報告
エチオピア・フィールド・ステーション(EFS)活動報告 No.2
2006年1−3月の活動概要及びCOE研究員の個別研究
金子守恵 (21世紀COE研究員)

2006年1月26日から3月17日までのエチオピア・フィールド・ステーション(EFS)の活動概要とCOE研究員の個別研究について報告します。1月26日から3月17日までの日程でエチオピアに渡航しました。

写真1: 庭畑の地図を作成する宮田寛章(平成17年度入学)
 
写真2: 国際ワークショップの様子
 
写真3: セミナーの様子
1. EFS関連の活動

  1)ASAFAS教員・院生の調査研究

  ASAFAS助教授・重田眞義は調査と臨地教育およびワークショップをおこなうため2月から約3週間エチオピアを訪れました。ASAFAS院生では、宮田寛章(平成17度入学)が11月から3月まで、伊藤義将(平成15年度入学)が12月から3月まで、川瀬慈(平成13年度入学)が1月から3月まで、エチオピアの各地域で調査を行っています。(写真1)

  2)ワークショップ

  2006年2月4ー5日の2日間、エチオピア・フィールド・ステーション(EFS)とアジスアベバ大学(AAU)の社会科学部社会学人類学科(SOSA)の共催で国際ワークショップが開催されました。このワークショップは、2003年にアジスアベバで開催された国際ワークショップに引き続き、エチオピアでは2回目の開催となります。アジスアベバと南部州のアルバミンチにおいて、約20名の参加者をむかえ、9つの発表と総合討論がおこなわれました。
  はじめにEFS代表の重田眞義が、今回のワークショップ開催の経緯や意義についてスピーチをおこない、続いてアジスアベバ大学社会学部長のベケレ・グテマ博士がワークショップのテーマ「文化と開発のポジティブな関係」(Positive relationships between culture and development in East Africa)の意義について基調講演をおこないました。
  ゲブレ・インティソ博士(AAU,SOSA)は、アフリカのさまざまな地域における在来知識や既存の組織が開発においてポジティブに作用する可能性に関して報告をおこないました。次に、金子守恵(EFS、COE研究員)が、エチオピア西南部の調査地における土器づくり技術の創造性や革新に関して、19世紀後半から現在にいたるまでの変遷について報告しました。さらに、ディル・テショメ氏(AAU,SOSA)と佐川徹(EFS、院生)は、それぞれの調査地域において、女性が政治的、経済的に積極的な役割を果たすことや、女性を保護する在来組織について報告しました。(写真2)
  伊藤義将(EFS、院生)とモハメド氏(JICA)は、エチオピア西南部のベレテゲラ森林地域における住民と森との関係について報告しました。モハメド氏は、現在取り組んでいる参加型森林保護についての報告をおこないました。森元泰行氏(IPGRI)は、ケニヤのヒョウタンの利用と栽培について報告し、地域内での品種多様性を保持することの重要性について述べました。最後に川瀬慈(EFS、院生)が、エチオピアの音楽職能集団(アズマリ・ラリベロッチ)における隠語の紹介と集団内での役割などについて報告しました。
  総合討論では、文化現象や在来知識などが開発の現場においてポジティブに機能するという見解をめぐって、それらが、ポジティブに機能していくプロセスを検証していくことの重要性について議論がおこなわれました。その後、アルバミンチ周辺のコンソにおいて、 かれらの在来の集約的な農耕技術を見学し、在来農耕技術のポジティブな側面とそれが開発と積極的に関連していく可能性について議論しました。

  3)セミナー (写真3)

  とき:   2006年2月8日
  場所:   EFS南オモ・サブ・ステーション
  報告者:  宮田寛章「Ari Ethnobiology予備調査中間報告」
  参加者:  重田眞義、孫暁剛、森元泰行、佐川徹、伊藤義将、金子守恵

2. 研究協力体制の推進

  アジスアベバ大学エチオピア研究所

  • 川瀬慈は、エチオピア研究所において研究者登録の更新をおこなうと同時にこれまでの研究成果を提出しました。

  アジスアベバ大学社会学部

  • 重田眞義は、平成15年度から、同大学院修士課程の学生が修士論文作成のために実施するフィールドワークを、エチオピア・フィールド・ステーションを通じて支援しています。平成17年度の奨学金院生に対して、ワークショップにおいて授与式を行いました。

3. COE研究員の調査研究

  前回のマーケットでのやりとりについての調査(2005年11月)に引き続き、今回は職人による売り上げの運用に注目して調査をすすめました。具体的には以下の2点を中心に調査をすすめました。(1)職人の土器による収入とその使い方について。(2)職人らがおこなっている頼母子講の活動について。調査は、G村の職人を対象におこないました。
  調査の結果、次の点があきらかになりました。(1)職人が土器を製作、販売した売り上げは家計の主要な収入となっています。(2)G村のほとんどの職人は、土器の売り上げの約半分を定期市で食糧(トウモロコシ、タロ、ヤムなど)の購入に使うことが多いです。(3)多くの職人は、自分たちが運営している頼母子講に売り上げの一部を掛け金として支払っています。(4)G村には、2006年3月現在、職人によって運営されている大規模な頼母子講が1つあります。(5)この頼母子講は、開始して約2ヶ月たっており、このあと約3年続くことになっていました。(6)加入者は約160名おり、職人だけではなく農民や町に暮らすアムハラの商人などが加入していました。(7)加入者は、毎週10ブル(1ブル=約13円)を支払っており、3年間のあいだに1600ブル受け取ることができることになっていました。
  土器職人やその世帯のメンバーにとって頼母子講の活動は、一度にまとまったお金を手に入れる貴重な機会といえます。この活動をとおして、職人らはウシなどの家畜を購入したり、家の建設費用にあてるなどしています。G村では、前述した大規模な頼母子講のほかにも、職人たちが自分の気心のしれた人と小規模な頼母子講を運営している場合もあり、ほかの村と比較してもこの活動が活発といえます。職人たちのなかには、大きな規模と小さな規模の両方にそれぞれ異なる目的で加入しているものがおり、多い人ではひとりで3つの頼母子講に加入していました。他方、この地域ではこれまでも大きな頼母子講の活動がありましたが(200名程度が参加、毎週3ブルの掛け金で700ブル受け取る、約7年継続)、参加者のうち7名の人がお金をうけとっておらず、現在(2006年3月時点)裁判で調停をおこなうところでした。
  また、これまでは職人だけで頼母子講を運営していましたが、近年アリの人々がプロテスタントへ改宗することがおおくなり、農民や職人、さらには町のアムハラの商人や酒屋の店主までもが一緒に頼母子講の活動をおこなう場合もでてきました。今後、職人だけではなくさまざまな職業の人々がともに頼母子講活動を続けることによって、職人の経済的な活動と農民や商人などの経済活動とが相互に影響を与えながら進展していく可能性があることがかんがえられました。

 

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