ここは、ラオス中部サワンナケート県の丘陵上の農村である。どこまでも続く波状の丘には、天水田特有のがっしりした畦が、地面に網目模様を刻んでいる。4月末、雷鳴がとどろいて乾季の終わりを告げる頃、乾ききった大地は潤い、生き物たちは活気を取り戻す。そして人々も農閑期を終え、ちらほらと田んぼに顔を出すようになる。この先約 6 ヵ月にも及ぶ、大仕事の始まりだ。
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犂がけ
小さい子供でも、水牛の扱いに慣れている。 |
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まぐわかけ(手前)と苗取り(奥)
苗代作業と本田準備は並行して行われる。 |
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田植えの風景
水田内には、フタバガキ科をはじめとするさまざまな樹木が残されている。 |
人々はこの時期、田んぼの畦を見回り、田面に目を光らせ、わずかな水も無駄にしないよう気を配る。そして適度に水の溜まった筆から順に、耕起してゆく。雨季の初めに降る雨が、その年の仕事全体を左右するのだ。食べて寝ることだけが取柄の水牛たちも、この時ばかりは働かねばならない。いつものようにぐずぐず寝ていると、人間様にお尻をひっぱたかれる。
まず田植え前に、犂 (thai) を 2 回、その後まぐわ (khaat) を 1 回かける。1 回目の犂がけはタイ・フット (thai hut)、2 回目はタイ・ダム (thai dam) と呼ばれる。犂がけには田の中央から外側に向かう方法と、田の外側から中央に向かう方法があるが、タイ・フットとタイ・ダムともに、どちらの方法を用いても良い。まぐわは、水田の縦と横の方向に 1 回ずつかける。またその間に、畦塗りを行う。肥料には、堆肥 (fun) と化学肥料 (pui) の両方が用いられる。堆肥は、水牛や牛の糞からつくられる。雨の降り始める前に田内で枯木や籾殻を燃やし、肥料とすることもある。5 月頃に水田内の苗代に播種した後、15 日から 20 数日で、田植えができる程度に苗が生長する。一般に、耕起は男性、苗取りは女性、田植えは男女の区別なしに行われることが多いようだ。
雨が十分に降り、高みの田んぼまで無事に田植えができれば、ひとまず安心である。水不足や苗の枯死によって田植えを放棄しなければならないこともあるからだ。1 年間の仕事をわずか 1 ヵ月足らずで終えた水牛たちは、水溜りに寝そべり半目を開けながら、やれやれとあくびをしている。「酒もたばこもやらずにただ黙々と仕事をこなすワタシタチは、人間たちと比べてなんてハタラキモノなのだろう」、とでもいいたげである。
田植え後の管理はいたってシンプルだ。雑草が繁茂した時に限り、人手による除草を行う。乾季にも作付けされる灌漑田 (naa seng) とは異なり、丘陵上の天水田 (naa noon) には雑草や害虫が少ないため、除草剤や殺虫剤は用いられない。田植え直後にカニによる害がひどい場合に農薬を使うこともあるぐらいだという。ネズミによる食害防止には、ネズミ捕りの罠を用いる。
11 月、朝晩が涼しくなり、雨季の名残の小雨がぱらつく頃、ラオスでは実りの季節を迎える。稲株の収穫は、地上 30cm から 50cm 程度の部分を鎌で刈り取る。平均的な収量は、乾燥籾重で 0.8t/ha から 2t/ha であるが、ばらつきが大きい。一般に、河川沿いの低地田 (naa thaam) では 3t/ha ほどとれるが、丘陵上の田の収量は低い。刈った稲は束ねられ、田中の刈株の上で干される。
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脱穀
2 本の竹棒の間に稲束をはさみ、地面に叩きつける。 |
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脱穀には、マイ・コンファットカオ (mai khong fat khao) と呼ばれる農具を用いる。これは、50cm から 60cm に切られた、直径 3cm 程度の細い竹棒(mai bong で作られる)を 2 本、紐でつなぎ合わせたものである。この紐を稲束に巻きつけ、両手で竹棒を持ち、稲穂を地面に叩きつけて脱穀する。脱穀後、残ったワラは水牛や牛の餌とされる。
脱穀された稲籾は、風選後、各家の稲籾貯蔵小屋 (lao khao) に貯蔵される。以前は臼と杵で各自精米していたが、最近は共同の精米所を持つ村が多い。村人は必要に応じて稲籾を持ち寄り、大型の籾摺り精米機で精米する。精米の際に出されるふすまは、ニワトリ、アヒル、ブタ、魚の餌として利用される。なお、村で生産される米の大半は自給用だが、販売する場合の価格は、モチ米 1,600〜1,700キープ/kg、ウルチ米 2,000キープ/kg である(2001 年 9 月現在、1 米ドル=9,215キープ)。ラオスの家庭では毎日、水を張った深い専用鍋 (moo neung khao) に円錐形のザル (houat) をのせてモチ米を蒸す。そして蒸したてのモチ米を竹製の籠 (tip khao) に山盛りに詰め、指先でそのぬくもりを感じながらほおばる。わずかな甘みと香り、力強い歯ごたえは、ラオス料理ならではの楽しみである。
黄金色にたなびく稲穂を待つ間にも、田んぼはさまざまな恵みを与えてくれる。まず田内に多く残る立木は、用材や薪炭材、樹脂採取木として利用されるほか、食用や薬用となるものが大半である。乾燥フタバガキ林を拓いたばかりの新田には、Dipterocarpus 属と Shorea 属のフタバガキ科の樹木が、田面、畦上を問わず残されている。これらの木は、真直で下枝の少ない樹幹をもつため、用材としての利用価値が高い。また、Dipterocarpus 属の樹幹から採取される樹脂はナンマン・ニャーン (namman nyang) と呼ばれ、主に松明の原料となり、Shorea 属の樹幹から採取される樹脂はキーシー (khi sii) と呼ばれ、主に船底の水漏れ防止剤とされ、ともに大切な現金収入源である。開田後 50 年以上経たような古い水田には、Streblus asper,Tamarindus indica,Azadirachta indica などが畦上にみられる。これらの中低木は、薪炭材や家畜の飼料、食用として利用される。湛水期の田内に生える Marsilea crenata, Limnophila geoffrayi,畦上の Kaempferia sp. などの野草は、一般的な野菜、香辛料となる。
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田んぼの中での釣り
Paa kho (ライギョの仲間)などを狙う。 |
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田んぼの周りで獲れる魚は、日々の食生活に欠かせない。丘陵上に広がる広大な天水田は、Esomus metallicus, Anabas testudineus, Channa striata, Clarias batrachus など、一時的水域や、池や沼から遡上してくる魚たちに、親の住む所だけでなく産卵・育成場所までも提供している[大西ほか 2001]。人々は、魚類の生活史に対応した多様な漁具漁法を用いて、頻繁に漁労活動を行う。このようにして獲れた魚は、焼いたり、蒸したり、スープに入れたり、発酵させて酸味をつけたり、あるいはパー・デーク (paa deek) と呼ばれる塩辛作りに用いられる。パー・デークはラオス料理に最も大切な調味料であり、その材料の塩には、乾季の水田周辺の土からとれたものが好んで用いられる。
また田んぼやその周りにいるトカゲ、ヘビ、カエル、ウズラ、セミ、コオロギ、タマムシ、ツムギアリなどの動物も貴重なタンパク源だ。トカゲ捕りには棒の先につけた輪で首をしめる仕掛け、ヘビ捕りにはパチンコ、カエル掘りには長柄の小さなスコップ、ウズラ捕りには専用の仕掛け網が用いられる。獲物捕りでは、子供たちだって大人に負けてはいない。疲れ知らずの彼らは、裸足で走り回りながら、遊びの中で培った技をつぎつぎと披露してくれる。トリモチをつけた棒でのセミ捕り、長柄のスコップを使ったコオロギ掘り、樹幹を叩くタマムシ捕り、樹上のツムギアリの巣捕りなどである。
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水牛に乗った少年 |
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子供たちが、仕留めた獲物を得意げにかかげ、水牛の背に乗って帰途につく頃、家では母親がタケノコスープ (keng noomai) の準備をしている。まずヤーナン(yaa nang; Tiliacora triandra)の茎葉をすり潰して汁を絞り、魚の塩辛やトウガラシで味を調え、香りつけのパック・カニェン(phak kanyeng; Limnophila geoffrayi)を加える。そして採れたてシャキシャキのタケノコと、ほんのり甘いカボチャ、トカドヘチマの実と若芽をたっぷり入れる。これらの材料はみな、田んぼやその周りの林、菜園で採ってきたものである。
近年、このようなラオスのありふれた風景の中にも、さまざまな変化がみられるようになった。まずは、トラクター (lot toktok, lot thai) の導入である。雨季の初めは耕耘機、それ以外の時期には自家用車、時には発電機の動力源となり、トックトックトックと日夜そのエンジンの快音を響かせる。特に、トラクターの後ろに荷車をつけた乗り物は、雨後の悪路を走破する唯一の交通手段である。そして、大規模灌漑施設の導入による影響も大きい。大きな河川沿いの低地の村に限られるが、これにより水稲二期作と反収の増加が実現された。しかし、必ずしも良いことばかりではないらしい。二期作を始めてから、カメムシなどの害虫が急増したという声もある。灌漑用水の利用料金が高すぎて払えず、従来どおり雨季作のみに従事する世帯も多い。また乾季の間も稲が作付けされるため、水牛や牛たちが刈取り後の田んぼを放牧地として利用できなくなった。田んぼに入らないよう飼い主に紐でつながれ、狭い畦で体をもてあましながら草を食む水牛たちからは、いろんな不平不満が聞こえてきそうである。「ワタシタチは、少々動きはのろいが、なかなか経済効率の良い動力であり、かつ財産である。しかも糞は肥料となるし、肉は食用にもなるのだ。あまり粗末に扱わないでくれ」。田んぼの景観が、米だけでなくさまざまな自然の恵みをはぐくむ場であり続ける限り、タケノコスープのようなラオスを代表する家庭の味も受け継がれていくことだろうといったところか。
関連する文献
- ブアレート・プラチャイヨー.1997.「産米林と水田」古川久雄訳.京都大学東南アジア研究センター編『事典東南アジア』弘文堂,400-401.
- 岩田明久.2002.「ラオス農民の在来知識―サバナケット県のナマズ漁―」『熱帯農業』46 Extra issue 1: 83-84.
- 大西信弘・岩田明久・木口由香・スックコンセン サイナレウス・サイプラデース チュラマニー.2001.「ラオスの天水田の漁労と魚類の生活史」『熱帯農業』45 Extra issue 2: 33-34.
- Tanaka, K.1993. Farmers’ Perceptions of Rice-Growing Techniques in Laos: “Primitive” or “Thammasat”? Southeast Asian Studies 31(2): 132-140.
『アジア・アフリカ地域研究』第3号掲載: 2003年11月発行
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