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Uncleと呼ばれるダンサー

大門碧

  

1) トラディショナル・ダンサーである
2) 「マツケンサンバを振り付けした人」に似ている
3) ゲイである

大学院生になった私が、初めてウガンダの首都カンパラへ演劇に関する調査に行くにあたって、同じ学科の先輩がカンパラ在住のウガンダ人を紹介してくれた。その本人と会う前に手に入れた彼に関する情報が、上記である。とても信頼がおける人だと聞いたが、この情報はどれほど信頼がおけるものなのか、首をかしげつつも楽しみにしながらその人と出会う日を待った。
 待ち合わせをした時間になってもやってこない。一緒にいたウガンダ人の女の子と、ご飯を食べに行く場所でも探すかと歩き始める。ふと、その子が暗闇に向かって声をあげた。
 「Uncle?」 彼が振り向いた。
 数週間後、私はUncleの隣の部屋で生活を始めた。


1)トラディショナル・ダンサーである
 
Uncleは実際、トラディショナル・ダンサー、つまりはウガンダに暮らす多様な民族が儀礼などの場でおこなってきた舞踊を披露し、お金を稼ぐ人だった。トラディショナル・ダンスは、外国人が来るような高級ホテルやレストラン、国家規模の祝賀会、民衆の結婚式などで披露される。いずれの場合もダンサーを呼ぶ人(ホテルやレストランのオーナー、結婚式の主催者など)が報酬をダンサーに渡すようだが、観客の目の前で、例えばガンダ民族特有の腰振りをすると、その舞を楽しんだ観客はお金をダンサーの汗ばんだおでこに貼り付けたり、ダンサーの手に握らせることもある。
 私は何度かUncleの踊りを見に行き、彼のすばらしい声量と声質、どこまでも高くあがる足、すばやくしゃがみこむ足の筋力にほれぼれした。しかし、彼はトラディショナル・ダンサーという職だけで食べているわけではなかった。トラディショナル・ダンサーとして働くのは月数回で、主には専門学校のようなところで、ダンスのインストラクターとして働き、住まいとして人に貸せる部屋を有する長屋の管理もしていた。かといって多くを稼いでいるわけでもなく、彼自身の寝場所は3畳もない長細い部屋にマットを敷いて、ほかに毛布、ラジオのみといったところ。毎朝、Uncleは私の予定を聞くので、私も聞き返す。すると時々「今日は貧乏だからどこにもいかない、この辺にいる」とこたえる。私が新聞(1,000ウガンダシリング≒60円)を買うと、ちょっと読ませてと言って、持って行き、自分で買うことはない。  
 踊る仕事は急に入る。前日、Uncleは部屋の隅から、踊るときに腰にまく衣装を出してきて、それをはさみで丹念に切りそろえる。踊り終えたUncleはとても疲れている。「踊っているとき吐きそうだった」と話す。帰る途中で売店に寄ってソーダを買い、その場で飲む。「あれだけ踊って、これだけしかもらえなかった」と報酬についてぼやく。息に疲労をにじませながらも、今度は私にカンパラで気をつけなければならないことについて教えてくれる。カンパラは赤道直下に位置するが標高が高いため夜は冷える。そんな少し寒い夜に売店の前に並べられた椅子に腰掛けて、ソーダを片手に、私はUncleの声に耳を傾ける。


レストランで舞うトラディショナルダンス 
ウガンダダンスアカデミーのダンサーたち

カンパラ昼下がり 
隣にモスク 豚を調理するときは屋根のあるところで
2)「マツケンサンバを振り付けした人」に似ている

Uncleは歩き方がきれいである。「あ、ダンスをしている人っぽい」と感じたのは、初めて会った夜、彼の後ろについて歩いたときだった。背が高い彼は、腰の位置が高く、颯爽と長い足を前へ前へと運び、上半身はまっすぐ風を切る。カンパラは交通量が多く、それでいて交通ルールはあってなきが如し、横断歩道もまともに存在しないので、道を渡るときはいつも戦々恐々とする。しかしUncleの体はあっという間に道を渡ってしまう。  
 Uncleは知り合いが多い。車が多い道路を滑らかに横切る彼も、突然立ち止まることがある。偶然知り合いに出会ったときだ。ダンスの関係者だったり、働きに行っている専門学校の職員だったり、親戚だったり。立ち止まって握手して、その握手した手をしばらく離さないようにして指をからませながら目を合わせて挨拶を続けるかれらは、一瞬のあいだ、横にいる私という白人の存在を忘れてしまう。その白人はちょっと所在なげに、そしてうらやましげにかれらを見つめる。
 Uncleはアイデアで満ち溢れている。彼はダンスで、いろんなところに行った経験をもっている。ヨーロッパに留学して、その後ウガンダに帰ってきた後も、日本を含むさまざまな国々でパフォーマンスをこなしている。ヨーロッパの国々の街角で、たった一人でラジカセから音楽を流し、ダンスの説明をし、踊り、お金を集めることをやっていたと聞く。今も隣国タンザニアへのダンスの遠征の計画を立てている。なにもない状態からどうやって資金を調達するか、苦心しながらも、可能性を捨てない。私にも日本に再度公演しにいく方法がないかと熱心に話してくる。私は自分の力と時間のなさ、なによりも彼を呼ぶことによってのしかかる責任の重さに苦しくなってしまう。
 Uncleはとってもおしゃべりである。毎晩のように、私の部屋にきて、今日あったことを話す。もしも話す時間が取れなかったら、翌朝、やって来る。時には、Uncleに話したくてたまらないことが私の方に出てきて、私が彼を呼ぶ。彼は時に、威圧的な意見も口走るが、私が言い返すと、少し考えてくれる。私が冗談を言って、それにこたえてUncleが私の肩をたたいて、私が笑って、かれも笑う。そんな昼下がりの情景をよく覚えている。

3)ゲイである  

「あの年で結婚してないからゲイだろう」という先輩の予想を裏切り、Uncleはしっかり隣国ルワンダに女性の恋人をもち、また同時に中学生の娘がいる38歳の男性だった。ただし、娘の母親はその恋人ではない。娘はUncleと住んでいるわけではなく、カンパラ内だが少し離れた場所に彼の母方の親戚のもとで暮らしている。彼自身は自分が管理する長屋の一角に一人で生活している。隣の長屋には弟の家族が住んでいる。彼は弟家族からも、また長屋に住む親戚関係にないママたちやその子供たちからも「Uncle」と呼ばれている。
 Uncleはカンパラの中で多数を占めるガンダ民族に属している。ガンダの社会は父系社会、つまり「祖先とのつながりを男性を介してのみたどる様式をもつ社会」である。自分の出どころを語る際に、母ではなく父の属する家系が採用される。この社会では、父親の兄弟はオジといってもみな父親と同じで、強く、厳しく、畏怖すべき存在、“Father”である。だが、Uncleの弟の息子や娘たちは、Uncleを隣近所の人たちが呼ぶのと同じように「Uncle」と呼ぶ。父系社会において、“Uncle”とは母親の兄弟を指す。母方のオジはどんなことをしても許してくれる、頼りがいのある「男のお母さん」として存在する。
 Uncleの1日は、隣近所のママたちとのおしゃべりから始まる。そして会話を続けながら自分の服をたらいと洗剤と両手をつかって洗濯する。隣の弟の家で食パンとミルクティの朝食をとる。アイロンをかける。その後、街に用事があるときは革靴に履きかえて出かける。帰宅は遅い。午後8時から時には午前3時になるときもある。帰ると、履いていた革靴を磨く。そしてラジオを聴きながら寝る。平日は昼食を抜いている場合が多く、晩飯もどこかで軽くすませる、もしも食事をごちそうしてくれる人に出会ったらおごってもらうといった様子だった。休日は弟家族に昼ごはんをもらっていた。
 Uncleは弟の息子や娘、近所の子供たちであろうと関係なく、悪さをするときちんと怒る。でも子供はうるさいから好かないと言いながらも、よく膝に子供を乗せている。弟家族の家事を手伝うことはないが、自分の住んでいる棟の廊下の掃除から共同トイレや水浴び場の掃除をおこなう。私の部屋もついでだからと掃除し、私のベッドシーツやジーパンを代わりに洗い、私がしわくちゃなシャツを着ていると、ぬがせてアイロンをかける。私が部屋に戻るのが遅いと「どうしてた、心配したよ」と翌朝声をかける。彼は「いいおばちゃん」である。



毎日の風景 
1日の始まりはまず洗濯から

カンパラでの初めての調査を思い出すたびに、調査対象として出会った人々の後ろに、2ヵ月のあいだ近くで過ごし、たくさん話をし、ときにはもうやっかいだと感じるぐらい世話をやいてくれたUncleの面影が浮かび上がる。Uncleは、私にカンパラで人と出会うことの楽しさを教えてくれた。もちろん私はまだUncleのすべてを知っているわけではない。しかし、滞在最終日に空港へ向かう私にあっさりとした態度を示した彼は、本当は寂しがっていたと願ってやまない。だってもうそのときには、彼は私の大切な友人であり、いつも私を厳しく見守る父親であり、いやちがう、そう、私の“Uncle”になっていたのだから。




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