ミャンマー・フィールド・ステーション活動報告(6)
|
大西信弘 (21世紀COE研究員) |
(1) 調査関連
1. グワでの調査(2004年11月)
これまでに引き続き、グワの農村・漁村の調査を行った。今回、私は、家族経営の魚売り、漁労活動を行っている世帯を中心に、調査を行ってきた。家族経営の漁労活動は、基本的に、夫/息子が漁に出て、妻/娘がローカルマーケットで魚を売っている。ところが、ローカルマーケットで調査していると、自分の家の近所に住む漁師から魚を買って売っているというケースがある。この魚を売っている家庭を訪ねてみた。近所の人たちに魚を売っている世帯も、普段は、妻がローカルマーケットで魚を売っているのだが、子供が生まれてまもなく、子育てに手がかかるので、多少安くなってしまうが、隣近所の人に魚を売っているということだった。朝のマーケットで魚を売る場合、マーケットで売り切れない場合は、村を回って売り歩く事になる。これらの世帯はほとんどが核家族なので、子供の世話は生計をたてる上で大きな制約となっているようだ。 また、これは共同研究しているカウンターパート達の調査だが、ミャンマーにはナッという精霊信仰がある。さまざまな精霊がいて、どの精霊を信仰するかは、職業等によって異なる。グワの漁師たちは、その多くが以前にはイラワジで農業労働者等をしていたが、よりよい仕事の口を探してグワに移り住んだというケースが多い。これら移民たちは、それまでの職業経歴にしたがって、複数の精霊を信仰しているのに対して、地元で漁師をし続けている世帯では漁師の好む精霊だけを信仰している傾向が見られるようだ。イラワジでも移民たちは古くからの地元民とは異なる精霊信仰を持っているようで、信仰の継続と変容という点から今後さらに調査を深めもらいたいテーマである。
2. タムー(ザガイン管区)での予備調査(2004年11月)
現在、安藤さんを中心に、ブラマプトラ川流域周辺の地域間比較調査を計画している。これに先立ち、アッサム、モニプール、バングラデシュ、ミャンマーなどを訪れ、調査予定地の概況等を調査している。今回は、ミャンマー北部に位置するザガイン管区のタムーというインド国境の町を訪れ、村落の状況、民族の分布等について予備調査を行った。この地域には、チン、ルシャイン、シャンバンマーなどの民族が生活している。
ミャンマー・インド国境にあたることから、現在、安藤さんの関心である、インド犂と中国犂の技術伝播の問題について新知見の発見が期待されていた。インド犂から中国犂への移行があったことが明らかとなった。また、現在のミャンマーでは、牛の2頭引きが一般的だが、30年ほど前には、この地域でも1頭引きが行われていたらしく、農具等も残存していた。
農村調査からは、すこし脱線するが、今回、これまで訪れたことの無いミャンマー北部の冷涼な地域に来たことで、子供の抱き方のバリエーションについてあることを思いついた。この子供の抱き方に関する疑問は、2001年に初めてミャンマーに来たときに、兄弟姉妹の世話をしている子供たちが、小さな子供を腰にまたがせて体の脇に抱えるようにしているのを見て、変わった抱き方をするものだと不思議に思っていた。今回、ザガイン管区を訪れたところ、日本でごく普通に見られるような、「おんぶ/抱っこ」をしている人が多かった。腰に抱えるような抱き方がミャンマーでの子供の抱き方だと思っていたので、これにはちょっと驚いた。腰に抱える場合、子供は手で支えるだけで、子供を抱くための補助器具は使われない。しかし、「おんぶ/抱っこ」の場合、ポーダベとよばれる子供を固定するための布を使う。ミャンンマーでは、11月から12月が一年で最も寒い時期なので、ポーダベで子供を固定した上から、さらにショールを羽織ったりしている人もいる。日本で見られるような「おんぶ/抱っこ」の仕方だと、重ね着するのが簡単で子供の保温が容易なようだ。つまり、子供の抱き方は、周囲の気候とかかわっているのではないだろうか。そう思ってみると、「おんぶ/抱っこ」をすると、お互いの接触面積が大きくなるので、体温が逃げにくい。それに対して、腰に抱きかかえていると、接触面積が小さくなっているともいえる。また、「おんぶ/抱っこ」はショールを巻いたりすることで、さらなる保温が容易だともいえそうだ。初めてミャンマーに来て以来の疑問を解く糸口を見つけたような思いだった。この話をASAFASの生態環境論のみなさんに振ってみた所ところ、ある方から、なんでも機能論で解釈しようとするとの批判をいただいた。しかし、人の振る舞いについて考えるにあたって、生存繁殖上の機能についても十分吟味してみる必要があるのではないかと思う。人を対象にしたときに、このような生物学的な視点を持ち込むと、人と動物とが同じ理屈で語られることに違和感を持つ人が多いようだ。しかし、人が他の動物と違った理屈で暮らしているというような前提は、その必然性をよく検討する必要があるように思われる。
自然科学にしろ人文社会科学にしろ、専門分野の細分化が著しい。研究対象をしぼるだけならそれも良いかもしれないが、細分化された分野間での理論の共有等がなされていないとすればそれは問題だ。私たち進化の産物であるDNA生物の行動を考えるのに、いくつもの理屈は必要ないのではないか。人を特権化するという思い込みを受け入れるなら別だが、動物の社会行動で検討されてきた理論と社会学で検討されてきた理論とが異なるものと考える根拠は見当たらないように思う。細分化されたそれぞれの分野がそれぞれの理論をもつということは、科学の基本的思考である最節約的な思考とは矛盾するだろう。文理融合とは、まさに、最節約的な思考の試みに他ならない。人の振る舞いを生存繁殖上の機能という点から検討し、進化理論を用いて解析していくことは、これら細分化された分野を繋ぎ直す見方として有効な問いなのではないだろうか。実際、ロバート・アンジェが「ダーウィン文化論」の序論で指摘しているように、進化生態学(krebs
and Davies, 1997)、進化経済学(Nelson and Winter, 1982)、進化心理学(Barkow et al.,
1992)、進化言語学(Pinker, 1994)、文学理論(Carroll, 1995)、進化論的認識論(Callebaut and
Pinxten, 1987)、進化計算科学(Koza, 1992)、進化医学(Nessee and Williams, 1994)、進化病理学(McGuire
and Troisi, 1998)、進化論的化学(Wilson and Czarnik, 1997)、進化物理学(Smokin, 1997)とこの10年前後で多岐にわたる分野がダーウィンの進化的プロセスを取り込んで研究をすすめている。文理融合の最初の一歩といったところでしょうか。
ところで、みなさんの周辺では、どのように子供を抱いていますか?
また、タムーは、第二次世界大戦中、最も無謀な作戦として知られるインパール作戦の展開された地域で、現在利用されている道も、ほとんどが旧日本軍によって作られたものである。この地域はミャンマーでも北の方にあり、日本の農村部とよく似た風景があちこちに見られる。このような場所で、20万人を超える日本人が飢餓や病気で命を落としたことを思うと、感慨深いものがあった。
(2) 連絡・交渉 共同研究関連
1. 京大霊長類研究所の濱田さんらのヤンゴン大学動物学科との共同研究の立ち上げ。11月に濱田さんらプロジェクトメンバーがミャンマーを訪れ、MOU締結に必要な書類の準備等をおこなった。これに先立ち、書類の準備などの連絡、交渉を仲介した。
報告 << No.5 |