはよくわかっている。このアクシャが壊れずに作れるようになり、酒造り用のマタージャ、ビルキ、インジェラを焼くバルシアクシャなど大型の土器を作ることができるようになると、そろそろ結婚話がもちあがる。

写真4 「この土器をみて結婚を決めました」
アドマソ(右後)、妻アステラ(左)と彼らの3人の子供たち。この土器は、彼女が結婚する前に夫に頼まれて作り、彼はこれをみて結婚を決めたという記念すべきものである。現在もまだ壊れずに使っている。
  マナの男性にとって、良い土器を作ることができる女性は良い妻になるという。結婚を考え始めた青年たちは、各村の定期市を歩き回り、美しい土器を作れる未婚の女性をさがす。
  結婚して7 年、子どもが 3 人いるアドマソは、今の妻、アステラに出会うまで 6 年かかった。彼は、結婚を申し込んでからすぐに、最大円周が 2 m ほどもある酒造り用の大きな土器を作ることをアステラに頼み、彼女は 1 週間もしないうちにそれをつくってアドマソに贈ったという。
  「人によってはね、水漏れしたりして 1 日ももたない土器があるんだ。でもね、アステラの土器はそんなことなかった。まだその土器は家にあるよ。丈夫な土器を作れるとわかったから彼女と結婚したんだ」
  こうして、ほとんどの職人たちは、自分が生まれ育った村を離れ夫が暮らす村へと婚出する。
  妻となった職人たちは、夫の村の周辺で産出できる粘土で土器を作り、自分自身で火入れをしてマーケットに出荷しなければならない。また、売上のほとんどは生活費にあてられる。
  G村のイジャケンは、夫と 2 人の娘の 4 人で暮らしている。2 人の息子は去年と今年に結婚して近所に暮らしている。イジャケンは直径が 1 m 以上もあるアクシャを毎日 2 枚ずつ作る。夫は、約 30 アールの畑に自給用のトウモロコシを作付けし、その他に 5〜10 アールのコーヒー畑を所有している。コーヒーは 2〜3 年に 1 度の割合で約 200 kg(=約 600 ブル)の収穫がある。イジャケンは、日々の暮らしに必要な生活費に加えて、息子 2 人の婚資や、夫や子どもたちが病気になったときの薬代など支出を一手に引き受けてきた。
  「これまで、私が自分の手で土器を作ってなんとかして生きてきたの。父も姉も助けてくれなかったわ。だってここにお嫁にきてから、私が土器を作って自分の残りの婚資を父親に払ったのよ」
 彼女の息子が結婚するのに必要だった婚資について話をしていたときに、イジャケンはこういった。
   「アクシャは、社会主義政権になってから急に値段があがったから作るようになったのよ。今もアクシャ以外の土器は作るわよ。アクシャはひびが入って壊れやすいから。いろんな種類の土器を作っておいて焼成すればどれかは壊れず、最低でも塩は買うことができるでしょう。だから、いろんな種類の土器を作ることができるというのは、いいことなのよ」

写真5 土器をつくっているイジャケンと妻のつくった土器を磨く夫
夫は、わずかな畑を耕作する他は、ぶらぶらと村の中を歩き回ったり町にでかけたりする。時には、妻のそばで土器づくりをながめるだけでなく、手伝う場面も見られる。
  「それでモリエーはどこの村に嫁にいくんだ。ブナカルは沸かせるのか?インジェラは焼けるのか?」

  さっきのおじさんはまだ、おもしろがってその話を続けている。私は、今作っているアクシャにひびがはいりはじめ、それを直すのに懸命で、彼の相手をしている余裕はない。私の斜め後ろに座って大きなアクシャをつくっていたイジャケンが、救いの手をさしのべるようにこういった。
  「モリエーは、マタージャと、ビルキと、バルシアクシャと、全部の土器が作れるようになってからお嫁にいくの。今はまだだめよ」

 

 

『アジア・アフリカ地域研究』第2号掲載: 2002年11月発行

 
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