報告
 
  21世紀COEプログラム ラオス・スタディ・ツアー報告

「ラオス北部、タイ・ルーのタケ利用 ―タンザニア中央部、サンダウェの植物利用と比較して―」

八塚春名(アフリカ地域研究専攻)
 
出張期間: 2005年11月26日〜12月1日
参加したワークショップとスタディ・ツアー: Coexistence with Nature in a ‘Glocalizing’World
-Field Science Perspectives-および
北部ラオス・スタディ・ツアー
ワークショップの開催場所と主催したフィールド・ステーション:

ラオス人民民主共和国、ラオス・フィールド・ステーション

報告者の研究対象地域(関連フィールド・ステーション): タンザニア(タンザニア・フィールド・ステーション)

 

報告
 

  2005年11月23、24日にタイのバンコクで開催された京都大学国際シンポジウム「地球・地域・人間の共生 ―フィールド・サイエンスの地平から―」の終了後、私は竹田晋也助教授(ASAFAS教員)と岩田明久助教授(ASAFAS教員)の引率のもと、ラオスでのスタディ・ツアーに参加した。アフリカで調査をしている私にとって、本スタディ・ツアーは新たな経験の連続だった。例えば食事ひとつとっても、材料、味、調理方法、食べ方、食器、調理器具、すべてが私の調査地とは異なっていた。
  本報告書では、ラオスで見聞きした植物利用について、特にタケに注目しながら報告し、私の調査地との比較を試みる。

 


  ラオス北部の町ルアンパバーンに到着した翌日、私たちはタイ・ルー(ラオ低地民、以下ルーと記す)が居住するナーヤンタイ村へ向かった。道中立ち寄ったマーケットや商店には、ほうき、かご、いすなど植物を用いた道具類が所狭しと並べられていた。アフリカにももちろんこのような商店はある。しかし、私の調査地であるタンザニア中央部とは利用されている植物が異なり、タケが多く使われていることに気が付いた。その日の朝購入したカオラムという食べ物も、タケの稈の中にもち米とココナツ果汁を入れて炊き上げたものだった。

 
写真1: 道中立ち寄った商店 
買い物をしているのは風戸真理さん(ASAFAS院生)
  写真2: タケの稈の中にもち米とココナツ果汁を
入れて炊き上げたカオラム

 

   バスに乗ること約4時間、ナーヤンタイ村に到着した。ナーヤンタイ村に居住するルーは、水田稲作を主な生業とする人々で、村は高床式の大きな家とヤシが立ち並び、とても心地よい景観が広がっていた。大きな高床式の家はやはりタケで作られていた。その後、いろいろな道具類に注目しているうちに、家、穀物倉庫、畑の柵、マット、かご、いす、農具、漁具、ドラム缶の蓋、ニワトリを運ぶかご、帽子など、やはり非常に多くのものにタケが使われていることに気が付いた。
  その後の聞き取りで、ルーにマイパイという名前のタケがあることがわかった。そこで、「マイパイには他にもいくつか種類がある?あるならその種類を教えて欲しい」とインタビューを行なうと、マイヒャー、マイボーン、マイサー(もしくはマイサンパノ)、マイソー、マイノーホム、マイホ(すべて未同定)という6つの名前が返ってきた。マイとはラオ語で「木」を表す。これら7種類のマイパイの仲間は、それぞれのタケの強度、稈が中実か中空かといった性質によって、用途が異なっていた。
  建材は、大きな柱以外ほとんどがタケで、壁にしたり屋根を葺いたり、その用途によって、タケの種類を使い分けていた。
  いす、マット、かご、もんどり、帽子など、編んで作っているものには、マイソーが利用されることが多かった。これらは、マイソーを細く割り、薄くさいて用いているようだが、おそらくマイソーはそれほど強固なタケではないだろう。また、マイソーより堅固なマイサーは、ドラム缶の蓋や棚を作るのに利用されていた。稈が中実であるマイボーンは、農具の柄として利用されていた。

 
写真3: タケ製の帽子をかぶり、
タケ製のかごを担ぐ女性
  写真4: タケ製の立派な穀倉

  これ以外にも非常におもしろいタケの利用法があった。バイボーンと呼ばれる植物を材料とするライボーンという料理があり、それを調理する時にタケが用いられる。バイボーンは、野生種が2種、栽培種が1種あり、野生種は乾期にだけ採集できるそうだ。私が水田で見たバイボーンは野生のサトイモだと考えられる。ルーはバイボーンの葉だけを利用して、イモは食べない。ライボーンの調理方法は、タケにバイボーンの葉と水と塩を入れ、叩き潰しながらトロトロになるまで煮る。その時、鍋代わりになるのがタケ筒であり、また叩き潰す棒もタケだった。
  ナーヤンタイ村で頂いた4回の食事のうち、2回にライボーンが出てきた。そのうちの1回のライボーンには、バイボーンの他に水牛の皮の燻製が加えられていた。私が調査しているタンザニア中央部のサンダウェの村には、畑に自生するベテベタと呼ばれる半栽培植物(ニセゴマCeratotheca sesamoides)の葉を利用したおかずがあり、非常に高い頻度で食べられている。それが畑に自生しているただの雑草である場合はベテベタと呼ばれるが、おかずとして採集された時からそれはカンカサという異なる名前で呼ばれ、カンカサ100%で作られた場合、料理名もカンカサ と呼ばれる。カンカサ以外に何か(例えば粉状にしたラッカセイや他の野草)が加われば、その料理名はシュンブルーと呼ばれる。カンカサは特に、食材の乏しい乾期に重要な食料であり、カンカサが1週間続くことも珍しくない。カンカサとよく似た色のライボーンを頂きながら、もしかしたらルーにとってのライボーンは、サンダウェにとってのカンカサのようなものなのだろうか、と思った。
  ラオ語でラオと呼ばれる米の蒸留酒があり、この蒸留作業においてもタケが用いられていた。ドラム缶を利用した蒸留装置から、酒を入れる瓶までの管をタケが担っていた。稈が中空であれば、他の植物と比較して用途の幅が広がるのだろう。
  さらに忘れてならないタケ利用として、「筍を食べる」がある。以前はルーの人々は筍を漬物にして保存していたそうだが、近年はビニールに入れて真空状態にして保存している。

 
写真5: 田んぼで見つけたバイボーン野生種   写真6: ライボーンを作る女性
写真7: 11月27日のおかず 右下の緑色のものがライボーン、右中が筍
 
  私が調査しているタンザニアにもタケが分布している地域があり、そこでは筍の先端を薄く切って樹液を発酵させたウランジと呼ばれる酒が飲まれている。しかしタンザニア中央部の半乾燥地域に位置する私の調査地にはタケは1本もない。そのため、タケはこんなに様々な用途に使えるのか!と私にとってルーのタケ利用はとても新鮮に映った。しかし、帰国後に読んだ内村悦三著『「竹」への招待』(注1)によると、どうやらアジア各国には多種のタケが生育していて多方面に利用されているようだった。確かに、ナーヤンタイ村の翌日に訪れた焼畑農耕民カム(ラオ中地民)が居住するソムトン村においても、建材をはじめ様々なタケ利用が見られた。
  Izikowitz(1951)(注2)によると、カムの近隣民族である焼畑農耕民ラメットにもまた様々なタケ利用が見られる。その中でも私が特に興味を抱いたものは、タケを利用した狩猟具である。ラメットの狩猟具はクロスボーや罠が一般的であり、それらの多くはタケを利用して作られる。罠には小さなものから大きなものまで多くの種類があるのだが、そのうちのひとつ、やり罠(spear-trap)を紹介しよう。ラメットはやり罠を水田の周りに数多く設置しており、これは水田に入ろうとする動物が引っかかるとタケやりが飛んでくるという非常に恐ろしい仕組みになっている。ラメットはこの恐ろしい罠に彼ら自身がかかることがないように、やり罠を仕掛けた場所には標識を立てる。この標識にもまたタケが使われているそうだ。タケの利用は実に幅広くおもしろい。
  また、よく考えれば日本人もタケを様々に利用している。本で見ただけでもいくつもの例が見られた。
 
  私の調査村の人びと(サンダウェ)は、ほぼすべての植物に名前をつけており、その生息地、利用法など非常に詳しく知っている。さらに、子供が産まれればへその緒を林の木の下に置き、その木の名前を子供に付けるという習慣がある。彼らは自分達のことを「木の人」と表現することもあり、もちろん道具類や薬、また食事への植物利用はたいへん充実している。
  サンダウェとルーを比較してみると、植物から作ったものの種類はそれほど変わらないかもしれない。しかし、サンダウェはさまざまな植物を、ルーはタケという1カテゴリーの植物を、それぞれ特徴を詳細に把握して用途を選択していた。ルーにとってタケはとても身近で有用な植物であろう。
  先述したように、マイパイの仲間として6つの名前が返ってきたということは、ルーはそれら異なる7種類の植物が同じグループに属する、という認識を持っていると考えられる。もしかしたら、植物学的には「タケ類」だが、彼らの認識では「マイパイの仲間ではないもの」があるかもしれない。また、私は今回マイパイの仲間すべてを観察できたわけではないので、もしかしたら私が聞き取った7種類のマイパイの仲間には、植物学的には「タケ類」ではないものが含まれているかもしれない。それがわかればルーの植物認識をより詳しく知ることができ、とてもおもしろいだろう。
 
  ナーヤンタイ村に滞在していた時、私はナーヤンタイ村と自分の調査村とを様々な角度から比較していた。私の調査村の多くの人々は、木と土で作られた長方形の小さな家に住み、食材の種類はとても限られている。サンダウェは副食になるような作物をほとんど栽培していないため、彼らの副食の半分は採集した植物で賄われる。ナーヤンタイ村のルーの家は、サンダウェのものと比べてとても大きく、食材は野菜、魚、肉、野草と豊富だった。もちろん私たちが頂いた食事はおもてなし料理だったとは思うが、それにしても材料のレパートリーの多さ、また一品に入っている材料や調味料の種類の多さに驚いた。そしてナーヤンタイ村がとても豊かな村に思えた。
  しかし、ナーヤンタイ村で調査を行っているアジア地域研究専攻の吉田香世子さんから今日の村の状況を伺い、私の目には一見とても豊かに映ったナーヤンタイ村が、実は様々な問題を抱えていることを知った。村人たちの中には米の収量が少なく生活に困る世帯があるということ。近年では小学校を卒業した男児のほとんどが町へ出て行くため、村にいる若者は女性ばかりになっているということ。また、村には伝統的に藍染、機織りといった産業があるが、これも町まで流通するほどではなく、安定した現金獲得手段にはならないということ。さらに近年、ナーヤンタイ村には中国のゴム会社が進出してきた。ゴム園を開くことについては、村との話し合いは一切もたれず、県とゴム会社との話し合いによって、村の土地を50年間無償で貸与するということが勝手に決定されてしまった。村に対してはゴム園での労働力に対して賃金を支払う、というだけで、土地を貸与することに対する代償などは一切ないということ。
  これらを踏まえたその後の吉田さんとのディスカッションを通して、岩田助教授が以下のように言われた。
  『文化とは変化するものであり、変わっていくのが当たり前である。しかし、変化のスピードや、村人が自分たちで選んだ変化か否か、ということが非常に重要である。』
  昔から培われてきた文化を継承しながら近代化に如何に適応していくかは、村人自身が決めるべきことだと今回再認識した。それが大切なのは、ルーの村もサンダウェの村も、どこも同じだ。
 
  最後になりましたが、本スタディ・ツアーは比較研究という意味において非常に有意義でしたが、それ以上にとても楽しかったです。私たちに多くのものを見せ、体験させ、教えてくださった竹田助教授と岩田助教授、吉田さん、どうもありがとうございました。また、増原善之さんはじめ計画および準備をしてくださった多くの皆様と、一緒にラオスを旅したすべての方々に深く感謝いたします。
 
 

注1:内村悦三(1994)「竹」への招待―その不思議な生態― 研成社
注2:Izikowitz, Karl Gustav (1951) Lamet Hill Peasants in French Indochina. White Lotus Press. Thailamd.

 
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