Zambia Field Station
| Top | ZFS概要 | 研究者一覧 | フィールド | 活動内容 | リンク |

ジ社会の成立基盤としてのザンベジ川氾濫原
The Zambezi River Floodplain as a Basis for the Formation of Lozi Society
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科
岡本 雅博
中南部アフリカの歴史において、氾濫原という生態環境が、人々の移住を引きつけ、時として集権的な政治体制の形成基盤になったという指摘がある(Reefe 1983)。すなわち、ルバ王国、ルンダ(カゼンベ)王国、ロジ王国など、現在のDRコンゴ(旧ザイール)からザンビアにかけて展開したいくつかの王国が、それぞれウペンバ凹地、ルアプラ川氾濫原、ザンベジ川氾濫原といった氾濫原という生態環境を基盤として成立しているのである。さらには、オヴァンボ諸王国の成立の背景として、ナミビア北部を流れる河川および氾濫原の存在を示唆する報告もある(Williams 1991)。

このような、集権的な社会が成立するうえで、河川あるいは氾濫原が果たした役割をめぐる議論をうけ、本発表では、ロジ王国が形成された現在の西部ザンビアを「ロジ社会」ととらえ、この地域の生態環境の特性との関係からその成立を考察することを目的とする。ロジ王国は、ザンベジ川上流域に位置する氾濫原(面積約8000平方キロメートル)を主たる居住域としてきたロジを中心に、周囲に広がる疎開林帯に居住する多様な民族集団を同化・吸収しながら成立したという側面をもつ。こうしたロジ王国の多民族社会としての側面は、ザンビアの独立以降、王制の公的根拠が失われた現在もなお認めることができる。現在の西部ザンビアでは、ロジ語がリンガフランカとなっており、また旧王制と深く関わる土地制度や慣習法がつよく維持されている。

氾濫原では農業・牛牧畜・漁撈などの生業活動が営まれており、いっぽう周辺の疎開林帯においてはキャッサバやトウジンビエなどを栽培する焼畑農耕が生業の基幹となっている。このような氾濫原と疎開林帯における異なる生業形態を背景として、この地域では民族集団間における、さまざまな生産物をめぐる交易が従来から盛んであった。

さらに近年では、アンゴラに出自をもつ疎開林帯の居住者に氾濫原の牛群を信託するようになったり、あるいは氾濫原の魚と疎開林帯のキャッサバの物々交換が再興したりするなど、氾濫原と疎開林帯とのあいだにおける社会・経済的関係には、新たな展開がみられる。このような事実に着目し、異なる民族が出会い、そして共存する現在の「ロジ社会」について、氾濫原と疎開林帯が同心円状に広がる、西部ザンビアの生態的特性との関係から検討を加えたい。