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ンパラ案内

ウガンダの首都カンパラは、フィールド・ステーションのあるケニアの首都ナイロビから飛行機で1時間、大型バスで半日の距離にあります。
ケニアから来ると、ヴィクトリア湖岸の緑豊かな土地がとても印象的に映るにちがいありません。


 19世紀後半、イギリスが東アフリカを植民地化する前から、ウガンダは「アフリカの真珠」と呼ばれ、おおくの探検家や山師たちがナイル川の源流を求めてやってきました。いまや東アフリカ随一の大都会となったケニアの首都ナイロビも、さいしょはイギリスがインド洋岸からウガンダまでの鉄道を敷設する際の中継点にすぎなかったのです。
 1860年に欧米人のなかではじめてナイル川の源流であるヴィクトリア湖にたどり着いたとされるスピークは、ウガンダの最大民族集団であるガンダの王カバカに会っています。その後、ガンダの伝統的王権はイギリスとブガンダ協定を結び、ウガンダはイギリスの保護領となりました。保護領期以来ずっと、カンパラはウガンダの首都として機能しています。「Kampala」の名は、ガンダ語の「kasozi ka impala」、「インパラの丘」に由来します。これは、19世紀のガンダの王がこの地の丘でインパラを放牧していたことからきているのです。

丘の多い町。ナミレンベ丘からカンパラ市街を望む

 ウガンダが保護領から独立したのは1962年です。ところが、独立後に隣国のケニアが長期政権のもとで比較的安定した政治経済力を保っていたのにくらべ、ウガンダは何度も政権交代を繰り返し政治経済は混乱していました。
 現在のムセベニ大統領が1986年にクーデターで政権をとり、1990年代に入ってウガンダの政治経済はようやく安定期を迎え、首都カンパラはめざましい発展をとげています。近年では南アやケニア資本など外資系のファストフードレストラン、スーパーマーケットなど大型小売店も進出し、街の景観もずいぶん変わりました。
 カンパラは丘の多い街です。丘の上には高級住宅街が、スロープを下がっていった谷間には長屋が密集しているようです。人口は100万人に達しているといわれています。

 いくつかの丘に囲まれたすり鉢の底にあたるようなところに、ウガンダの交通網の中心、タクシーパークがあります。ウガンダで「タクシー」というのは、タンザニアではダラダラ、ケニアではニッサン/マタトゥなどとよばれている日本製のワゴン車で、これがでもっともポピュラーな市民の足です。ここから、カンパラ市内各所はじめ、ウガンダ全国に向かうタクシーが出ています。ここ数年でカンパラの交通渋滞もいっそうひどくなっているようですが…。そのほか、カンパラ市内を移動するためにはボダボダと呼ばれるバイクのタクシーが使われています。バイクは、これもホンダやスズキなどの日本製のスクーターです。

客待ちをするボダボダ(バイクタクシー)のドライバーたち


オールド・タクシーパーク
100台余のタクシーが並び、国内各地に向けて出発する。もっとも安価な交通機関、市民の足。 もうひとつ、カンパラ市内に向けて出発する同じ規模のニュー・タクシーパークがある。
 
 首都の中心を東から北へ湾曲して横切る目抜き通りのカンパラ・ロード沿いには、多くの店舗や銀行が並んでいます。歩道脇のいたるところに露天商の人々が店開きをしています。街の中心から東側、目抜き通りから少しそれたところには国会議事堂、各省庁、国立劇場などがあります。ウガンダの国立大学であり、東アフリカ最古の高等教育機関であるマケレレ大学は、目抜き通りのずっと北側に位置しています(カウンターパートのページ参照)。

中心街。インターネットや銀行のカードシステムの看板が見える。

国会議事堂正門
 大型のスーパーマーケットが開店したとはいえ、カンパラ市民の多くが利用しているのは常設の露天マーケットです。なかでもタクシーパークの近くに位置するオウィノマーケットは最大規模で、食品から衣料品、日用雑貨にいたるまでさまざまな品々が売られています。食堂や一部の小規模小売店の経営者たちも、このマーケットから材料や商品を仕入れています。
 市民の主食はマトケと呼ばれる料理用バナナで、さまざまに調理されて毎日の食卓にのぼります(バナナ料理については、佐藤靖明さんのフィールド紹介のページをご覧ください)。そのほかにも、米を肉と野菜のスープで炊き込んだピラウ、茹でて蒸したキャッサバやヤムイモ、トウモロコシ粉を熱湯で練り上げたポショ(ケニアではウガリと呼ばれています)もカンパラで働く市民の昼食としてポピュラーなようです。

オウィノ・マーケット内のバナナ売り場

ラッカセイのソースをかけたマトケ(手前)
アボカド(右奥)

肉と野菜のスープ、マサラスパイスを炊き込んだ
ピラウ(手前)、ニワトリのスープ、アボカド。

 目抜き通りを歩いていると、若い男女が非常におしゃれであることがわかりますが、彼らの多くもこのオウィノマーケットの古着商から洋服を仕入れているようです。古着売り場には買い物客がひしめき、ひと昔前の日本の百貨店のバーゲンセールのにぎわいを彷彿とさせます(写真撮れません)。
 1990年代以降、都市化をすすめているカンパラですが、ケニアのナイロビのような大都市のよそよそしさはなく、人びとはおしなべて親切で、旅行者には過ごしやすいところです。この点は、これからもかわらずにいてほしいものです。
                                                                                       文責: 白石

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