ワークショップ

エンセーテと土器つくりの村(10月23-29日)

ファシリテーター:金子守恵、鈴木郁乃

エチオピアの南部及び南西部は、エンセーテと呼ばれる食用作物が栽培される、世界で唯一の地域です。エンセーテはバナナに似た葉と茎を持つ植物で、主に茎から採取される澱粉質を食用とします。

このスタディツアーでは南部州の村を尋ね、エンセーテの収穫と加工の過程を紹介します(なおエンセーテの栽培については、Brandt, S. et al. The Tree Against Hunger, American Association for the Advancement of Science, 1997.を参照)。また同じ村で、土器つくりの職能民による制作過程(粘土を採取、整形し土器を焼 きあげるまでの過程)も紹介します。


スタディツアー報告:エンセーテの栽培と利用

わたしたちエンセーテグループは、2003年10月24日から、エチオピア西南部へむけて5泊6日のスタディツアーにでかけた。エンセーテグループの主な目的は、エチオピア南部で食用として栽培されてきたエンセーテの栽培と利用の実態を見聞することにあった。グループに参加したのは、アフリカの他地域において、農学的な調査を主におこなってきた人たちが中心であった。

滞在地は、エチオピアの首都アジスアベバから700km南西方向に下った地域で定住的な農耕生活をおこなっているアリとよばれる人々がくらすところである。わたしたちは、1泊2日かけて、標高約2400m(アジスアベバ)から500m(ウェイト)までの道程を車で移動した。道中、アジスアベバ周辺のテフ栽培が盛んな地域から、斜面に石をつみあげて階段状の畑をつくるコンソとよばれる人々が暮らす地域、そしてエンセーテが卓越した地域と、さまざまな栽培植物や農耕様式を観察しながら移動することができた。

アリの人々が暮らす地域では、1980年代から重田先生がお世話になってきたM村のM氏のお宅にお邪魔した。到着するなり、M氏のエンセーテ畑と穀物畑を案内してもらった。翌日の午前中は、C氏に彼のエンセーテ畑を案内してもらったあと、C氏の夫人(以下Kさん)に葉軸部を利用したエンセーテの発酵でんぷんの作り方を披露してもらった。その後、根茎部を用いた伝統的なエンセーテ料理(モサmosa)も調理してもらった。写真は、Kさんが土器にエンセーテの根茎部を詰め込んで火にかけ、モサの調理をはじめているところである。

アリの人々は、エンセーテの根茎部を4つの部位に分類している。根茎部の表皮にあたる部分をダマdamaとよび、その部分を切り落として一番はじめに土器の底につめる。その後、根茎部の先端にあたるモカmokaとよばれるやわらかい部位と残りの根茎部(アシashi)を約4センチメートル角に切りダマの上につめる。最後にスラsuraとよばれる根茎部と葉軸の接合部分を細かく切り刻んで土器につめこむ。このように、アリの人々は、エンセーテの部位ごとの特質を深く理解し分類しており、それが調理の仕方にも反映している。

その日の午後は、週に2回ある定期市のたつ日であったので、市場の見聞もおこなうことができた。この市は、農産物、工業製品、土器や鉄器などの工芸品、家畜などを、現金を介して入手できる場であると同時に、高地(ディジdizi)で主に栽培されているエンセーテの発酵でんぷんと低地(ダウラdawla)で栽培されているコーヒーの葉を交換する場にもなっている。参加者たちは、その定期市で、たべごろに発酵したエンセーテのでんぷんを実際に購入したり、トウモロコシやソルガムでつくった地酒を味わったりした。その日の夜、M氏の夫人にエンセーテの発酵でんぷんを調理してもらって、実際に味わうこともできた。

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われわれは、その翌朝M村をあとにして、アジスアベバへむかって出発した。帰りは、来たときと同じルートをとおったが、M村で具体的にエンセーテの栽培と利用について見聞してきたこともあり、車中や宿泊先で、エンセーテやそれを栽培している人々について、よりこまかな点まで議論でき非常に有意義なスタディツアーであった。
(金子守恵、2004年3月27日記)