報告 No.2
ミャンマー・フィールド・ステーション活動報告(2)
ミャンマーの農村・漁村社会と農民・漁民の暮らしの歴史的変遷−伝統から近代へ−
大西信弘 (21世紀COE研究員)

1)ラカイン州グワT/Sでの調査
  2003年7月8日〜17日(2001年から行ってきた農村と漁村の比較調査を引き続き継続中)


  今回、悉皆調査を行ったマジング村

はじめに
  今年、グワは、ここ数十年間経験したことのない不漁に直面している。ラカインは、20世紀初頭のガゼッティアにも干物の産地として記録されているほど、古くから干物の産地として知られている。特に、ガコーニュというニシンの仲間の干物づくりが大変盛んで、雨季になるとイラワジ管区のガタインジョンから多くの出稼ぎ労働者が干物づくりをあてにしてやってくる。豊漁の年には、刺し網の編み目の全てにガコーニュが刺さっているとまで言われるほどで、干物に加工するのが間に合わず2〜3日船の上にほったらかしにしなければならないくらいとれることもあるという。それほどに水産資源の豊かな地域である。ところが、今年は昨年の1/10程度の漁獲しかないという。不漁の理由は明らかではないが、漁師たちは海流の変化が原因ではないかと考えていた。それに加えて、アメリカの経済制裁が漁村で暮らす人々や買い付けをする人々に深刻な影響をもたらしている。高価なエビ類の出荷先が制限され、8月にはヤンゴンのエビの市場価格は以前の6割程度にまで落ち込んだ。

 
ガコーニュパイ(網)で捕られたガコーニュを網からはずしているところ。網からはずした後、頭と内臓を切り、塩漬けにする グワカナン村。Land Record での扱いはガーデンとなっている。海辺のココナツガーデンに家を建てて暮らす。主に、タンドウェ、イラワジ管区からの移民で構成されている

 

調査について
  グワには農村と漁村がみられる。漁村については私が中心に、農村については安藤さん(CSEAS教官)が中心になって調査を進めている。安藤さんは農村開発の基礎資料として、農産物の流通に焦点を当てつつ農民の日常生活の理解に迫ろうとしている。私は、漁獲・水産物の加工・水産資源の流通に焦点を当て、漁民の資源利用と社会関係の相互作用を解明しようと考えている。

網元と漁師の契約
  古くからの漁村であるマジング村、ヤハンガドゥ村と、ガーデンに出来ている移民達の村では、網元と漁師の契約方法に違いが見られた。マジング村、ヤハンガドゥ村では、契約書を交わすことなく漁師を雇う。それに対して、ガーデンの中に出来た村であるアーレーヨワカナン(アーレー村の海辺の意)では、契約書を交わしていた。ヤハンガドゥ村では、雇った漁師が、他の網元に魚を売ったりすることもあり、場合によっては、アドバンスを返さないなど契約不履行が問題になることもあるという。その場合に、契約書がないとタウンシップオフィスなどに訴訟を申し立てることが出来ない。しばしば、このような問題が生じるにもかかわらず、契約書は書かないという慣習が続いている。移民達の村は、自分の土地を持たずに、他人のココナッツガーデンに住んでいるだけである。それに対して、古くからある村では、村人達は自分の土地を持ち定住的に暮らしていただろう。定住の度合いが弱い状況では、再び移動することで、契約不履行が容易となるだろうから、一時的な住まいが集まった状況の方が契約に対して厳しくなるということなのだろうか。

  網元と漁師の契約書

市場調査
  個人的な漁によって捕った魚は、村の中で売り歩くか、市場で売る。現在のところ、200種近い魚種が水産資源として利用されていることが明らかになっている。グワの周辺は、海だけでなく、マングローブ域、河口域も重要な漁場となっており、場所ごとに捕れる魚も異なれば、漁法も異なる。網元が漁を管理し、沖合で漁をする場合には、商品価値の高い魚種が漁獲の対象となっている。それに対して、マングローブ域、河口部で行われる個人規模の漁では、雑魚を含めて、さまざまな種類の魚が漁獲の対象となっている。この多様性は漁法だけでなく、それを市場で売る人たちの多様性にもつながっている。自分の家族が捕ってきた雑魚を売る人もいれば、漁師から高価な魚を仕入れ、それを売っている人もいる。漁師から魚を仕入れるには、信用が必要で、誰でも仕入れることが出来るわけではない。どのような社会的立場の人たちが、どのような生物資源利用に関わっているか整理していきたい。

2)マウービン調査
2003年8月15日〜21日
  イラワジ管区、マウービン郡にあるチョンゾー村とアランジー村の調査を行った。前回のイラワジ管区の広域調査で選定した村で、 ビルマ族、カレン族が隣接して集落を形成していること、村落規模が調査を行うに適当(200世帯弱)であること、ヤンゴンから車で2時間程度と交通の便がよいことなどから、調査村を選定した。まずは、概況を把握するため、世帯構成、職業、土地所有、大型の農具の所有、市場の利用などについて基礎調査を行った。


調査村の一つ、アランジー村。 林のようになっている部分が村落

村落概況:チョンゾー村は、川沿いに細長く連なる村で、Bamarの小集落とKayinの小集落とからなる。Bamarは仏教徒のみだが、Kayinは、クリスチャンと仏教徒からなる。アランジー村は、チョンゾー村の隣村である。水田の中に位置し、水路に沿って細長く連なる村である。交通には、水田に張り巡らされている水路を利用し、ほとんどの世帯が手こぎのボートを持っているようだ。手こぎのボートには、レインツリーで作られたものと、チークで作られたものがあった。この地域では、水田所有者は8エーカー程度の水田(集計途中)を所有していた。また、定期市は見られない。米、野菜は自給。魚については、マウービンから漁師が魚を売りに来たり、村の人が捕った魚を売り歩いている。

大学院生たちの個別の研究: 今回は、歴史研究所、ヤンゴン大学の教官、SEAMEOのスタッフ、ヤンンゴン大学の大学院学生とが調査地に赴き、学生や若手の研究者たちは教官らの指導のもとに調査を行った。以下に、その概要を示す。

女性の意識調査: SEAMEOでは、女性の役割について調査するプロジェクトを行っており、本調査でも女性の意識調査を行った。調査票が都市向けのものだったため、受胎調節などに関する質問など理解されにくい面もあったので、今後は、農村向けの内容を加えることなども検討された。
村の女性達にインタビューするSEAMEOのスタッフ達

植生調査: チョンゾー村、アランジー村で、川沿いにラインセンサスをして植生を調べた。チョンゾー村にはホームガーデンがよく発達していて、さまざまな植物が植えられていたが、アランジー村ではホームガーデンが狭く、植えられている植物も少ない。

水産業調査: 漁業を専業とする人はいないが、農家、農家手伝いなどをして生計を立てている人たちが副業として魚を捕り仲買人に売っている。
  この地域は、古くはインという漁業システムにもとづいた内水面漁業が行われていた。現在では、この湿地は水田として利用されるようになったが、インのシステムに従い、水産局が利用権をオークションしている。この際、オークションされる区画には、従来のインのシステムの区画割りが使われている。
  この地域で、もっとも大がかりな漁具にセーと呼ばれる梁型の漁具がある。ヤンゴン近郊(シュエビータT/S、ローガ)でもたくさんのセーが見られるが、マウービンのセーとローガのセーでは形状も利用される場所も異なっていた。ローガで見られるセーは、ラオスで見られるリーと似た形状で、一時的水域である水田の排水口や水田周辺の浅い排水路に設置される。また、漁獲量は少なく、主に自家消費される。


ローガで見られるセー。ビルマ語でセーとはダムの意。
このため、水を堰き止める漁具一般がセーと呼ばれるようだ

  これに対して、マウービンのセーは、梁ではなく竹製のフェンスで水路を塞いで網やかごに追い込むような仕掛けを指す。これはボートの通るような水深の深い恒久的水域の水路に仕掛けられ、捕られた魚は主に出荷され、現金収入につながる。
  水産局は、多くの淡水魚の産卵期を禁漁期として水産資源の保全を図っている。マウービンでは、4月から8月が禁漁期とされている。たまたま、調査期間中に解禁された。解禁に合わせて、セーがつくられ、漁業シーズンが始まる。


マウービン周辺で見られるセー(開口部周辺)
小川や水路を竹製のフェンスで仕切り、流下する魚を網やかごへと誘い込む漁法。


セーの本体(網の部分)


セーの後の部分。左に見えるのは、セーを使う期間に住む家

水産資源調査: この地域では、乾季でも完全にひからびることはなく、一部の水路は周年交通に利用されており、この地域の移動手段として大変重要な役割を担っている。この水路周辺に出来る浅い窪地を利用して乾季を過ごしているようである。水田一般に見られるように、雨季には、さまざまな魚が水田に入り、産卵場所として利用しているらしい。また、この10〜15年、水位が下がったため、16種類の魚が捕れなくなったり、少なくなったりしていると認識されていた。村人達は、洪水調節用の堤防建設などが原因になっているのではないかと考えていた。また、今年は、魚が少ないようである。雨季が遅かったのが原因かもしれない。

マウービン管区での調査については、ブリーフ・インプレッションですが、今後、調査データの解析が進むにつれ、さらに詳細を報告できるかと思います。

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