報告
    21世紀COE ミャンマー・フィールド・ステーション・スタディ・ツアー報告

「アジア・アフリカ景観比較へ向けて」

安岡宏和(アフリカ地域研究専攻)
 
出張期間: 2005年11月26日〜11月30日
参加したワークショップとスタディ・ツアー: Coexistence with Nature in a ‘Glocalizing’World
-Field Science Perspectives-および
ミャンマー・スタディ・ツアー
ワークショップの開催場所と主催したフィールド・ステーション:

ミャンマー、ミャンマー・フィールド・ステーション

報告者の研究対象地域(関連フィールド・ステーション): カメルーン(カメルーン・フィールド・ステーション)

 

1. はじめに
     バンコクで開催された京都大学国際シンポジウムで発表をおこなった後、11月26日から30日までミャンマー中央部および南部を周遊した。ミャンマー・スタディ・ツアーには、京都大学の安藤助教授と大西博士、歴史学者のミン・テイン先生と地理学者のソー・ピョー・ナイン博士の引率のもと、ASAFASの大学院生アヌロム氏およびアチャコン氏とともに参加した。今回周遊したミャンマー中央部と南部はそれぞれ半乾燥地とデルタ地帯であり、わたしの調査地であるアフリカ熱帯雨林では目にすることのない景観がひろがっている。そこで本稿では人びと日々の生活が刻みこまれた村落や農地の景観に注目してみたい。なお作物と樹木の同定については安藤助教授と林学にくわしいアヌロム氏の助言をえた。

 

2. バンコク〜ヤンゴン〜バガン(11月26日)
     午前10時半頃、ミャンマーの首都ヤンゴンに降り立ち、熱帯特有のなまあたたかい空気を感じながら入国した。一足先にバンコクを発っていた大西さんに出迎えていただいた。まずシュウェダゴン=パゴダという仏教寺院を見学するためにヤンゴンの中心部へむかった。ヤンゴン市街の道路にはロータリーがあり、港の周辺には19世紀につくられたレンガ作りの建築物が建ち並んでいる。このような植民地時代のなごりが、ヨーロッパ列強によって植民地化されなかったバンコクとはちがう、どこかアフリカとも共通するような雰囲気をヤンゴンの街並みにかもしだしている。カメルーンの首都ヤウンデとヤンゴンとのあいだにある列強に蹂躙された熱帯諸国としての歴史がそうさせているのだろうか。ミャンマー料理では油をよくつかうが、それを食べて、カメルーンの田舎町で食べた油っこい料理をおもいだしたことも関係があるかもしれないが。
   仏閣の全面が金箔に覆われ、壮観をていしているシュウェダゴン=パゴダを見学したあと、ふたたび飛行機に乗り込みミャンマー中央部の古都バガンへむかった。ベンガル湾に面しているミャンマー西部を縦走する山脈の影響によってミャンマー中央部は乾燥しており、東南アジアの特徴的な景観ともいえる水田がみられない。バガン上空にさしかかると眼下には一面の畑がひろがっていた。畑のなかには規則正しく高木が並んでいる。どうやらオウギヤシ(Borassus flabelliformis)のようだ。そうこうするうちにバガン空港に降りたち、薄暮のなかに建ちならぶ仏教遺跡群を車窓越しに眺めながらホテルにむかった。

 

3. バガン周遊(11月27〜28日)
 
写真1:ラッカセイの収穫風景。背景には仏教遺跡が映りこんでいる。

写真2: バガン地域の村内の景観を構成するアカシア。
根元ちかくで幾度も切られ萌芽している。

写真3: バガン郊外の景観。オウギヤシが整然と並んでいる。
   まずいくつかの仏教寺院と博物館を見学した。11世紀ころから建てられはじめたという仏教寺院は大小さまざまで、総数は二千をこえるという。仏教についてはまったく無知であったが、寺院にまつられている大小さまざまの仏像がすべて釈尊であることにおどろいた。上座部仏教では如来・菩薩といったものはないそうだ。このような遺跡群のなかに村落や畑がある。訪れた村ではラッカセイ・キマメ・ゴマ・トウジンビエ・ソルガム・ワタ・スイカなどの商品作物を栽培していたが、一見したところではラッカセイとキマメが中心のようだった。またワタで織った布や衣類、肩掛け袋なども現金収入源として貴重だとおもわれる。主食の米はこのあたりではつくられておらず、購入するという。畑ではちょうどラッカセイの収穫をしているところだった。男性がウシに馬鍬のようなものを引かせて土を掘りおこし、女性がそのあとを追うようにしながらラッカセイを引き抜いていく(写真1)。
   村内景観の主たる構成要素として、アカシア(Acacia sp.)が目についた(注)(写真2)。すべての家の庭先に植えられている。さまざまな用途に利用されているようで、枝や幹を切りおとされ、そこから萌芽を繰りかえした跡が根元ちかくにたくさんのこっている。この木は植民地時代にアフリカからもちこまれたものだという。そのほか村内には房状に黄色い花をつけるナンバンサイカチ(Cassia fistula)もあった。この熱帯アジア原産の木はひろく熱帯地域に植樹されており、アフリカ熱帯雨林地域でも目にする。花の色は違うけれども全体的にかもしだす雰囲気は日本でもよくみかけるハリエンジュ(Robinia pseudoacacia)にちかい。
   翌日は、バガン遺跡群からすこし離れた地域を車でまわった。道路から遠くにみえる丘まで、見渡すかぎりのラッカセイ・キマメ畑とオウギヤシの並木がつづいている(写真3)。畑では、ところどころで農夫達がラッカセイの風選をおこなっていた。道路わきにはヤシ酒の売店が点在している。ここのヤシ酒はわたしの調査地で飲むような自然発酵の濁酒のようなものではなく、つよい蒸留酒だ。オウギヤシはインドから東南アジアにかけてふるくから栽培されているが、原産は熱帯アフリカである。一方でアフリカの主要作物のひとつであるバナナは東南アジア原産である。このような作物の存在はアフリカと東南アジアとの交流の歴史の長さを示唆するものといえるだろう。

 

(注)二回羽状複葉で棘があり、さらにアフリカのサバンナから持ち込まれたということから、アカシアと考えて間違いないだろう。

 

4. イラワジ=デルタ横断(11月29〜30日)
     ふたたびヤンゴンにもどり、イラワジ川のデルタ地帯を横断した。イラワジ川はミャンマーのまんなかを南北に縦断してベンガル湾にそそぐ。ヤンゴンはそのデルタ地帯の東端に位置している。こちらは中央部の乾燥地域とうってかわって稲作地帯である。デルタ地帯の土地は、微高地になっていてほとんど冠水しない自然堤防と、雨季に長期間水没する後背湿地からなっているが、自然堤防では天水を利用した稲作が雨季におこなわれ、後背湿地では乾季に稲作がおこなわれるという。見渡すかぎりの水田がひろがり、ところどころ屋敷林がみえる。屋敷林と水田からなる景観は東南アジアの農村の典型的なイメージを喚起させる。
   訪れた村は、幹線道路から500mほど離れたこんもりとした林のなかにあった。家屋は水没にそなえて高床になっていた。雨季に長期間水没する場所にはほとんど木が生えていない。水没期間が短い屋敷林は主にアメリカネムノキ(Samanea saman)、マンゴー、タケで構成されていたが、景観としてはアメリカネムノキが優占しているといってよい(写真4)。アメリカネムノキはその名のとおり中南米原産である。いつごろからミャンマーに導入されたのだろうか。いずれにしてもイラワジ=デルタ地帯においてもっとも目につく樹木である。
   村を発つと、デルタ地帯の西端にある都市パテインにむかって車を走らせた。広々とした大地に点在する木々のシルエットのむこうに夕陽が沈む光景はアフリカのサバンナのようだが、見渡すかぎりの土地は畑である(写真5)。ここでシルエットをつくっているアメリカネムノキと、アフリカのサバンナに生育するアカシア属の木々がおなじマメ科(ネムノキ亜科)に属することが、あえていうならば両者の共通項といえるかもしれない。
   ところで、アフリカ熱帯雨林の景観になれたわたしにとって、水田のまわりにバナナが植えられている景観には違和感をかんじずにはいられなかった(写真6)。アフリカ熱帯雨林地域においてバナナは主要作物のひとつであるのにたいして、イネは栽培されていない。バナナは日常的な食物であるが、米はぜいたく品である。調査地の人びとはわたしにバナナ料理を持ってきてくれる一方で、わたしは町で買ってきた輸入米をかれらに分与する。バナナと米は、アフリカ熱帯雨林における調査者と地元民とのあいだにある経済的な優劣関係のシンボルであるといっても過言ではない。ところが、ここではバナナとイネがならんで栽培されている。そもそもイネもバナナも東南アジアを原産地とするものなのでこのような景観はいたって自然なものなのだろうが、アフリカでの経験が長いわたしにとっては新鮮なおどろきであった。
   パテインはデルタ地帯を流れる大きな支流の岸辺に位置しており、潮の干潮による水位の変動が大きいようだ。このあたりの水路沿いには、マングローブに分布するニッパヤシ(Nypa fruticans)が生育している。自然堤防地域に延々とつづく天水田では稲の収穫はすでにおわっており、乾季作としてリョクトウやケツルアヅキを栽培するために農夫がウシに犂を引かせていた。
 
写真4: イラワジ=デルタ地帯の村落。
アメリカネムノキが屋敷林を形成している。
写真5: イラワジ=デルタ地帯の夕暮れ。
点在している木々はアメリカネムノキ。

  
写真6: 手前は水田。奥の屋敷林のまわりにはバナナが植えられている。

 

5. アジアとアフリカにおける景観比較への視座
     タイとミャンマーを訪問した今回のスタディ・ツアーは、わたしにとってはじめての東南アジア滞在だった。タイではバンコクのみの滞在であったが、ミャンマーでは広域を見聞することができ、東南アジアの景観の一端を目にすることができた。カメルーンでの2年間、そしてミャンマーでのわずか5日間の経験をもってアフリカとアジアという枠組みでものをいうのはおこがましいけれども、無謀を承知のうえで両者の景観を比較するための視座について考えてみたい。
アフリカの植生景観においては、サバンナではネムノキ亜科のアカシアが、ウッドランドではミオンボとよばれるジャケツイバラ亜科の樹木(Brachystegia spp., Julbernardia spp., Isoberliniaspp.)が主たる景観を構成している。熱帯雨林ではほかの植生ほど卓越するわけではないが、ジャケツイバラ亜科(Gilbertiodendron dewevrei, Scorodophloeus zenkeriなど)やネムノキ亜科(Pentaclethra macrophylla, Albizia spp.など)の高木が特徴的である。伊谷[2002]も述べているように、マメ科の樹木がアフリカ大陸の植生景観を特徴づけているといえなくもない。
  一方、ミャンマーでも、中央部の半乾燥地や南部のデルタ地帯の村ではマメ科(ネムノキ亜科)のアカシアとアメリカネムノキが村落景観の主たる構成要素となっていた。おもしろいことにこれらは外来の植物である。ちなみに中部乾燥地域の畑に植えられていたオウギヤシもアフリカ原産である。反対に、アジア原産のナンバンサイカチやマンゴーといった樹木はアフリカの景観においても欠かせない要素となっているが、ナンバンサイカチはマメ科(ジャケツイバラ亜科)に属している(マンゴーはウルシ科)。これらマメ科樹木を切り口として、アジア、アフリカ、そしてアメリカの熱帯地域の植生景観ないし村落景観の形成史をたどってみることができないだろうか。
   本稿に登場した農作物のなかにはラッカセイ・キマメ・緑豆・毛蔓小豆などマメ科植物がみられたが、野生のマメ科植物にも多目的に利用される有用樹が多い。くわえて、ハリエンジュやナンバンサイカチが街路樹としてよく利用されることからもわかるように、成長が早いにもかかわらず、パイオニア植物にみられるような嫌らしさはなく、むしろ爽やかな印象をあたえるものがマメ科樹木には多い。多様な有用性をもつことと景観の構成要素として優れているというマメ科樹木の性質が大陸間における相互交流においてつよい契機となったことはたしかだろう。
   このようなマメ科植物による景観形成を縦軸とするならば、原野と管理された土地という横軸を導入することによって、アフリカとアジアにおける景観比較の視座に広がりがでてくるのではないだろうか。アフリカでは村外に一歩でれば原野がひろがっているし、「原野に生きる」という表現が成りたつほどに原野が身近な景観として存在している。しかし、アジアにおいて、村外に出たとしても目にはいってくるのは遥かかなたまで農地である。おそらく山岳部には未開地があるのだろうが、平原部には人の手がはいりつくしているという印象をうけた。ミャンマー中央部の畑ではオウギヤシが整然とならんでいたが、カメルーンでは、プランテーションでないかぎり、整然とならんだアブラヤシをみることはなかった。
   ただし、アフリカ=原野、アジア=管理された土地、というふうに短絡することは慎まねばならないだろう。アフリカにも、管理され、人の手のゆきとどいた土地はもちろんある。重要なのは原野と管理された土地という景観認識の軸と、マメ科植物による景観形成という軸との関係性を把握することである。そのときオウギヤシやアブラヤシといったヤシ科植物を分析対象にくわえてみるのもいいかもしれない。ヤシ科植物もまた多目的に利用され、熱帯地域にひろく分布しており、マメ科植物と同様、景観形成において無視できない植物である。マメ科植物にくわえてヤシ科植物にも注目することによって、アジアとアフリカにおける景観比較に厚みがでてくるにちがいない。

引用文献
伊谷純一郎, 2002, 「アフリカの植生を考える」『アフリカ研究』60:1-34.

 
21世紀COEプログラム「世界を先導する総合的地域研究拠点の形成」 HOME