「とりあえず今日は、ウチの息子達を見てやってくれ」
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写真1 少年たちが寝起きする野営地の小屋 |
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写真2 チパンデを歌う少年達
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聞き取り調査にでかけた先の主人はうかれていて、めんどうな質問は勘弁して欲しい様子である。いさぎよく聞き取り調査はあきらめて、案内されるままについていくことにした。家人の住むホームステッドのすぐ脇に、収穫されたばかりの新しいソルガムの茎を束ねて立てかけただけの、簡素な小屋が野営地に造られている。割礼を受けた少年達が、傷が癒えるまで寝起きする小屋だ。入る前からテンポの速い拍子木を打つ音や、かん高い笛の音が、にぎやかに聞こえてきた。
ここはタンザニア中央部ドドマ州のアカシア・サバンナが広がる半乾燥地。バントゥ系農牧民のゴゴと呼ばれる人たちが住む、人口 2,500
人の村である。生業の基盤は農耕でありながら、かなり大規模に牧畜も営んでいる。この社会の少年たちは、およそ 7 歳から 14 歳までのあいだに集団で割礼式を受ける。彼らはその傷が癒えるまでの期間、ワニャムルージ
(wanyamuluzi) と呼ばれ、自分のホームステッドに入ることはおろか、母親を含めていっさいの女性と話すことが許されない。この期間中はずっとホームステッドの脇の小屋に隔離されて寝泊りし、おそろいの黒装束をまとい、完全に団体行動をとる。そして彼らは毎日、夕方から深夜にかけて拍子木を打ち鳴らしてチパンデ
(chipande) を歌う。
私が野営地の小屋に入っていくと、昨日割礼の手術を受けたばかりのワニャムルージ 11 人が、横一列に並んでチパンデを歌っているところだった。その周囲では
1 人の年配の男性が笛を吹いて、拍子木で打つリズムの調子をとっている。この男性の役目はもう 1 つあり、滑稽な動作と大げさな身振りで跳び回り、疲れてぼんやりしているワニャムルージを見つけては、その前に立ちはだかり、顔を覗き込み、笛を鳴らし、地団太を踏み、肩を怒らせ、拍子木をひっぱたくパフォーマンスをして彼らを元気づける。また、ワニャムルージにチパンデの歌詞を教えているのは、20
歳前後の青年だ。彼が歌うチパンデの歌詞にならって、オウム返しにワニャムルージが歌を暗誦する。こうしてワニャムルージは約 1 カ月間、野営地の小屋で傷が癒えるのを待ちながら、さまざまなチパンデを教えられるのだ。本稿では、このチパンデの歌について紹介し、その意味について考えてみたい。
ゴゴの人々は多彩なタイプの音楽をもっている。多くのアフリカ社会では、音楽は個人が楽しむだけのものではない。例えば、共同体内の集団が行う音楽活動では、特定の機会には特定の曲目がまとまって演じられる。そうした曲目のまとまりは一般に 1 つの音楽類型を形成しており、固有の名称をもっている[ンケティア 1992]。チパンデも、そういった音楽類型の1つである。つまりゴゴ社会の割礼式で、参加する男性達とワニャムルージが一緒になって「教育」のために歌う曲目のまとまりを、チパンデと呼ぶわけだ。また、割礼式の期間が終わる時に、女性がドラムを叩きながら踊るンゴマ (ng'oma) という音楽類型もある。
割礼式と関係のないところでも、青年達が夕方に娯楽のために行うムペンドー(mpendoo)、雨乞いの儀礼で成人男女が踊りながら歌うムスニュンホ(musunyunho)、村内の作曲家が 1 年間の出来事から題材をとって創作する長大な叙事詩ニンド (nindo) など、実に多彩な音楽活動がある。だからこそゴゴの人々にとって、よい歌い手であると賞賛されることは、非常に名誉なことなのだ。私はあるゴゴの青年に「君はあまり歌を歌わないね」と言ったばかりに、彼と彼の家系がいかに素晴らしい歌い手であるかということを、1 時間以上も懇々と語られたことがある。
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写真3 割礼式の期間中、全身に泥を塗る少年
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チパンデはワニャムルージの「教育」のための音楽であるということだが、それにしても、その具体的な教育内容が気になる。いったいどのようなことがチパンデに歌われているのだろうか。私はなんとなく自分の身に置きかえて、中学生の頃、男子生徒だけを集めて行われた保健体育の授業などを回想し、想像を逞しくした。そして
2 日間その野営地に泊まりこんでチパンデの歌詞を記録することによって、「教育」の内容を調査してみることにした。
チパンデは 1 度始まると、ときにはおよそ 4 時間も続く。ただしそれぞれの曲はとても短い。単純なフレーズの曲をくりかえし延々と歌った後、間断なく次の曲に繋げて歌い続ける。それを録音して書き起こすことで、最終的に
45 曲のチパンデの曲目について歌詞を記録することができた。書き起こす作業をゴゴの人々に手伝って貰いながら、彼らに言外の意味を講釈してもらった。それぞれの曲が短いので、その主題は簡明だったが、中には彼らにも簡単には説明できない曲もあった。私はこれらの曲目を、大胆かつ恣意的な判断になることを承知のうえで、いくつかのカテゴリーに分類してみた。以下には、この分類にもとづきながら、チパンデの曲目の歌詞をいくつか紹介してみたいと思う。
歌は重要なコミュニケーションの手段であり、個人あるいは集団の経験を反映する創造的な言語表現の 1 つであるという認識をもつとしよう。すると歌の主題は、音楽に参加する人々にとって共通の関心を引き起こす事柄に、おのずから集中する傾向をもつ[ンケティア 1992]。チパンデの場合、参加するワニャムルージの最大の関心事は、まず間違いなく今、自分が参加している割礼式そのものであろう。そして実際に、記録したチパンデ
45 曲中の 14 曲(31%)は、割礼式を主題にしたものであった。たとえば次に示すチパンデには、割礼の手術を行う割礼師マハンジレがやってきた時の描写から、手術をうける前の怖れが歌われている。そして手術を終えた今、ワニャムルージはそのことを大声で歌うことによって、晴れがましい気持ちを実感するのだ。
マハンジレはブッシュに帰ったか
拍子木をちからいっぱい叩け
割礼師がウチに来た
割礼師は言った
母親達よ、連れて来い
チビもノッポも残らずだ
ワニャムルージは期間中、隙間風の入る粗末な小屋で寝起きし、長いあいだ母親とも離れて過ごさなくてはならない。そういった寂しい気持ちを、会えない母親に話しかけるという形式で、素直に表現するチパンデもある。
母さん、いつか必ずウチに帰ります
母さん、いつか必ずウチに帰ります
今晩は、朝日のような明るい満月
もう 1 度、覚えた踊りのおさらいです
野営地では男達が、かかりきりでワニャムルージの面倒をみている。食事から術後の衛生管理まで、かなりきめ細かな配慮をしていた。それでも今まで母親の庇護のもとにいた少年達には、いろいろ不便もあるのだろう。直接には話すことができない母親達に、空腹を訴えたり挨拶したりするために、定型化された歌詞をもつチパンデがある。次に示すチパンデを野営地にいるワニャムルージが声を張り上げて歌うとき、ホームステッドの母親達は顔を見合わせ、主食の練り粥を用意し、大皿に山盛りにして運ばせる。
母さん、僕たちを忘れたの
歌っても歌っても、聞いちゃいない
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写真4 ヤギのスープを飲ませてもらう少年達
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一方で「教育」のための音楽であるチパンデらしく、17 曲(38%)はゴゴの村で生活していくうえで必要な知識を主題にした曲目であった。身近にある作物の適性、薬草とその効用、野生動物の見分け方と危険性、さらに少し変わったところでは鉄道のレールの上で遊ぶ危険性などの知識が主題となって歌われていた。次の歌詞は、ルググというソルガムの在来品種が、ほかの品種に比べて水持ちのよい氾濫原が栽培には適しており、ホウキモロコシのように垂れる穂形が特徴的であることを教えている。
ルググだよ、父さん、ルググ
氾濫原にルググが穂を垂れているよ
また、タンザニア人として知っているべき歴史的知識を主題としている曲目もある。次の歌詞にでてくるニエレレはタンザニアの初代大統領であり、セレナやルルは耐乾性が高く収量が多いソルガムの改良品種の名前である。
ニエレレが、ニエレレが
セレナとルルを作ろう、と呼びかけた
村内の有名人物の知識も、村の生活には重要である。常に言動が注目されているような人物の個人名やあだ名を織り込んで、その行動をユーモラスに描写したり、コミカルに風刺したりする曲目もある。
行ってくるよ、
畑の準備をする時期だけど
ダルエスサラームで牢に入るのさ
貶められたジョン・ヨムバラ
次には、人間関係の情景を主題にしたものが 6 曲(13%)あった。このなかには、父と子、姉と弟、友達同士などの子供らしい人間関係を主題にしたものから、飢饉の際に親戚につれなくされたことを嘆くものや、家族が空腹でいないか旅空のもとで心配する父親の気持ちをよみこんだものなど、かなり大人びた主題をもつものまでが含まれる。次の曲では、割礼の終わった少年が男らしさをみせるために、ンクワレ
(nkwale) というイネの害鳥を退治する、と姉に宣言している情景を歌っている。
姉さん、弓矢を作ってくれ
19 匹のンクワレを退治する
19 匹のンクワレを退治する
そして何かに対して抗議することを主題にした曲目も 4 曲(9 %)あった。抗議する内容には、分配された食物が少ないといった日常的かつ私的な怒りもあるが、政治が農民の生活の実態に無関心であることに対する公的な憤慨もあった。以下のチパンデは
2000 年の雨季にンコンベレレ (nkombelele) というキリギリス科の害虫が大発生し、作物に大きな被害をおよぼしたことに言及している。ムカパは現大統領である。
見てくれ、ムカパ大統領
ンコンベレレは
すっかり穀物を食べつくした
これで税金が払えるか
これで寄付金が払えるか
問答の形を借りて謎かけを行うのは、ゴゴのンゴマ1) でしばしば好んで用いられる形式である。これがチパンデの曲目に取り込まれている例も 3 曲(
7 %)あった。
こんにちは、爺さん、ご機嫌いかが
今日のごはんは何ですか
私達は、キャッサバの練り粥
ウシ持ちの旦那方は、コメの飯
いろんな人がいますよね
そういうものでしょ、爺さん
そういうものでしょ、爺さん
ドドマ州で普及活動している教会や民間の援助団体は、ゴゴの人々の音楽が高い社会性をもつことをよく知っていた。そこで、植林を普及する団体は植林を主題に、医療関係の団体は衛生管理を主題にして、調査地周辺で村対抗の音楽コンクールを開催しており、優秀なものには賞金や賞品があたえられていた。こういったところで創られた曲も
1 曲( 2 %)チパンデに取り込まれている。
木を植えよう、木を植えよう
開拓した土地に、木を植えよう
こうしてみるとチパンデによる「教育」には、確かに知識を主題にして、それを少年達に「教える」ことを目的としている、とみなしうるものが多かった。しかし全体では、それ以外の主題をもつものが過半数(62
%)を占めており、チパンデには一見まとまりのない主題の曲目が集まっているようにも見える。しかし視点を変えてみると、チパンデの曲目はいずれかの形で、ゴゴの成人が行う他の音楽類型を簡略化したものであるということが共通している。たとえば、歴史的知識を主題にしたチパンデは、長大なニンドの叙事詩のダイジェスト版のようである。またンゴマにおける問答の形の謎かけの形式も、チパンデに取り込まれていた。そして大人達が日々の人間関係のなかで、言いにくい自分の要求や意見を即興でつくる歌によって伝えるのと非常によく似たことが、チパンデでは割礼にともなう隔離期間をすごしている自分や、身近な人間関係、そこから生まれる抗議を主題にした曲目で行われている。そう解釈すると、チパンデは単に知識を与え定着させる教育として機能しているだけではなく、音楽によって媒介されるゴゴの大人の社会生活への入り口となっており、音楽を用いて複雑な人間関係に対処していくことへの第一歩を踏み出すように、ワニャムルージに対してうながしているのではないかと思えるのである。
引用文献
ンケティア, クヮベナ.1992.『アフリカ音楽』龍村あや子訳、晶文社.
1) ここでいうンゴマ (ngo’ma) は、先述したものではなく、より広義の女性による歌と踊りを示す。
『アジア・アフリカ地域研究』第2号掲載: 2002年11月発行 (一部改訂) |