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礼:『われわれの伝統文化』をめぐる葛藤

白石壮一郎

  エルゴン山に住むサビニ(セベイ)の人々は、偶数年の12月に、成人儀礼として割礼をおこなう。割礼を受けるのは、結婚を前にした18〜22才頃の若者たちだ。

  私が現地調査のためにはじめてエルゴン山を訪れたのは1998年の12月初旬だった。このとき村々はこの割礼のためにお祭りムードでにぎわっていた。行く先々で私は地酒を振舞われ、当時調査先の人びとに対して「親交の意志を示すために出されたものを拒むべきでない」と単純に考えた私は、酔いつぶれるまで飲んでしまったこともあった。私が「あなたたちの社会や文化のことを勉強しに来たのだ」と言うと、みな口々に「この割礼こそが、われわれの伝統文化だ」と言う。

  かといって、この割礼が、昔ながらの形態と意義とをそのままとどめているわけではない。「伝統的」には、割礼は一連の成人儀礼の過程の一部をなすものだったのが、現在ではほとんど割礼の部分以外は簡略化されあるいは省略されてしまっているが、人々はそのことにはあまり関心を払わなくなっているように見える。しかしながら、彼らが自分たちの「伝統文化」について私に語ろうとするときには、必ず割礼の話になり、それは割礼シーズンに限ったことではなかった。

  若者は、自分がその年割礼を受けようと決意したらその旨を親に告げ、割礼師に支払う施術費用その他を用立ててもらう。親の承諾を得た若者は、割礼式の日に先立って一見して今年割礼を受ける者とわかる衣装を身にまとい、コロバスモンキーの尾をあしらった飾り棒を手に、同じ日に割礼を受ける仲間と連れ立って自分の親族の家を訪問してまわる。このときに、訪問先に割礼式の日取りを知らせて回り、訪問先の人からは食事や地酒などの振る舞いを受け、ヤギやニワトリなどの贈り物を受け取るのだ。だからこの時期には、割礼式に臨むいでたちで道を練り歩いている5人前後の若者の集団がそこここで見られる。この訪問活動は割礼式の直前まで行われる。ことに前日は夜を徹して行われる場合も多い。

  当日夜明け過ぎ、前日までの訪問活動での疲労と、これから行われる割礼式に向けての興奮との入り混じった状態の若者たちは、小川で水浴をし下半身を十分に冷やす。そののちに、同じ場で割礼を受ける5人前後の若者たちは割礼の場となる村人の屋敷地に直立不動の姿勢で並び、いよいよ施術だ。屋敷地には、この若者たちの割礼を見届けようと、老若男女の見物人が集まっている。割礼師はナイフで次々に施術していき、若者たちの足下に敷かれた牛の皮に血がポタポタと落ちる。施術は、1人10秒くらいで済む。施術の間、割礼されている者は表情を変えたり、ましてや声を挙げたりしてはならない。ちょっと動揺した様子を見せただけで、見物人の間からどよめきがおこり、野次が飛ぶ。すべての若者の施術が済めば、その場を取り仕切る監督役の年長者が「よし」の号令をかけて、割礼を終えた若者たちは用意された椅子に座り、見物人から祝福を受ける。このとき、一気に緊張と興奮が切れてぐったりとしたり、なかには気を失ってしまう者もいる。かと思うと、余裕しゃくしゃくの態度で笑みを浮かべながら周りの人々から受け取ったソーダを飲むものもいる。やはり、そのような立派な者をみると私も尊敬の念にかられてしまう。

  ところで、息子の申し出た割礼が、親にすんなり受け入れられてその年に割礼式に臨む、というケースばかりではない。割礼を受けようとする若者は、先に書いたとおり十分に割礼の「痛み」に耐えうるところを周囲に示さなければならないから、15‐16歳の割礼を受けるにしては(いいかえれば、結婚するにしては)幼い息子が、友人から一緒に割礼を受けようと誘われて割礼をその年受けると父親に申し出ても、父親は「恥をかくだけだ」とその申し出を却下することがある。また、その年の経済的な事情から、とても割礼式のための費用を捻出できないと判断し、息子の申し出が退けられる場合もある。

  近年の変化の傾向として現れているのは、先進的な父親たちが息子に「伝統的」な様式にのっとらない割礼を受けさせようとする動きである。具体的には、キリスト教徒のうちで自分の息子の割礼を病院で受けさせようとする者がいる。また、イスラム教徒のなかにも、息子が10才に満たないうちにイスラム教徒の間で施術をさせた者がいる。前者の、病院で割礼した件に関しては、私の調査した村では皆無だった。ただし、こういうケースがある。通訳などで私の調査を助けてくれた若者は、キリスト教徒である父親に病院での割礼を強く勧められ、それを拒否して1998年の割礼のシーズンに黙って家を離れ、20kmほど離れた親族の家に身を寄せて、そこで「伝統的」な様式で割礼を受けた。若者たちにとっては、病院で割礼を受けることは友人間で「腰抜けの病院野郎」とでもいう評価を受けるものらしい。村から離れたところで割礼を受けたので、村の中での彼の割礼の唯一の目撃者である私が村の若者に、「ところで、ヤツはどうだったんだ?」と彼がしくじらずに割礼をやりおおせたのかどうかこっそり問われたこともあった。

  調査期間を過ごして日本に帰る前には決まって、「おまえは今回も割礼をしなかった、いつになったらするのか?」「割礼さえすれば、おれたちはおまえのことを一生忘れないぞ」と私は詰問を受けることになる。もちろん、彼らは私から日本には割礼の習慣のないことを聞いて知っており、半分ふざけているのだが、しかし、あまりにしつこいのでさすがにちょっとマジなのかと思わせることもある。そういうときには私は開き直って、「あんな痛いの、おれには耐えられない」と答えることにしている。当然のことながら、男たちは爆笑する。



  

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